「音楽家の枠を越えたリヒャルト・ワーグナー」音楽学者 岡田暁生 特別インタビュー【前半】(2023.11.18 京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクト Vol.4『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編))

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京都コンサートホール

ドイツ・ロマン派時代の頂点に立つ作曲家、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)。今年で生誕210年・没後140年を迎えます。
「京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクト Vol.4」公演では、日本のワーグナー演奏の第一人者ともいうべきマエストロ沼尻竜典氏を指揮に迎え、京都市交響楽団と共に特別なオール・ワーグナー・プログラムをお届けします。
コンサートに先立ち、「ワーグナーを知るためのプレ・レクチャー」を8月から3回にわたりお送りしています。講師は、京都大学人文科学研究所教授の岡田暁生さんです。第1回(8月25日)は「ワーグナーの人生」、第2回(9月22日)は「ワーグナーの魔力」というタイトルでお話してくださり、第3回(10月27日)は「ワーグナーと近代」についてレクチャーをしてくださる予定です。

今回は、ご自身もワーグナー(音楽)のファンであり、指揮者の沼尻竜典さんとも親交のある岡田暁生さんに「リヒャルト・ワーグナー」や「京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.4」にまつわるさまざまなお話を伺いました。
「前半」と「後半」の2回に分けて掲載します。

(聞き手:京都コンサートホールプロデューサー 高野 裕子)


高野:8月、9月と2回にわたり、ワーグナーに関する濃密なレクチャーをいただき、誠にありがとうございました。今日はレクチャーに参加されていないお客様にもワーグナーの魅力をお伝えしたく、岡田先生にいろいろなご質問をさせていただきます。
まず、19世紀の音楽史において、リヒャルト・ワーグナーという人物はどのような立ち位置にあったのか教えていただけますか。

岡田暁生氏(以下、敬称略):「19世紀の総合」、そして「20世紀の展望」、それに尽きるでしょう。つまりワーグナーは、19世紀に至るまでのさまざまな音楽の流れを総合し、それを20世紀の色々な音楽の流れに繋げた人物だということです。いま言った「20世紀の色々な音楽」には、ドビュッシーやシェーンベルクはもちろん入りますし、映画音楽やアニメ的な音楽まで入ります。ハリウッド映画の音楽にまで射程が及ぶというのは、ワーグナーにしかできない凄さだと思いますね。

高野:「オペラ作曲家」という枠に収まりきらないということですね。

岡田:そう、それを遥かに越えた人物です。この時代、こういう作曲家はほかにいません。

高野:ワーグナーはオペラや楽劇をたくさん書いた作曲家ですが、彼はそれらを通して何を目指したのでしょうか。

岡田:「世界を表現したかった」のではないでしょうか。世界が始まってから滅亡するまでを作品の中で描きたかった。言い換えれば、「近代の神話」を作りたかったのだと思います。
我々の一番の不幸といえば、世界の断片化だと考えます。例えば、私たちは各々の仕事以外のことは興味がないですよね。自分の仕事が世界の中でどうなっているかなんて、多くの人々は考えもしないでしょう。世界全体を憂いて、今後どうなっていくのかという視点を「持ちたい」とは思っても、なかなか持てないものです。なぜなら、世界が細分化・専門化しすぎて、全体像が見えなくなってきているからです。ワーグナーはそれをもう一度、「これが世界だ」ということを見せたかったのではないでしょうか。特に『ニーベルングの指環』では、そういうことを表現したかったのではないかと思います。

高野:ワーグナーがそのような考えに及ぶようになったきっかけはあったのでしょうか。

岡田:「資本主義に対する呪い」、「近代社会への呪い」ですね。ドイツの哲学者のカール・マルクスが当時、ワーグナーと同じような立場から物を考えていました。彼は、「資本とは何か」と考え、「この状況を放置すると、とんでもないことになるぞ」と心配していたのです。ワーグナーが『ニーベルングの指環』で描いたことは、まさにこういった「資本主義批判」なのです。この世界はいずれ滅びるだろう、滅びた後どのように世界が蘇るのか、それとも蘇らないのか、ということを作品で表現しようとしました。ここまで大きな視点で音楽を構想した人は、昔も今もひっくるめて、存在しないのではないでしょうか。

高野:確かにそうですね。ワーグナーは神話の世界を描こうとしましたが、同時代人のイタリアやフランスのオペラを見てみると、「私たちの目から見た現実世界」を描いていますからね。

岡田:そうそう、「私の恋は一体どうなるの」という視点で物語が進みますよね。
さらに、ワーグナーは『ニーベルングの指環』の中で、環境問題を予言しているようにも思えます。人間が「黄金」という資源をラインの乙女から奪い、またありとあらゆる地下資源を小人に繰り返し掘り起こさせて、そして黄金で作った指環で世界を支配し、結局滅びていく・・・という物語ですから。ヴァルハラ城が火で焼けて、洪水が来る・・・という話は、ある意味、21世紀の現在でも通じるテーマでしょう。
また同時に、ワーグナーは「どうすれば欲望から人間が救われるか」というテーマも常に頭の中にあったようです。これは、ほとんど宗教的なテーマとも言えますが。

高野:このようなワーグナーのオペラや楽劇は当時、誰に向けて書かれたのでしょうか。例えば、イタリアやフランスの作曲家たちは、さまざまな層の音楽愛好家に向けて音楽を書いていましたが、ワーグナーの作品はとても同じようなジャンルの音楽には思えません。

岡田:ワーグナーはまだ見ぬ未来の人類に向かって書いていたのだと思います。いわば、未来へのメッセージですね。同時代の人々に向けて書いていたとは考えられません。

高野:当時の人々は、ワーグナーがそのような壮大なテーマを掲げて作品を書いていたことに気付いていたのでしょうか。

岡田:一部の知識人は、確実に気がついていたでしょうね。例えば、フランスの象徴主義の詩人シャルル・ボードレールや哲学者アンリ・ベルクソン、ドイツの思想家フリードリヒ・ニーチェなど、思想界や文学界、美術界など、あらゆるジャンルの知識人たちがワーグナーの音楽を聴いて、「これだ!」と思ったわけですからね。昔は、教会の儀礼の中に音楽や美術が統合されて、一つの世界が形作られていたのですが、音楽、彫刻、美術などと世界が細分化されていくにつれ、世界を「一つのものとして見る」というプロセスがなくなっていきました。ワーグナーが「総合芸術」を目指したのは、そのような文脈があったのだと思います。つまり、もう一度「世界を見る」というテーマから芸術を作ろうとしたわけです。ワーグナーに陶酔した当時の知識人たちは、そういった考えに共感したのでしょう。

高野:ところで、岡田先生は8月のレクチャーの中で、「ワーグナー自身は《さまよえるオランダ人》以前の作品は自分の作品だと認めたくなかった」とお話されました。ワーグナーの作風が確立するに至った、つまり、ワーグナーに影響を与えた人物や事象は何だったのでしょうか。

岡田:ワーグナーが本当に“化け始める”のは、お尋ね者になってからです(注:ワーグナーは1849年のドイツ三月革命の革命運動に参加し、失敗。その後、全国で指名手配され、スイス・チューリッヒで9年間の亡命生活を送った。その間に『ニーベルングの指環』に着手した)。つまり、『ニーベルングの指環』以降ですね。《ローエングリン》までは、例えばドレスデンやパリなどの劇場のために、現実の枠の中で考えた作品を書いていましたが、お尋ね者になってからは時間もたっぷりありましたから、想像力の羽を伸ばそうとしたのですよね。当時、チケットの売れ行きを気にせず、自分のしたいことを徹底的にするだけの時間とお金があったのです。

高野:なるほど。ワーグナーは20年近くかけて『ニーベルングの指環』を書いています。それだけの時間を費やして、未来へのメッセージを書き続けていたわけですね。

岡田:彼は「近代の神話」を作りたかったのでしょうね。神話は未来永劫に語り継がれますから。芸術を通して、神なき世界に新しい宗教を作りたかったのではないでしょうか。

高野:ワーグナーは本当に宗教的ですよね。

岡田:ワーグナーは骨の髄までプロテスタントでしたが、J.S.バッハのように、神が存在していると心の底から信じられるほど無邪気な人ではありませんでした。時代的なものもありますが、当然ながら神に対して疑いのようなものを持っていたと思いますよ。本当のところは、神に救ってほしかったのでしょうね。滅びるのが怖かったから。死ぬのが怖い、と言ったほうが良いでしょうか。

高野:「神」といえば、「神々の死」を唱えたニーチェが思い出されます。さきほどニーチェがワーグナーに共感したという話題が出てきましたが、ニーチェとワーグナーは当時どのような関係だったのでしょうか。

岡田:ニーチェはワーグナー信者でした。ニーチェもワーグナーも、近代の最大の問題は、宗教的観念の滅亡であると考えた人物でした。ニーチェが初期のワーグナーにピンときたのは、そういった背景があるからです。ところが、ワーグナーの中にあるエセ宗教的なところと言いますか、自分を神格化しようとする体質があるとニーチェが見抜いてしまい、最終的には離反しました。

高野:実際問題、ワーグナーは自分を神に仕立てたかったのでしょうか。

岡田:そうだと思います。だから、離反したニーチェの気持ちは分かります。ただ、近代の芸術家は、ある種ポピュリスト的な資質がなければ、公衆に訴えかけることができないですよね。政治家にも共通する事柄だと思いますが、広く公衆に訴えかけるために、俗受けすることを躊躇しない胆力がないとダメ。ワーグナーはそういったポピュリスト的な資質を持った人間でした。

高野:ワーグナー人気は、このような資質にも起因しているのでしょうね。

岡田:はい。近代の作曲家を見てみると、大なり小なり、こういったある種の「はったりを躊躇しない力」が備わっているように思います。ワーグナーほどではないですが、マーラーやリヒャルト・シュトラウス、ラヴェルなどもそうではないでしょうか。リヒャルト・シュトラウスは、とある二流の作曲家について「彼はすごく良い音楽家だけれども、唯一欠けているものがある。それは、下品と言われることをためらいすぎることである」と言ったそうです。これは金言ですよね。巨匠は「下品」と言われることを時にためらわないですから。

高野:さて、話題をワーグナーのオペラに戻します。
ワーグナーは作曲だけではなく、脚本も書いていましたが、そちらの評価は当時どうだったのでしょうか。

岡田:文学的な質は低いですが、音楽と一体となれば話は別です。彼は自分の世界を自ら創出したかったので、すべて自分で担っていました。台本をほかの誰かに書かせたら、自分だけの世界ではなくなりますから。全ての起源に自分を関わらせたかったのでしょう。

高野:ワーグナーは舞台装置にもこだわったと聞きました。

岡田:そうです、ものすごくこだわりました。ワーグナーは演出家として一流だったそうです。舞台の仕組などにも非常に詳しかったと言われています。もしワーグナーが現代に生きていたら、作曲もできる「ハリウッドの映画監督」になっていたかもしれません。

高野:当時から、そんなワーグナーの存在は偉大だったと思いますが、ワーグナーから影響を受けた作曲家はたくさんいたのでしょうね。

岡田:影響を受けなかった作曲家はいないでしょう。ジョン・ウィリアムズも、ワーグナーがいなかったら「スター・ウォーズのテーマ」を書いていなかったかもしれません。

高野:逆に言えば、「ワーグナーから絶対に影響を受けたくない!」と頑なに思っていた作曲家もいたのではないでしょうか。

岡田:それもみんな思っていたでしょうね。「影響を受けたくない」と思っていること自体、影響を受けているわけですから。みんな、ワーグナーから逃れられないのです。リヒャルト・シュトラウスは「ワーグナーは乗り越えられる壁ではないから、自分はその回り道をした」と言っています。ストラヴィンスキーも初期の作品は、ワグネリズム全開です。
ワーグナーが作品の中で達成してみせた“観客に宗教的法悦を体験させる”ことを、みんなやってみたかったのでしょうね。

高野:前から不思議に思っていたのですが、ワーグナーの音楽って、無宗教のわたしなどが聴いたとしても、宗教的なエクスタシーをなぜか感じてしまうのです。

岡田:ワーグナーはそれがやりたかったのですよ。音楽を通して、新しい宗教を創りたかったのです。そして、それは成功したと言えるでしょうね。
つまりワーグナーは、音楽家の枠を越えた人物だったのです。

――【後半】に続く――


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京都コンサートホール×京都市交響楽団 プロジェクト Vol. 4
ワーグナー生誕210年×没後140年
「『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編)」
2023年11月18日(土)14時30分開演(13時45分開場)
京都コンサートホール  大ホール
<オール・ワーグナー・プログラム>
《ニュルンベルクのマイスタージンガー》より  第1幕への前奏曲
《トリスタンとイゾルデ》より 〈前奏曲〉〈愛の死〉
『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編)
[指揮]沼尻竜典
[ソプラノ]ステファニー・ミュター [バリトン]青山 貴
[演奏]京都市交響楽団

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