【京響スーパーコンサート特別連載②】スウェーデン放送合唱団 前音楽監督ダイクストラ氏に聞く

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インタビュー

京都市交響楽団が世界トップクラスの合唱団「スウェーデン放送合唱団」と初共演する、京響スーパーコンサート「スウェーデン放送合唱団×京都市交響楽団」(11/23開催)。

公演の魅力をより知っていただくための連載を本ブログにて行っております。連載の第2回は、8月25日に開催された京都市交響楽団 第637回定期演奏会で指揮を務めた、スウェーデン放送合唱団 前音楽監督のペーター・ダイクストラ氏にお話を伺いました。

スウェーデン放送合唱団と京響の両方を知るダイクストラ氏から、合唱団の魅力と両者が共演する本公演について語っていただきました。


――去る京都市交響楽団の定期演奏会では、素晴らしい演奏会を届けて、くださりありがとうございました。
さて、今年11月23日(土・祝)に京都コンサートホールで、ダイクストラさんが音楽監督を務めていた「スウェーデン放送合唱団」と京響が共演します。両団の共演でどのような化学反応が起こると思われますか?

(C)Astrid Ackermann

京都市交響楽団とスウェーデン放送合唱団との出逢いは、きっとわくわくするものになるでしょう。

スウェーデン放送合唱団のメンバーは優れた歌唱技術を持ち、声のコントロールも極めて優れていますので、多彩な表現が可能です。

この度、私は京都市交響楽団とハイドンの「天地創造」を共演する機会をいただき、皆さんと非常に充実した時間を過ごすことができました。京都市交響楽団は本当に素晴らしいオーケストラです。柔軟性があり、クラシック音楽を演奏することへの情熱を持っています。

京都市交響楽団とスウェーデン放送合唱団、この二つのアンサンブルのコンビネーションは、幸福に満ちたものとなることを確信しています。

ダイクストラ氏とスウェーデン放送合唱団

――両団の共演から生まれる音楽を聴くのがとても楽しみです。ダイクストラさんは、スウェーデン放送合唱団の音楽監督を2007〜2018年の11年間務められたということなのですが、その間に心掛けられたことや大事にされたことは何でしょうか?

スウェーデン放送合唱団の首席指揮者、そして音楽監督を務めることができたことを、心から光栄に思っています。

首席指揮者に就任したのはたしか28歳の時だったと思いますが、そのような若手の指揮者が長い伝統を持つこの合唱団の一員になるということは、本当に名誉あることなのです。私なりにではありましたが、この素晴らしい合唱団の伝統に少しでも貢献できればと、様々な興味深いレパートリーに取り組みました。そして更なる高みを目指し、彼らの持つ壮健な声、そして声の持つ柔軟さに気付いてもらうように努めました。

その道のりはとても充実したもので、彼らと共に音楽を創ることができたことをとても幸せに思います。

スウェーデン放送合唱団とダイクストラ氏(C)Arne Hyckenberg

――現在のスウェーデン放送合唱団が持つ魅力はどういったところにあると思いますか。

スウェーデン放送合唱団の持つ数々の特別な点の中で、私が直に感じたことの一つは、録音を聴いている時にいったい誰が歌っているのかわからないことなのです。この素晴らしい合唱団は鮮明さと同時に、密度の濃いサウンドを創り出しています。舞台には32人のメンバーが見えると思いますが、そのサウンドはたった32人とは思えないほど大きなパワーを持っています。彼らと共に音楽を創り上げていく過程は活き活きとした喜びに満ち溢れています。聴衆の皆さんにも同じように感じて頂けると信じています。

――スウェーデン放送合唱団と京響の共演が今からとても楽しみです!
お忙しい中、インタビューにお答えいただきありがとうございました。

(2019年8月28日事業企画課メール・インタビュー)


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★特別連載①「スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~」

フォーレに捧ぐ特別インタビュー② 北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)

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京都コンサートホール

11月10日開催の「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)

いま旬の若き日本のトップ・プレイヤーたちが一堂に会し、京都でフォーレの名曲ピアノ五重奏に挑むコンサート(2019年11月10日(日)京都コンサートホールアンサンブルホールムラタ)。
本公演の開催に向けて、出演者の北村朋幹さん(ピアノ)と山根一仁さん(エール弦楽四重奏団/ヴァイオリン)にインタビューを行い、思い思いに語っていただきました。前編に続き、今回は後編をお送りします。

北村朋幹(ピアノ)©TAKUMI JUN
ガブリエル・フォーレ
エール弦楽四重奏団

――京都公演でプログラミングしているフォーレとシェーンベルクのピアノ五重奏曲3作品はいずれも大曲ですが、このメンバーだからこそ挑戦したいと仰ってくださいました。過去にこの5人で演奏されたご経験はおありですか?

北村朋幹さん(以下敬称略):一度あります。確か、ブラームスを演奏した時だったかな・・・?

――わたしたちとしては、本番はもちろんなのですが、練習やリハーサルがどのように展開されていったのか、そういったところにも興味があります。

北村:実はあの時、5人の予定が合わず本当に時間がなかったんです。じゅうぶんにリハーサル時間を取ることが出来なかったので、僕は個人的に納得出来るような本番ではありませんでした。でも一つ、強く感じたことがあります。それは「エール弦楽四重奏団のみんなは本番に強いな」ということです。みなさんがそれぞれにポテンシャルが高いですからね。

――5人で演奏する時は、どなたがリーダー役を担うのですか?

山根一仁さん(以下敬称略):誰がリーダーなのかといったものは作るべきではないのですが、結局のところ誰がメンバーを一番引っ張っているかというと、音楽に関する知識であったり勉強量とかになりますから、北村君でしょうね。常に僕たちを助けてくれます。とは言っても、エール弦楽四重奏団のメンバーも、思ったことをどんどん発言していきます。

――北村さんから見て、エール弦楽四重奏団はどのようなカルテットですか?

北村:僕は本当にバランスの取れたカルテットだと思います。
人間的にもそうですが、なによりもまず男性2人がまだ子供でしょう?(笑)
でもそれは重要なことなんです。
僕は客観的にみて、あの4人のなかで音楽を動かしているのは、山根君だと思うんです。違ってたら悪いんだけど、彼は猪突猛進というか、彼の音楽からは「間違っていても自分はこう思うんだから、それを分かってくれ」というメッセージを感じます。
上野通明君(チェロ)はすごくマイペースなんです。人の意見を聞いているのだけど、実際はそれに左右されることなく揺らがない。こういう「石」みたいな人は重要です。
一方、女性2人はとっても大人です。毛利文香さん(ヴァイオリン)はとても客観的に物事を見ている人。冷たいわけではないんだけど、全員の意見を聞いて、必要なことを常に理解している感じ。
僕にとって田原綾子さん(ヴィオラ)は、フレンドリーさや温かさなどを感じる人です。田原さんの力でこの3人がつながっていると思っています。

―――非常に面白い関係性ですね。こういった関係性がきっと音楽にも現れるのでしょう。練習を重ねていく上で、意見の相違などは生じますか。

山根:根本的なことを言うようですが、室内楽だけでなく音楽に対して「理想を追い求め続けていること」と、「理想を叶えるためにあらゆる手を尽くすこと」は非常に大切だと思っています。
それは、自分の理想を突き通すだけでなく、室内楽においては相手の意見を理解しようとする、歩み寄ろうとすることだと思います。意見がぶつかったとしても、それは互いが向かい合っているということですから、非常に良いことだと思いますし、僕はぶつかり合いがないほうが不自然だと思っています。
室内楽をする上でぶつかり合いがないと、気を使われている・妥協していると感じてしまう。それが嫌なのですね。
そういったことが自然にできる相手が北村君だったり、エール弦楽四重奏団のメンバーであったりします。
そう感じられる人は決してたくさんはいないですし、そういう場所があるということはとても幸せなことだと思います。贅沢だなぁと思っています。

北村:室内楽の理想は、誰が何を弾いているのか分からないくらい全部が一体化して、休符を演奏している人も音楽を弾いているようであり、音符を演奏している人も休符であるような演奏をすることです。
僕はピアノという楽器に疑いを持っているんですよね。大好きなんだけど、好きじゃないんです。矛盾しているようですが、ピアノはあまりにデジタルな音がする。そこからまず脱却するということが、室内楽をやる上での僕の一番の理想なのです。
ピアノからピアノじゃない音をするっていうのが、僕にとってとても重要です。

山根:北村君のように「脱却する」という考えに至る人ってなかなかいないんです。例えば、大きな音をだ出す、難しいことを完璧に弾く、そういうことを理想とする人ばかりなので、北村くんは稀有なピアニストです。

北村:僕は例えば、カルテットと演奏する時は、自分もカルテットのような音を出したいと思うし、逆にカルテットに対してピアノみたいな音を出して欲しいと思う時もある。そのように、音を融合させていきたいと思っています。

――お二人のお話をお伺いしていると、5人のハーモニーが今にも聴こえてくるような気がします。本当に楽しみです。それでは最後に、京都公演にお越しくださるお客様に一言ずつメッセージを頂戴できますでしょうか。

山根:この3曲を1つの公演で聴けることは滅多にありません。世界中を探してみてもなかなか見つけることは出来ないでしょう。
僕たちがベストを尽くせば絶対にいいコンサートになると思うので、色々な先入観を取り払っていただいて、ぜひご来場いただきたいです。僕たちにとってもお客様にとっても印象的なコンサートにしたいと思っています。

北村:こんなこと絶対言っちゃいけないでしょうけど、本当は50人くらいの小さなサロンで演奏したいと思うようなプログラムですよね(笑)。
山根君がいったような先入観は本当に必要ではなく、音楽って弾く方も聞く方も「自分はこの曲が好きだ」という個人的な関係だと思うんです。
この「好き」は他の人には伝わらないことが多い。だから、来てくださった結果「これがシェーンベルクの音楽」「これがフォーレの音楽」とは簡単に分からないかもしれませんが、「あぁ、いまの曲すごく好きだったな」となり得る3曲です。
こういったことは人生において尊い体験だと思いませんか。
なのに、作曲家の一つの側面だけを見て「シェーンベルクって難しそうだから聴くのをやめよう」となると、その人は一つ損をしていると言いたくなります。だから、とてもシンプルに楽しんでいただきたいなと思っています。

――ありがとうございます。お二人のお話のおかげで、演奏会だけではなく、5人のイメージも膨らませることが出来ました。
この演奏会の企画者としては、濃密なプログラムをこんなに素晴らしいメンバーに演奏していただくことに対して幸せを感じています。
この幸せを一人でも多くのお客様と一緒に共有したいと思っています。当日の演奏を今から楽しみにしています!

(2019年2月28日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都市内のカフェ「CLOVER」にて)

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フォーレに捧ぐ特別インタビュー① 北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)

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京都コンサートホール

11月10日開催の「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)

いま旬の若き日本のトップ・プレイヤーたちが一堂に会し、京都でフォーレの名曲ピアノ五重奏に挑むコンサート。本公演の開催に向けて、出演者の北村朋幹さん(ピアノ)と山根一仁さん(エール弦楽四重奏団/ヴァイオリン)にインタビューを行い、今回の公演に対する意気込みや作曲家フォーレについて語っていただきました。前編・後編の2回に分けてお送りいたします。


―――北村さん、山根さんこんにちは。今日はお忙しい中、インタビューを受けていただき、ありがとうございます。おふたりは今回11月10日(日)開催の「フォーレに捧ぐ」にご出演されますが、はじめに、京都コンサートホールからフォーレの《ピアノ五重奏曲》全曲演奏のオファーが来た時、どう思われたか教えてくださいますか。

山根一仁さん(以下、敬称略):僕はフォーレのピアノ五重奏曲を全曲演奏することに対して、ピアニストの大変さを知らなかったのですが、僕自身「これはいい機会だな」と思いました。

北村朋幹さん(以下、敬称略):僕はこんな機会は絶対ないから、やりたいと思っていました。ただ、プログラムについてエール弦楽四重奏団のメンバーと話し合った時、僕は「もし、ちゃんとリハーサルが取れないのであったら、フォーレはどちらか一曲だけにして、2曲目はもっと簡単な曲にしよう」と強調して伝えました。
それくらい本気で挑まないといけない作品だからです。

山根:これから先に演奏する機会があるかどうかを考えたときに、このメンバーで今回これらの作品に挑戦することはとても勉強になるだろうなと思いました。
実際に演奏活動をしている中で、いま自分の周りにいる音楽の仲間で一番心から信頼している人はだれかと質問されたとしたら、今回のメンバーは一番に名前が挙がる人たちなのです。
このような機会を与えてくださり、とても感謝しています。

―――私たちも、皆さんに演奏していただくことが叶い、とても嬉しく思います。特に今は全員が海外在住でいらっしゃるので、タイミングよく京都にお越しいただけることになったことは非常に幸運なことです。
ところで、フォーレのピアノ五重奏全曲を演奏することは早々と決まりましたが、もう一曲、どのような作品をプログラミングするかという話になった時、色々な意見が出ましたよね。

北村:そうですね。確かフランクとか・・・・

―――そうでした。でも、最終的にはシェーンベルク(ウェーベルン編曲)の室内交響曲第1番になりました。なぜこの作品にしようと思いましたか?

北村:まず、演奏会をする上で、演奏家は聴き手のことも考えないといけないですよね。本当は、フォーレのピアノ五重奏曲を連続して演奏した方がプログラムとしてはまとまりが良いのかもしれませんが、それだと合計1時間強も連続で音楽を聴くことになります。それはお客様にとってあまりよくないだろうと考えました。

フォーレのピアノ五重奏曲2曲とシェーンベルクのプログラム順についても色々と考えていたのですが、フォーレの《ピアノ五重奏曲第1番》は冒頭の流れるようなアルペジオが美しいということと、個人的にフォーレの《ピアノ五重奏曲第2番》の後には何も弾きたくないということから、必然的に間に何かを入れようという案になりました。
そこで、何がいいかなってずっと考えていたのですが、「ピアノ五重奏」、そして「20世紀」という時代のことを考えたとき、シェーンベルクが挙がったんです。

シェーンベルクという作曲家は12音技法を駆使した人物ですが、彼は新しいことにたくさんチャレンジした、時代の最先端を行く作曲家でした。同時に、「ロマン派時代を崩壊させた作曲家」というイメージをどうしても皆さんお持ちなんですよね。
でも、“時代の最先端にいる”ということは、“前の時代の一番あと”でもあるんです。
だから、僕自身はシェーンベルクのことを究極のロマン派だと思っていて、特にOp.9はロマンティックな作品だと思います。
その直後に書かれたOp.11のピアノ作品で、彼は新たなステップを踏み出したのですが、その前に作曲されたOp.9は、まさに「究極のロマン派」。これ以上は行けないんだろうなって作品が、この室内交響曲なんです。
一方でフォーレという作曲家は、シェーンベルクとは全く違うベクトルの音楽を書いた人でした。二人とも全く違う方法で、「ロマン派」という逃げられない場所から新しいものを生み出していった作曲家だと思っています。
こういったことが、このコンサートのテーマになるんではないかな?と思いました。

―――ロマン派という逃れられない場所から、新しいものを生み出した……。それが二人の共通点なのですね。

北村:多少無理やりですが、そうだと思います。
二人とも新しいものを生み出しつつも、前の時代を捨てることはしなかった。それが僕自身にとって重要なことなんです。もっと後の時代の曲だと、まるで点描画のような作品もありますよね。でも僕はそういう音楽よりも、エモーショナルでメロディックな曲のほうが好きですね。
このシェーンベルクは、聴けばすぐに分かりますが、リヒャルト・シュトラウス (1864-1949) とかワーグナー (1813-1883) 、ブルックナー (1824-1896) の影響がいたる所に感じられて、破裂寸前の風船みたいな印象を受けるのです。
その風船には「ロマン派」がいっぱい詰まっていて、もう「バン!」と爆発しちゃうくらいにエモーショナルな曲です。そして、とてもクレバーに書かれていて、完璧な作品の一つだと僕は思っています。そういった作品を、シェーンベルクの一番の理解者であったウェーベルン (1883-1945) が編曲しています。

フォーレとシェーンベルク、この2人の作曲家はどちらも完璧ですが、2人を比べてみるとその「完璧さ」が違うことに気付かされます。
フォーレは5人が一つの流れで弾いていかなくてはいけませんが、シェーンベルンは全員が全員のパートを理解して、全員が指揮者のようにやっていかなくてはならない。そういった挑戦をこのメンバーと一緒にしてみたかったのです。

―――なるほど。このメンバーだからこそ、演奏したいという気持ちが強くなったのですね。おそらく、なにも知らない方からすると、あのプログラムを見たら、真ん中にシェーンベルクが入っていることにものすごく違和感を感じる人もいるかもしれないと思ったのですが、それは聴いていただくと納得していただけるということでしょうか。

北村:「納得していただける」とは言い切れないかもしれませんが、一つの「20世紀の音楽の在り方」が見えるだろうとは自負しています。

―――山根さんはシェーンベルクの《室内交響曲》をプログラミングしたことに対してはどうお考えですか。

山根:実は僕、シェーンベルクの作品ってコンチェルトとファンタジーくらいしか演奏したことがないのです。だから、リハーサル時間が物を言う作品だろうなぁとは思っています。身を引き締めてと思っております。
フォーレとシェーンベルクということで、どちらも大きな挑戦になるでしょうから、一番の仲間たちとこういった作品にチャレンジ出来ることを今から楽しみにしています。

 

▶フォーレに捧ぐ特別インタビュー 北村朋幹さん×山根一仁さん②へ続く…
(2019年2月28日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都市内のカフェ「CLOVER」にて)
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【フィラデルフィア管弦楽団 特別連載③】フィラデルフィア・サウンドの魅力

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京都コンサートホール

アメリカ“ビッグ5”の一つである「フィラデルフィア管弦楽団」の魅力を様々な視点からお伝えする「特別連載」。第3回は、往年のフィラデルフィア・サウンドを知る音楽学者の岡田暁生氏に、フィラデルフィアの管弦楽団の魅力を語っていただきました。

* * *

随分昔のことだ。アメリカの友人に「フィラデルフィア管弦楽団ってどんなオーケストラなの?」と尋ねたことがある。当時わたしはまだこのオーケストラを聴いたことがなかったのだが、この友人は「音楽家だった僕の父が『あそこのオーケストラの弦パートにはストラディバリウスを持っている奏者がうじゃうじゃいる、世界で一番ストラディバリウスがあるオーケストラさ』と言ってたことがある - ほんとかどうか知らないけど」と言ってにやりと笑った。それから数年後、初めてこのオーケストラを聴いて(当時音楽監督をやっていたリッカルド・ムーティの指揮だった)、これが都市伝説ではなく実話に違いないと確信した。オーケストラのサウンドが一体どこまで「ゴージャス」になることが出来るか ―― フィラデルフィア管弦楽団を聴くとはそれを体感することだ。

The Philadelphia Orchestra performs on New Years Eve, Thursday, Dec. 31, 2015, in Philadelphia. (Photo by Jessica Griffin)

このオーケストラの響きは「フィラデルフィア・サウンド」としてあまりに名高い。もちろんアメリカのオーケストラはどこも豪華な響きを出す。だが「ニューヨーク・フィル・サウンド」とか「ボストン・サウンド」などといった言い方はない。そもそもオーケストラで「・・・サウンド」といった表現がされるのは、黄金期のカラヤン/ベルリン・フィルの「カラヤン・サウンド」、そしてこの「フィラデルフィア・サウンド」くらいのものだろう。

嘘か誠か「世界で一番ストラディバリウスがある」という響きを体感するには、このオーケストラの名声を世界にとどろかせたかつての音楽監督ユージン・オーマンディの指揮による『ロンドンデリーの歌』の古い録音を聴くことを勧める。この贅を尽くした艶、このうねり、このすすり泣き、この陰影!そしてそこはかとないノスタルジー!これぞアメリカンドリーム・サウンド!管楽器もすさまじい。これまたオーマンディ指揮のシベリウス『フィンランディア』の古い録音(このオーケストラがシベリウス自身によって絶賛されたことは有名である)では、どのパートも思いきり「どうだ!」と見栄を切る。それがことごとく「決まる」。しかも個人がスタンドプレーしているのではなく、全体のチームワークがすごい。翳りや深さにもことかかない。

フィラデルフィア管弦楽団はリーマン・ショックのせいで2011年に破産したりして、あのかつての「ゴージャス・アメリカンドリーム・サウンド」をどれくらいまだ維持しているか、懸念がなくはなかった。しかしネゼ=セガン指揮による最近の録音をいくつか聴いてみて(その中には京都公演の演目であるラフマニノフのピアノ協奏曲第二番も含まれる)、それが杞憂であったと大いに安心した。恐らくセガンが意識的に伝統のサウンドを維持することを目標にしているのだろう。この響きはほとんど世界無形文化遺産だ!

(C)Jessica Griffin

岡田暁生(おかだ・あけお)

1960年京都生まれ。大阪大学文学部博士課程単位取得退学。ミュンヘン大学およびフライブルク大学で音楽学を学ぶ。現在京都大学人文科学研究所教授。文学博士。著書『音楽の聴き方』(中公新書、2009年、吉田秀和賞受賞、2009年度新書大賞第三位)、『ピアニストになりたい - 19世紀 もう一つの音楽史』(春秋社、2008年、芸術選奨新人賞)、『恋愛 哲学者モーツァルト』(新潮選書、2008年)、『西洋音楽史 - クラシックの黄昏』(中公新書、2005年/韓国版、2009年)、『オペラの運命』(中公新書、2001年、サントリー学芸賞受賞)など。『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』(NHK)や『名曲探偵アマデウス』(NHK・BS)など、テレビ出演多数。朝日新聞の演奏会評のレギュラーで、日経新聞の書評欄もしばしば執筆している。近刊に『リヒャルト・シュトラウス』(音楽之友社)、『すごいジャズには理由がある』(アルテス)など。

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★特別連載
【第1回】受け継がれる伝統とフィラデルフィア・サウンド
【第2回】アメリカ在住ライターが語るフィラデルフィア管弦楽団の現在(いま)

【京響スーパーコンサート特別連載①】スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~

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京都コンサートホール

2019年11月23日(土・祝)開催の「京響スーパーコンサート」では、世界トップクラスの合唱団「スウェーデン放送合唱団」が京都市交響楽団と初共演をいたします。

スウェーデン放送合唱団の京都初公演でもある本公演をよりお楽しみいただくため、本ブログにて特別連載を行います。第1回は、スウェーデン放送合唱団に詳しい音楽評論家の那須田務さんに、合唱団の魅力をたっぷりと語っていただきました。


「スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~」

那須田務(音楽評論)

スウェーデン放送合唱団といえば、オーケストラ・ファンにとってはスウェーデン放送交響楽団のみならず、ヨーロッパ一流オーケストラの合唱付き管弦楽作品のベスト・パートナーとして知られるほか、合唱ファンには古今のスタンダードな合唱曲や北欧や東欧の様々な作品の優れた演奏を通してお馴染みの存在だ。たとえば、アバド、ベルリン・フィルと共演したベートーヴェンの「第9」(CD、DVD)は名盤中の名盤だし、合唱の神様と称されるエリクソンとのブラームスやブルックナー、カリユステと録音したグレツキやシュニトケのアルバムなどは合唱を聴く楽しさを教えてくれると同時に、人間の声の可能性は本当に無限大なのだと実感させてくれる。

(C)Arne Hyckenberg

このような名人芸と高い芸術性を兼ね備えた合唱の最高峰だが、2007年にダイクストラの音楽監督就任が報じられた時には驚いた。古楽から現代音楽まで独自の音楽的センスを持ち、共演者に完璧な表現を要求する鬼才として、オランダの男声合唱団ザ・ジェンツを率いて目覚ましい活動を行なっていたからだ。それから10年余り。期待通りダイクストラはスウェーデン放送合唱団にレパートリーや音楽面で新たな魅力を付け加えることに成功した。

ここ数年の来日公演で特に印象に残っているのは、4年前の東京都交響楽団の定期公演。ダイクストラの指揮でリゲティのア・カペラ混声合唱曲《ルクス・エテルナ》、管弦楽伴奏版シェーンベルクの《地には平和を》、モーツァルトの《レクイエム》(ジュースマイヤー版、ソリストはアマーストレム、ティマンダー等)という、合唱団が主役のようなコンサートだった。東京文化会館大ホールに現れた彼らは北欧の人らしく皆すらりと背が高く、どこか僧侶か修道女を思わせる。リゲティとシェーンベルクもすばらしかったが、やはり白眉は後半の《レクイエム》。〈イントロイトゥス〉の合唱のクレッシェンドが印象的で、キリエのきびきびとしたテンポと合唱の明快なフレージングなど積極的な表現が快く、〈ディエス・イレ〉などは一陣の風が吹き抜けたよう。ラテン語のテキストを歌う際にアーティキュレーションで実に豊かな表情を付けていく。肌理細やかな弱音から天地を揺るがすフォルテまで表現の幅が広く、その上各パートに室内楽的な纏まりがあり、フーガやフガートなど対位法的なフレーズがくっきり浮かび上がる。白眉は〈ラクリモーサ〉。温かな歌声と精妙な表情付けが見事で、最後のアーメンの美しさもまた格別だった。ダイクストラは昨年、音楽監督を退任、その後は音楽監督を置かずに活動しているという。

(C)Kristian Pohl

そんなスウェーデン放送合唱団が11月に来日して、当京都コンサートホールで広上淳一の指揮する京都市交響楽団とモーツァルトの《レクイエム》(ソリストはシュヴァルツ、ラングフォードら)を共演する。ダイクストラが同合唱団に残したものは何か、しなやかで情感豊かな広上の指揮や京都のオーケストラとどのようなパフォーマンスを見せてくれるのかなど興味は尽きない。


那須田務(なすだ・つとむ)音楽評論家 

ドイツ・ケルン大学音楽学科修士修了。著書に『音楽ってすばらしい』『名曲名盤バッハ』、監修著作『河出「夢」ムック バッハ』、共訳書アーノンクール著『音楽は対話である』の他、多数の共著書がある。現在ミュージック・ペンクラブ・ジャパン事務局長。洗足学園音楽大学及び同大学院非常勤講師。『音楽の友』で演奏会評を、『レコード芸術』で新譜月評を担当する他、「古楽夜話」好評連載中。

 


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★特別連載②「スウェーデン放送合唱団 前音楽監督ダイクストラ氏に聞く」

クアルトナル特別メールインタビュー

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京都コンサートホール

12月21日(土)午後2時開催の「クアルトナル クリスマス・コンサート」。
出演者の「QUARTONAL(クアルトナル)」は全員がドイツ生まれのア・カペラ男声ユニットです。これまでに、出身地のドイツのみならずヨーロッパからアジアにいたるまで、ワールドワイドに演奏活動を繰り広げている彼らが、2019年ついに日本初上陸いたします。

今回は、日本初上陸そして京都初公演を記念して、特別にメールインタビューを行いました。クールでロマンティックな大人の雰囲気漂う彼らの魅力、そしてア・カペラ音楽について語っていただきました。どうぞお楽しみください。

クアルトナル画像1
(C)Mssophie

―――この度は、インタビューを引き受けていただきありがとうございます。はじめに、歌を始めたきっかけについて教えていただけますか?

クアルトナル:クアルトナルの4人は少年合唱団の団員として歌を始めました。ドイツにおける少年合唱団の位置はとても伝統的で、小学校でオーディションを受けるほか、両親や家族がリハーサル会場へ子どもを連れて行き、オーディションの情報を得たりします。
私たち4人は、はじめて少年合唱団で歌った時からこれまで、合唱を愛し続けています。

―――クアルトナルは4名からなるア・カペラユニットですが、メンバーはどのように出会ったのでしょうか?

クアルトナル:私たちは、北ドイツのユーテルゼン少年合唱団で25年前に出会い、クアルトナルを2006年に結成しました。その間、2度のメンバー変更がありましたが、ミルコとクリストフは結成当時のメンバーで、ゼンケは2012年に、ジョーは2019年にメンバーへ加わりました。ゼンケは、ハンブルクの少年合唱団出身で、ジョーはシュトゥットガルトの少年合唱団の出身です。

―――クアルトナルを結成したきっかけは何だったのでしょうか?

クアルトナル:私たちは、少年合唱団で歌う事がとても好きでした!それを続けるために有名な混声合唱団の団員として歌を続けていましたが、4人のア・カペラでどれくらいのことが出来るのか挑戦してみたいと思い、クアルトナルを結成しました。それは、大変な挑戦だと思っています。

―――大きな挑戦ですね。ところで、クアルトナルという名前の由来を教えてください。

クアルトナル:グループ名はひらめきから生まれました!4声(Quartet)の音色(Tonal)を合わせてクアルトナル(Quartonal)としました。もちろん、無調性のものや不協和音の作品も演奏します。しかし、それさえも完全なるバランスや音程で演奏したらとても美しい音楽へと変わるのです。

―――ア・カペラで演奏する魅力や、クアルトナルが目指すア・カペラとはどういったものですか?

クアルトナル:ア・カペラの魅力はなんと言っても「人間の声」から生まれるものですし、そこからは多くの音が聴こえてきます。私たちのスローガンは「4つの声を1つに」です。私たちはつねに4人の違った歌手の声がまるで1人が歌っているかのように演奏する事を心がけています。

―――初来日となる今回のクリスマス・コンサートのプログラムでは、様々な時代・ジャンルの曲が選ばれていますが、このプログラムにはどのような想いが込められていますか?

クアルトナル:まず、ア・カペラの素晴らしさや、クアルトナルの演奏を皆さんに楽しんでいただくために、第1部では、幅広い時代の作品をレパートリーの中から選曲しました。
そして第2部では、クリスマスの訪れを感じていただきたいと思っています。もちろん、皆さんご存知のクリスマス・ソングはもとより、100年前のクリスマス・ソングの素晴らしさも皆さんに聴いていただきたいと思います。最後には私たちの国、ドイツの伝統的なクリスマス・ソングを聴いていただきます。この曲は17世紀に作曲された作品ですが、今もなお、歌い継がれている重要なクリスマス・ソングです。

クアルトナル画像2
(C)Mssophie

―――盛りだくさんのプログラムで、とても楽しみです。今回のプログラムで特に思い入れのある曲はありますか?その曲についてのエピソードがあれば教えてください。

クアルトナル:やはり、一つ前の質問でお話ししたドイツのクリスマス・ソングです。この作品はもっとも有名なドイツのクリスマス・ソングで、イエス・キリストの誕生を大喜びでお祝いするのではなく、イエス・キリストの誕生を厳かに敬虔(けいけん)にそして、静かに暖かく語るクリスマス・ソングです。この歌を歌ったり、聴いたりすると自分たちの幼少期を思い出させます。

―――最後に、京都コンサートホールへ聴きに来てくださる観客の皆様にメッセージをお願いします!

クアルトナル:私たちクアルトナルの初めての日本ツアーで、京都の皆さんにお会い出来るのはとても光栄で興奮しています!
私たち4人は、バラエティに富んだプログラムと、様々な音色でア・カペラの世界を皆さんに楽しんでいただきたいと思っています。そして、コンサートのあとわくわくしながら素敵なクリスマスを迎えていただけたらうれしいです!お会い出来るのを楽しみにしています!

―――お忙しい中、ありがとうございました。

クアルトナル画像3
(C)Mssophie

メンバー自身の思い入れある曲でお贈りする「クアルトナル クリスマス・コンサート」(12/21(土)午後2時開演)。ドイツで培った圧倒的な歌唱力、そして完璧なハーモニーがアンサンブルホールムラタに響きます。気になった方は公演情報をご覧ください。

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クアルトナル画像4

クアルトナル画像5

【フィラデルフィア管弦楽団 特別連載②】アメリカ在住ライターが語るフィラデルフィア管弦楽団の現在(いま)

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京都コンサートホール

2019年11月3日(日)に「第23回京都の秋 音楽祭」のメイン公演の一つとして14年ぶりの京都公演を行う、アメリカの名門「フィラデルフィア管弦楽団」(以下「フィラデルフィア管」)。

本公演やアーティストの魅力をお伝えすべく、当ブログにて「特別連載」を行っております。第2回はアメリカ在住のライター小林伸太郎さんに、ニューヨーク公演でのレポートも含め、フィラデルフィア管の現在(いま)と音楽監督ヤニック・ネゼ=セガン氏について語っていただきました。

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2015年10月13日カーネギーホールでフィラデルフィア管弦楽団を指揮するヤニック・ネゼ=セガン(C)Chris Lee

6月7日に、フィラデルフィア管弦楽団のコンサートをニューヨークのカーネギー・ホールで聴いた。フィラデルフィア管は毎シーズン、カーネギーで少なくとも3回は演奏会を行うが、そのほとんどを音楽監督のヤニック・ネゼ=セガンが指揮する。彼は昨年秋からメトロポリタン・オペラの音楽監督にも就任し、40代前半の若さにして米国で最も重要なアンサンブルを2つも同時に掌握することになった。この6月は、フィラデルフィア管のコンサート前後にMET管弦楽団(メトロポリタン・オペラの専属管弦楽団)もカーネギー定期を立て続けに2回行ったが、これらももちろんネゼ=セガンが振った。まるでネゼ=セガン特集ウィークを組んだかのような6月初旬のカーネギー・ホールは、彼が現在、北アメリカのみならず全世界の音楽会の頂点の一つにあることを如実に示した感があった。

しかしながらネゼ=セガン、これほどの重責にありながら、その出で立ちはいつも衒い(てらい)がない。7日のコンサートでも、黒いスラックスに白いジャケット・シャツのような上着の、お洒落ながらどこかインフォーマルな装いで颯爽と登場した。フィラデルフィア管のメンバーが通常の黒の上下で固めている中、満面の笑顔で登場したネゼ=セガンの白い上衣は、ひときわ眩しかった。

2019年6月7日カーネギーホールでの公演の様子(C) Caitlin Ochs
(C)Chris Lee

満面の笑顔といえば、ネゼ=セガンの最近の写真は、ポートレートだけでなく演奏中の写真であっても、微笑みをたたえている写真が多い。地元フィラデルフィアの演奏会後に行われたイベントで、作品について語るネゼ=セガンを見かけたことがあるが、この時もマイク片手に聴衆に気楽に語りかける伸び伸びとした姿が印象的だった。

フィラデルフィア管第8代音楽監督に就任してから7年が経ち、40歳代半ばにさしかかろうとするネゼ=セガン。パーソナル・トレーナーを付けて鍛えているという強靭な体躯は、柔らかな指揮ぶりからも感じられ、未だにボーイッシュな青年の印象だ。リハーサルにおけるミュージシャンとのコミュニケーションでも、ポジティブでリラックスしたネゼ=セガンの若いエネルギーが支配するという。創立百周年を優に超えるフィラデルフィア管の歴史は、20世紀の巨匠指揮者の歴史でもあったわけだが、彼のカジュアルなアプローチは、独裁者的権威を振るったひと昔の指揮者のそれとは隔世の感がある。

(C)Jan Regan

しかしネゼ=セガンには、この伝統を新たな世紀に繋げようとする強烈な意思がある。伝統のフィラデルフィア・サウンドは、実はかつて本拠地としていたホールの音響の不備をミュージシャンが演奏で乗り越えようとした結果生まれた、という説がある。そのため、2001年から楽に音が響く現在の本拠地に移ったことで、フィラデルフィア・サウンドは徐々に失われるのではないかと、懸念する向きが一部にあった。しかし7日のストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ラフマニノフのオール・ロシアンのプロでは、とりわけ弦のうねる響きにある、よい意味での一体感が観客を熱狂させていた。フィラデルフィア・サウンドはネゼ=セガンの下、保たれながらも、さらに伸びのある柔軟性を獲得し、確実に進化しているのではないだろうか。

2012年、不景気に端を発した倒産の危機から辛うじて脱出したばかりという、フィラデルフィア管史上かつてない難しい時期に音楽監督となったネゼ=セガン。彼のポジティブなエネルギーは、次々に新しいイニシアチブを生み出し、例えば昨年は、様々なバックグラウンドを持つ複数の女性作曲家への多様な新作委嘱をまとめて発表、注目された。現在彼の音楽監督契約は、2026年まで延長されている。腰を落ち着けたネゼ=セガンとフィラデルフィア管の将来に、大いに期待したい。

(C)Jessica Griffin

小林伸太郎(こばやし・しんたろう)

ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシ ック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆。現在は、「音楽の友」「レコード芸術」「モーストリー・クラシック」などにレギュラーで寄稿している。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒。カーネギー・メロン大学で演劇を学んだ後、アートマネージメントで修士号取得。ニューヨーク在住。

 

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6月7日カーネギーホール公演のライヴ録音が以下よりお聞きいただけます。

★「フィラデルフィア管弦楽団」特設ページはこちら

★特別連載
【第1回】受け継がれる伝統とフィラデルフィア・サウンド

フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー③

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

10月5日開催『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)にご出演される、フォルテピアノ奏者の川口成彦さん。

前々回のインタビュー記事「フォルテピアノ奏者川口成彦特別インタビュー①」では川口さんとクラシック音楽との出会いやオランダでの留学生活について、そして前回の「フォルテピアノ奏者川口成彦特別インタビュー②」ではショパン国際ピリオド楽器コンクールに関するお話をお伺いしました。

インタビューの最終回では、今年の10月5日(土)に京都コンサートホールアンサンブルホールムラタで開催される『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」について語っていただきました。

©TairaTairadate

――『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」のプログラムを考える際、「オール・ショパンで」とオーダーをしました。
まずは、演奏なさる作品を教えていただけますか。

川口成彦さん(以下、敬称略):ショパンは男装の女流作家ジョルジュ・サンド (1804-76)(※フランス出身の作家であり、当時の様々な知識階級の男性たちと関係をもった女性として知られる)と恋愛関係にありましたが、今回のプログラムはそんな2人が共に過ごしたフランスのノアン、そしてスペインのマヨルカ島で書かれた作品をピックアップしています。
《夜想曲第15番 ヘ短調》や《舟歌 嬰ヘ長調》、《バラード第3番 変イ長調》、それに《24の前奏曲》などといったものです。

――使用されるフォルテピアノは、ショパンがまだ生きていた時代に使われていた1843年製のプレイエル(タカギクラヴィア所有)ですね。

川口:そうです。プレイエルのピアノの特徴は何といってもその音色です。
とても素晴らしい音色がするんです。なんと表現したら良いんだろう…。
たとえば、楽器から薫りがする、と言ったような感じかな。
かつて、ショパンはプレイエルについて、このように言ったそうです。
「私は体調が良い時はプレイエルを弾き、悪い時はエラールを弾く」。
つまりプレイエルはコンディションの良い時でないと弾きこなせない楽器だと言うことです。プレイエルのピアノって、タッチによって実に多様な音色が出せるので、音の表情にこだわると非常に神経を使いたくなる楽器です。
指先のデリケートなコントロールが難しいとも言えますが、うまく扱えたなら大変美しい音楽を紡ぐことが出来ます。
きっと、ショパンもプレイエルのそういうところが好きだったのかも。皆さんには、ぜひ生でその特別な音色を聴いていただきたいと思います。

――ところで、演奏会のテーマの一つである「ジョルジュ・サンド」に関するエピソードがあるとか?

川口:そうなんですよ。実は、ショパンとサンドが共に夏を過ごしたフランスのノアンに行ったことがあります。そこにはサンドの家がまだ残っているのですが、一緒に暮らしていたはずのショパンに関する品がほとんど現存しないのです。ショパンとサンドはあんなに愛し合ったはずなのに、別れた後、サンドはショパンの私物をわーっと全て捨ててしまったんですよ。

――まぁ、女性ってそんな生き物ですよね。

(一同笑い)

川口:サンドは実に恋多き女性でしたので、すっかり片付いたショパンの部屋を想像すると、ショパンはたくさん付き合った男のひとりに過ぎなかったのか…とも思いました。

――女性の立場から考えると、サンドはショパンと別れたことがショックで、そういうことをしたのではないでしょうか。女性は過去を引きずりたくないから、その男性を思い出させるような物は全部さっさと捨てちゃって、忘れようと努力するんです。悲しいからそうするんですけどね。

川口:そうかもしれない。
だけど、僕がノアンにあるサンドの家へ行った時に一番衝撃的だったことは、ショパンの物は何も残されていなかったのですが、ショパンがピアノを弾いていた防音室の扉だけは残されていたことです。

――まぁ…。

川口:それを目の当たりにした時、鳥肌が経ちました。防音扉だけがずっと200年前から残っているんです。
ショパンの家具とか楽器が残っているよりも、ボールペンとかノートよりも生々しいと思いませんか。

ショパンの現存する作品の中で「傑作」と呼ばれるものは、ほぼノアンで書かれているのです。
ショパンにとって、ノアンはとても神聖な場所であり、本当に特別な場所だったんだなって、その地に立ってみて心底思いましたし、霊的なものすら感じました。
サンドもそんなショパンの側にいたわけで、ひょっとしたら、数々の傑作が生まれた防音室の扉だけは処分出来なかったんじゃないかな、と思いました。

――そうかもしれないですね。

川口:ノアンでこのような経験をしたということは、その時代に書かれた作品を演奏する上で非常に大きな財産になりました。
この経験以来、ショパンにとって、音楽とは人生の一部だったんだなって強く思います。音楽自体がショパンの人生の一部で、作品の中には彼の人生が詰まっている……そんなことを感じたノアン滞在でした。

――そうですね。それに、結局別れてはしまいましたが、サンドという特別な女性がいたからこそ、ショパンは傑作の数々を書けたのかもしれませんね。

川口:そう思います。もし彼がサンドと出会っていなかったら、もしノアンやマヨルカ島を訪れることがなかったら……ショパンの作品は違うものになっていたかもしれません。
ショパンの人生があったからこそ、あの作品たちが生まれたんだと思います。

――ますます10月5日の演奏会が楽しみになってきました。

川口:今回は、ジョルジュ・サンドとショパンをテーマにしたコンサートなので、素敵な楽器と共に、皆様と2人の足跡を辿ってみたいと思っています。特別な演奏会にしたいです。今からわくわくしています!

――秋の京都に鳴り響く古楽器でのショパン、わたしたちも心から楽しみにしています。貴重なお話をたくさんお聞かせいただきまして、ありがとうございました!

(2018年11月20日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都コンサートホール 大ホールホワイエ)
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フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー②

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

10月5日開催『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)にご出演される、フォルテピアノ奏者の川口成彦さん。
今回の京都公演は、川口さんにとって関西初となるフォルテピアノ・リサイタルとなります。プログラムはもちろんオール・ショパンで、使用楽器は1843年製のプレイエルです。
前回のインタビュー記事「フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー①」では、クラシック音楽との出会いやオランダでの生活についてお話いただきました。
今回は、いよいよ川口さんが第2位を受賞された「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」のお話を伺いたいと思います。

©TairaTairadate

――それでは、川口さんが第2位を受賞なさった「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」(2018年)について、お話をお聞かせくださいますか。

川口成彦さん(以降、敬称略):主催者は、あの有名な「ショパン国際ピアノコンクール」と同じ、ワルシャワのポーランド国立ショパン研究所です。
2018年はポーランド独立100周年という記念の年だったのですが、2010年のショパン生誕200年の頃から「ショパンが当時使っていた楽器を使ってコンクールをしよう」と計画されていたようです。
主催者としては、これまでの「ショパン国際ピアノコンクール」とは別に、もっとオーセンティックなものを追求していくために「古楽器を使用する」というアイディアを持っていたと思うんです。
国立ショパン研究所は「NIFC(Narodwy Instytut Fryderyka Chopina)」という自主レーベルを持っていて、このレーベルでは当時の楽器でショパンを録音するというプロジェクトを以前からやっていました。
なので、この自主レーベルで繰り広げられていたことが、コンクールとして実現した…と言っても良いと思います。

――コンクールではどのような楽器が使用されたのですか?

川口:コンクールでは、ショパンが生きていた時代の楽器が5台用意されました。プレイエル (1842)、エラール (1837)、ブロードウツド (1843)、ブッフホルツ (ca. 1825, 2017年修復)、グラーフ (ca. 1819, 2007年修復)です。
そのうち1~2次予選では、5台のフォルテピアノの中から1ステージにつき3台まで使用して良いという決まりでした。奏者が自由に決めて良かったのです。
僕は曲によって音色を変えたかったので、3台を弾き分けました。
2次予選でも3台使いました。本選では、5台のピアノに加えて、もう1台エラールが追加されました。

予選ピアノ選定(写真提供:川口成彦氏)

――1次予選と2次予選で演奏した曲を教えてください。

川口:1次はカロル・クルピンスキ(1785-1857) という、シューベルト (1797-1828) と同世代に活躍したポーランドの作曲家がいるのですが、彼のポロネーズを1曲弾きました。
そのあと、ショパンが若かりし頃に書いた《ポロネーズ》作品71-2を演奏し、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》から第2巻の第24番、そしてショパンの《12のエチュード》から作品25-10を演奏しました。これはオクターブのエチュードです。
あとは、ショパンの《バラード第2番》も演奏しました。

2次予選のプログラムはオール・ショパンでした。《2つのポロネーズ》作品26、《4つのマズルカ》作品24、そして《ソナタ第2番》作品35を演奏しました。

本選では、ショパンの《ピアノ協奏曲第2番》を選びました。

――あれ?ノクターンがありませんね?

川口:そう、課題になかったんです!それが意外でしたね。
ショパンを課題にするのであれば、ノクターンは入れるべきだと思います。
国立ショパン研究所は、もうすでに第2回の開催にむけて動き出しているそうで、5年後の開催(2023年)になります。
おそらく、第2回の課題には、第1回のコンクール課題にはなかったノクターンやスケルツォが入ってくるでしょう。

――何でもそうですが、初回は「試行錯誤」の部分が大きいですよね。
ところで、たくさんの課題曲をこなされたわけですけど、いつ頃から準備なさっていたのですか?

川口:コンクールの要項が発表されたのが2017年でした。それを見て、すぐに受けようと決心しました。
それからは、予備予選であるDVD審査のためにかなり頑張りました。

――川口さんは、古楽界では最高峰とも言われる「ブルージュ国際古楽コンクール」(2016年)のフォルテピアノ部門で最高位を受賞されていますよね。
個人的には、ブルージュで受賞なさったのだからもう十分じゃないかと思ってしまうのですが、なぜ再度コンクールにチャレンジしようと思われたのですか?

川口:いや、僕自身もブルージュで受賞した時に「コンクールはもう終わりにしよう」と思っていたのです。
僕にとって「コンクール」とは、教育システムの一環でしかないと思っています。若者がコンクールを通して学んだものを、次にどう活かせるか…といったことが「コンクール」だと思っているので。
ブルージュで受賞した後「今後どうしようか」と色々考えていたのですが、そういった時に「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」の存在を知り、「ロマン派時代の新たな作品を学ぶことが出来る大きなチャンスだ」と思って、コンクールに挑戦することを決めました。
もう一つ、大きな決め手だったのが、本選で憧れの18世紀オーケストラと共演出来る、といった点でした。それは僕にとって大きな夢の一つだったので、もしファイナルにいけたら「夢が1つ叶うな」と思いました。
その可能性が少しでもあるのなら、チャレンジしなければ勿体ないですから。

本選演奏後、使用したプレイエルを修復したエドウィン・ベウンク氏と18世紀オーケストラのティンパニ奏者マールテン・ファン・デア・ファルク氏と(写真提供:川口成彦氏)

――その夢が本当に叶ったわけですが、本選では《ピアノ協奏曲第2番》を選曲されましたね。過去の(ショパン国際ピアノコンクール)ファイナルを見ていると、圧倒的に第1番を選ぶ奏者が多いと思うのですが、なぜ第2番を選択されたのですか。

川口:2番の方が好きなんですよ。1番もとても美しい作品だと思いますが、2番の第2楽章の美しさにはかなわないです…。ただ、将来的に1番も演奏してみたいです!

――そういえば、NHKのBS1スペシャル「ショパン・時の旅人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」では、この本選の模様も取り上げられていましたけど、楽器選びで苦労されていましたね。

川口:そうなんです。僕、あの時はとにかく緊張していました。
本当は本選で「ブッフフォルツ」(※ポーランドの楽器製作者フレデリク・ブッフホルツ (1792-1837) によるフォルテピアノのレプリカ。ブッフホルツは、ワルシャワ時代のショパンが愛した楽器といわれている)という楽器を使いたかったんです。なぜかというと、ショパンの《ピアノ協奏曲第2番》の初演が行われたもブッフホルツで、その初演をワルシャワで“再現”したかった…。
それだけで夢のような話だと思って、《ピアノ協奏曲第2番》とブッフホルツという組み合わせを選んだのです。

本選まで進めると分かった時、ブッフホルツを使うと最後まで思っていました。
だけど、結論から言うとブッフホルツで弾くという選択は最後の最後で捨てました。僕は、ブッフホルツが持つ、19世紀前半までにみられたウィーン式特有のデリケー トなタッチというものには慣れているつもりでした。
でも「慣れている」という自信をなくしてしまうくらいの緊張感が、あの時にはあったんです。
僕は結局、最後にプレイエル(※フランスのピアノ・メーカー。創業者はイグナーツ・プレイエルとカミーユ・プレイエルで、1807年に設立。ショパンが愛した楽器メーカーとして知られている)を選んだのですが、ブッフホルツとプレイエルの決定的な違いは「鍵盤の浅さ」です。
プレイエルの方が鍵盤が深くて、ブッフホルツの方が浅いのです。つまり、ブッフホルツの方が、浅い鍵盤の深さの中で様々なコントロールをしなくてはいけない。
極限状態の緊張感を抱いている時、ブッフホルツに対してちゃんとタッチのコントロールが出来るかどうか、とても不安になりました。

――本番というのは、本当に何が起こるか分からないですからね。

川口:東京での学生生活を終えて間もない頃、生まれて初めてオール・モーツァルト・プログラムでリサイタルをやったことがありました。その時、緊張しすぎてしまったの か、変奏曲を演奏した時に指先のコントロールが効かなくなったのです。
その時はアントン・ワルター (1752-1826) によるフォルテピアノの復元楽器を使いましたが、過去に経験がない ほどに緊張してしまい、デリケートな鍵盤に弾き飛ばされるような感覚を覚え、難しいパッセージで指が暴れ出したことがありました。

――ああ…。それはトラウマになってしまいますね。

川口:ええ、そのときの失敗が忘れられなくて。だからショパン国際ピリオド楽器コンクールのファイナル前日に『もしかすると明日のファイナルで、お客様がたくさん聞いてくださっている中で、そして予選で落ちてしまったコンテスタントもいる中で、僕はちゃんと演奏しないといけないという責任がある。こんな重要な舞台で、自分は本当に明日、ブッフホルツを演奏出来るのだろうか?』と何度も自問自答しました。
そして結局、前日になってプレイエルに替えたのです。

リハーサルは2回あるのですが、最初のリハーサルではブッフホルツを弾きました。その時の演奏を聴いて、18世紀オーケストラの団員さんたちも「明日楽しみだね」って声をかけてくれていたんですけど、その後にどんどん恐怖心が増していきました。
そして、国立ショパン研究所に電話をして正直に「僕、ブッフホルツを演奏するという自信がなくなってしまいました。今の僕には、ブッフホルツで華麗にコンチェルトを演奏する力があるとは思えないので、プレイエルで自由に演奏させてください」と打ち明けました。

本選の舞台(写真提供:川口成彦氏)

――賢明な選択だったと思いますよ。

川口:僕は心残りはないです。自分の人生にとって、重要な舞台だったから。
翌日、18世紀オーケストラの団員さんからも「君は賢かった」と言ってもらえました。
もちろん、ブッフホルツでも良かったのかもしれません。でも「今やることではないな」と思いました。
あと、本番の舞台となったホール(国立フィルハーモニーホール)って大きいんですよ。だから、オーケストラの団員さんたちは「ピアノよりも大きい音量にならないように」と非常に神経を使って演奏していました。
ブッフホルツって、ピアノの音量が非常に小さいのです。でも、演奏するときって「楽器のコントロール」に気を使いすぎると音楽でなくなると思うんです。
頭の中が「楽器をいかにコントロールするか」っていうことでいっぱいいっぱいになったら、音楽を殺しちゃう。

――ギリギリのところで判断されたんですね。

川口:そうです。本当に、本選の前日まで『ここまでせっかくたどり着いたのだから、初演を再現したい』って思っていたのですが、もし僕があの時ブッフホルツでファイナルに挑んでいたら入賞出来なかったと思いますね。

本選出場が決まった際、国立ショパン研究所が撮影した川口さんのポートレート(写真提供:川口成彦氏)

――コンクールならではの、緊張感溢れるエピソードですね。

川口:あの前日の恐怖心と言ったら…表現出来ないくらいです。僕、前日の夜までブッフホルツを想定して、ウィーン式アクションでコンチェルトを練習していたんですから。それで『明日はこれで演奏するんだ!』『よし!弾ける!!』と気持ちを強く持つようにしていましたけど、夜になってベッドに入った時『あぁ、明日か…』と思い出したら眠れなくなって。
『これは多分…ブッフホルツを弾いちゃいけないんだな…』と思って、急いでプレイエルに替えました。

――当日のリハーサルだけプレイエルを触って、ファイナルに挑まれたということですよね。

川口:はい、そうです。

――いやぁすごいなぁ…。わたしだったら怖くて怖気づいてしまうと思います。色々な困難の中、第2位ご受賞本当におめでとうございます。

それではいよいよ、川口さんが今秋ご出演くださる、京都コンサートホール主催のコンサート『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(10/5) のお話に移りたいと思います。

▶フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー③へ続く…

(2018年11月20日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都コンサートホール 大ホールホワイエ)

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フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー①

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

10月5日開催『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)にご出演される、フォルテピアノ奏者の川口成彦さん。
川口さんといえば、昨年末にNHKで「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」の模様が放映され、大きな話題となりました。

今回の京都公演は、川口さんにとって関西初となるフォルテピアノ・リサイタルとなります!プログラムはもちろんオール・ショパンです。
メイン曲として、後世の作曲家たちに多大な影響を与えた《24の前奏曲》作品28を据えたほか、男装の女流作家ジョルジュ・サンドと過ごしたマヨルカ島及びノアンでショパンが作曲した傑作の数々をプログラミングしています。
使用楽器は1843年製のプレイエルです。

この記念すべき京都公演に向けて、川口成彦さんに特別インタビューを敢行しました。第2位を受賞された「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」のお話はもちろん、オランダでの生活やフォルテピアノなどに関する興味深い話をたくさん聞かせてくださいました。全3回にわたってお送りします!

 


――川口さんこんにちは。今日はお忙しい中、ありがとうございます。
川口さんには色々なことをお尋ねしてみたいのですが、まずは音楽を始められたきっかけについて教えてくださますか。

川口成彦さん(以下敬称略):もともとピアノは大好きで、小さい頃から弾いていたんです。でも、古楽器(フォルテピアノ)に触れたのは、東京芸術大学の楽理科に在学していた時です。
その時に、フォルテピアノ、つまり昔のピアノがあって学べるというのを知って、古楽器を始めることになりました。

なぜ、こんなにのめり込んだのかというと、それまでは「ハイドン」とか「モーツァルト」が書いた音楽に対して、距離を感じていたんです。
嫌いではないけど、好きではなかった、という感じかな。学部生だった頃は、ラフマニノフやスクリャービンとか、そういった作曲家が好きでたくさん弾いてたんですけど、モーツァルトやハイドンはどういうわけか、しっくりこなかったのです。

ところが、フォルテピアノで初めてハイドンのソナタを弾いたとき、目から鱗でした。今まで自分がハイドンの作品に対して疑問に感じていたことが、フォルテピアノという楽器を通してみると解決したのです。
その時に「あ、古典時代の作品を好きになるチャンスだ!」と思ったのがきっかけで、それからはフォルテピアノにどんどんのめりこんでいきました。

同じ大学の古楽科修士課程に進学したあとは、アムステルダム音楽院修士課程で2年間フォルテピアノを学んで、2017年に修了しました。
フォルテピアノを学び始めたきっかけは古典派の音楽でしたけど、そのあとシューベルトに広がっていき、今ではショパンとか、ブラームス、シューマンもフォルテピアノで演奏しています。
20世紀のドビュッシーなども、当時の楽器で演奏するようになりました。
いまは自分の興味ややりたいことが膨らんでいる時期だなと感じます。

――なるほど。当時の楽器に触れると、作曲家が本当に言いたかったことにまで触れられる…という感じでしょうか。
ところで、学部生の頃の専攻は「楽理科」だと仰っていましたね。何か音楽で追求したいことがあって、楽理科を選択されたのでしょうか?

川口:明確な研究テーマがあって楽理科に進学したかったわけではなく、僕はやっぱり演奏がしたかったんだなぁと思います。
ただ、僕の通っていた中学・高校は進学校で、たくさん勉強をしなければいけなかったので、ピアノを練習する時間がなかなか取れなかったんです。
でもどうしてもピアノを弾きたくて「どうしよう」と迷っていたときに、音楽を学問として深める「楽理科」という存在を知りました。
調べてみると、楽理科の卒業生には小林道夫先生(※チェンバロ、ピアノ、室内楽、指揮など活動が多方面にわたる第一人者)や武久源造先生(※鍵盤楽器奏者。特にバロック時代を得意とする)、それにジャズ・ピアニストになられた方もいらっしゃいました。
そういった大先輩の存在が、楽理科への進学を勇気付けてくれました。楽理科に入ってもピアノができる――だから、研究のためというよりも、ピアノ演奏を深めるために東京藝術大学の楽理科に進学したと言えますね。

――「演奏すること」と「研究すること」って通じていますよね。特に、古楽器奏者は半分研究者のようなところがあると思います。

川口:そうですね。やはり古楽器で演奏する理由のひとつに、「オーセンティックなものを追求する」ということがあると思います。
「当時、どう演奏されていたのか」ということを追求するうえで、アカデミックなものが必要になってくるんですよね。
だから、研究者になりたいというよりも、演奏を追求しているうちに、自然と研究している、というのが正直なところかもしれません。
とは言っても、こういった考えは古楽器奏者だけではなく、モダンの楽器を演奏する方々も持っていると思います。

――ちょっと話を戻しましょう。川口さんは東京藝大の修士課程を修められたあと、オランダに渡られていますね。なぜオランダを選ばれたのですか?

川口:それは、オランダと古楽の結びつきが深かったからです。
例えば、古楽オーケストラとして歴史を誇る18世紀オーケストラ(※オランダ出身のリコーダー奏者フランス・ブリュッヘンが創立。世界中から一流の古楽奏者が集まり、主に17~18世紀のレパートリーを得意とする)があったり、著名な鍵盤楽器奏者だったグスタフ・レオンハルト (1928-2012) もオランダ出身でした。また、チェロ奏者のアンナー・ビルスマさん(※オランダのチェロ奏者。バロック・チェロの名手として知られている)もオランダに住んでいらっしゃいます。
このような、古楽の歴史溢れる国だったので、最初からオランダで古楽を学ぶということはなんとなく希望として持っていたんです。

でも、だからといって「よし、留学しよう!」とすぐには思えなかった。
なぜなら、日本で師事した小倉貴久子先生(※日本を代表するフォルテピアノ奏者。1995年ブルージュ国際古楽コンクール フォルテピアノ部門の覇者)との関係がとても素晴らしいものだったからです。たぶん、小倉先生に師事しなければ、ここまで古楽にのめりこまなかったかもしれない。
だからこそ留学するなら、それ以上のものを――という想いがあったのです。

2015年にオランダで開催されたサマーセミナーに参加した時、当時アムステルダム音楽院の教授をされていたリチャード・エガー先生(※イギリス出身の鍵盤楽器奏者・指揮者。グスタフ・レオンハルトの弟子)に師事する機会を得たのですが、彼のレッスンはとても楽しいものでした。
何が楽しかったかというと、フォルテピアノのテクニックというよりも、彼自身が指揮者なので音楽を広く捉えることが出来た点でした。
自分が日本で学んだことをベースに、もっともっと自分が広く開けていけるようなイメージを持てたんです。

そう決めてオランダにやってきたのですが、実際、オランダで得ることが出来たものはたくさんあります。
まず第一に、一流の奏者に囲まれて、素晴らしい演奏家が身近にいてくれたこと。
彼らと一緒に演奏し、そこから学ぶことは多々ありました。レッスンでは得られない、貴重な体験です。
それから、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の団員さんとたくさん知り合えたことは自分にとって最も大きな出来事でした。

そのきっかけを作ってくれたのがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でティンパニを担当している日本人奏者でした。彼はアムステルダム出会った、大切な親友です。

そして彼とは絶対に一生忘れない思い出が出来ました。それはバルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》を一緒に録音してLPを製作したことです。
まだ彼が学生だった頃に「バルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》いつかやろうよ!」って冗談で言ってたんですけど、なんと本当にやることになったんです。
しかも話も夢も膨らんで「録音しよう!」、「CDではなくてLP作っちゃおう!」と大きく展開していきました。そんな中、彼がコンセルトヘボウの首席ティンパニの席を射止めてしまうという素晴らしい出来事もありました。

――えっ?すごいですね。バルトーク!

川口:そうなんです。最初は冗談だったんですけど、どんどん真剣になっていって。
でも結果的に、この経験が僕の音楽人生を大きく変えることになりました。

――なぜ?

川口:僕、それまでいわゆる「古楽」のアカデミックな部分にこだわりすぎていたんですよね。「音楽」をやりたい中、「古楽」というものに出会ってから学んだことばかりに気を取られていました。
何でもそうかもしれませんが、専門的になりすぎると頭の思考が柔軟でなくなり、重要なことを見落としやすくなります。 でもそういった狭い視野が、モダン楽器で活躍されている方やモダンオーケストラの団員との出会いに恵まれ、どんどん広くなっていったのです。
そし て、違う目線から自分の音楽を再び捉えることになりました。それが、自分にとって本当に大きな出来事だったのです。

結局、1年かけてバルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》を演奏したのですが、この作品に挑戦するためにこれまでの人生で一番労力を使いました。
この作品ではフォルテピアノではなくモダンピアノを演奏しているのですが、逆にこの作品を演奏したおかげで、古楽器奏者として足りないものが全部浮き彫りになりました。
アンサンブル能力も欠けていましたし、自分のリズム感覚も浮き彫りになっていきました。

――バルトークだから、余計にはっきりと見えたのでしょうね。

川口:そうなんです。あの作品は、当時の僕にとって非常に大切なものが凝縮されていました。

――実現してよかったですね。

川口:そう、僕はオランダでの人との出会いに恵まれたのです。
アムステルダムに飛び込んでいった先にいた人々は、非常に意識の高い人々でした。自分が到底追いつけない次元の人たちです。そういった人たちを見て、自分もそうなりたい…、そう思って必死で頑張ったのが良かったと思います。

――演奏家としての幅も広がったし、一人の人間としての視野も広がったっていうことですね。
このように、視野がどんどん広がっていった矢先に受けられたのが「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」でしたね。このコンクールでは第2位を受賞されて、日本のみならず世界中で話題となりました。
それでは次に、このコンクールのお話を伺ってみたいと思います。

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(2018年11月20日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都コンサートホール 大ホールホワイエ)

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