京都市立芸術大学 副学長 大嶋義実×京都コンサートホール プロデューサー 高野裕子 対談<後編>(Kyoto Music Caravan 2023)

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京都コンサートホール

2023年、京都市立芸術大学の新キャンパス移転と文化庁の京都移転を記念して、京都市内で開催中のクラシック音楽の一大イベント「Kyoto Music Caravan 2023」。京都市11行政区それぞれの名所や観光地で無料コンサートを開催しており、その締めくくりとして「スペシャル・コンサート」を京都市立芸術大学の新キャンパスで行います。

10月1日に京都市立芸術大学の新キャンパスがオープンしたことを記念し、京都市立芸術大学副学長の大嶋義実教授と、Kyoto Music Caravan 2023のディレクターである京都コンサートホールプロデューサーの高野裕子による対談を2回に分けて実施しました。
前編では本企画が生まれた背景についてお届けしましたが、後編では京都芸大の新キャンパスや「スペシャル・コンサート」についてお送りします。
ぜひ最後までご覧ください。

(聞き手:京都コンサートホール 中田 寿)

――今回は対談の後編ということで、「スペシャル・コンサート」を行う、新キャンパスの堀場信吉記念ホールにやってまいりました。新しいキャンパスはいかがですか?

大嶋氏(以下、敬称略):新キャンパスのコンセプトは「テラスのような大学」です。外側に向かって開かれ、社会の中から少し浮き上がっていて、人が自由に出たり入ったりできるような大学を目指しています。
実際にほんの一週間だけ使っていても、見事にそのコンセプトを表現できているように感じています。

――一般の方が入れるスペースもあるのでしょうか。

大嶋:そうですね。まだ準備中のところもありますが、図書館など一般の方が自由に入れるスペースはあります。もちろん練習室などはセキュリティがしっかりしています。いま対談を行っているこのホールは、11月2日の杮落とし公演で、一般の方々にも開放されます。

堀場信吉記念ホール(京都市立芸術大学)

――高野さんは新キャンパスに本日初めて入られたと思いますが、第一印象はいかがですか?

高野:ガラス張りのキャンパスで、外側から光がたくさん入るせいか、全体的に明るい印象を受けました。京都駅からのアクセスが抜群に良いですね。

大嶋:そうですね。駅からこのホールまでだと徒歩5分で来られると思います。

高野:ロケーションとしても京都の中心地にありますし、雰囲気も明るくて開放的なキャンパスですので、人がどんどん集まる大学になるのではないかなと思います。

大嶋:本当にそういう大学になりたいですね。

――京都駅付近は観光客の方も多いので、そういった学外の方々もこのキャンパスに興味を持たれるかもしれませんね。

芸大通(京都市立芸術大学)©市川靖史

大嶋:このホールが入っている建物と隣の建物の間に、道が一本入っています。我々はそれを「芸大通」と呼んでいるのですが、そこは誰もが入れるエリアで、すでに外国の観光客の方々がリュックサックを背負って歩いているのを幾度も見ています。

高野:沓掛キャンパスでは見られなかった光景ですよね。

大嶋:そうですね。その前の岡崎キャンパスは、平安神宮と塀一枚しか隔てられてなかったので、外国の方がよく平安神宮と間違えて、キャンパスに入って来たことを思い出します。

――大嶋さんが新キャンパスで特に注目している場所はどこですか?

大嶋:さきほどお話した「芸大通」は南北を通る道ですが、東西の通りには大階段があります。将来的にはそこで、美術と音楽の学生がコラボレーションしてパフォーマンスができたらいいなと思っています。

――素敵ですね!
いま私たちがいる「堀場信吉記念ホール」はどのようなコンセプトのもとで設計されたのでしょうか。

大嶋:まず客席数について、小さすぎず大きすぎず、京都のクラシック音楽用のホールにはない「800席」という規模が選ばれました。この「800席」という数字は、大学の式典等をするのにもぴったりのサイズなんですよ。
あとは、オペラにもオーケストラの響きにも合うように設計されました。京都コンサートホール 大ホールと同じ「シューボックス」型のホールですが、前4列は座席を収納するとオーケストラ・ピットにもできる仕様になっています。

高野:学生たちの実技試験もこのホールで行われるのでしょうか。

大嶋:はい、その予定です。

高野:響きがとても良いので、このホールでオーケストラの練習や実技試験をしたら、演奏家としての「よい耳」が育つでしょうね。

大嶋:そうですね。練習室ばかりではなくて、音響のいいホールで演奏経験を積めるのは、学生たちにとって大きな自信に繋がると思います。
私は教育機関に併設されているホールを「道場」とよく呼んでいますが、学生たちにはこの「道場」で自分の技を磨いて卒業してほしいなと思っています。

高野:今回の移転で新しいピアノを何台か導入されたそうですね。

大嶋:はい、本当にありがたいことにご寄付をいただき、新しく3台のピアノを迎えることができました。

高野:ご寄付いただけるなんて、素晴らしいことですね。

大嶋:卒業生など様々な方々からご縁を繋げていただき、一件一件直接お願いしに伺いました。たくさんの方々から今回の移転に対してご賛同いただき、多くのご寄付をいただけたことは、本当に嬉しかったです。
本学には「笠原記念アンサンブルホール」という名前のホールがもう一つあるのですが、その名前の由来になった株式会社MIXI創設者の笠原健治さんのお母さまは、京都芸大で35年間ピアノを教えていらっしゃったピアノの先生でした。そのようなご縁でMIXIの本社に伺って寄付をお願いしましたら、快く賛同してくださいました。
また、京都市内の楽器屋さんから「京都芸大の移転は音楽業界にとって非常に大切なこと。今後も良い音楽家をたくさん輩出する良い大学になってほしい」とご寄付してくださったんです。そのお気持ちは涙が出るほどありがたかったです。

笠原記念アンサンブルホール(京都市立芸術大学)©市川靖史

高野:たくさんの方のご尽力があってこの移転が実現したということですね。

大嶋:本当にその通りです。

――次はスペシャルコンサートについてお伺いします。いま対談を行っているこの会場で『Kyoto Music Caravan 2023』の締めくくりとなる「スペシャルコンサート」を2024年3月30日に開催します。どういった意図で企画されましたか。

高野:Kyoto Music Caravan 2023』の最後を飾る「スペシャルコンサート」は、とにかく明るくて楽しいコンサートにしたいと思っていました。このコンサートが「終わり」ではなく、ここから何かが始まって、それがずっと先にまで繋がっていってほしいと気持ちがあったのです。
そこで、京都芸大の在学生はもちろん、京都にはクラシック音楽を学ぶ子どもたちがたくさんいますから、彼らにも出演していただくことで、京都の「未来の音楽シーン」を明るく華やかに描けるのではないかと考えました。

――なぜ京都芸大の学生だけでなく、子どもたちにも出演をお願いしたのでしょうか。

高野:京都は、クラシック音楽を学ぶ土壌が整っているまちだと思っています。京都子どもの音楽教室や京都市少年合唱団、京都市ジュニアオーケストラ、そして京都堀川音楽高校と、様々なジャンルのクラシック音楽を小さい時から学べるのです。子どもたちが成長して、クラシック音楽を本格的に学びたいと思った時は、京都市立芸術大学音楽学部への進学を目指すことができます。
この京都らしさや強みをコンサートを通して伝えたいと思っています。

――こんなにも音楽教育の環境が充実している町はなかなかないですよね。合同演奏では、阪哲朗さんが指揮を務めてくださいますね。

阪哲朗 ©Florian Hammerich

高野:はい、阪先生は京都芸大のご出身で、現在は母校の指揮科教授を務めていらっしゃり、かつ日本を代表する指揮者でいらっしゃいます。最後のステージを飾ってくださるのは、阪先生しかいらっしゃらない・・・という気持ちでご出演をお願いさせていただきました。

大嶋:阪先生は非常にお忙しい先生ですから、ご出演くださるのは有り難いですね。

高野:そうなんです。ご多忙でいらっしゃるにもかかわらず「スペシャル・コンサート」のためにご予定を空けてくださったのは、阪先生が母校の新キャンパスや子どもたちとの共演に期待してくださっているからだと思います。

――そんな阪先生と子どもたちがこのステージで演奏するのですね。

大嶋:このホールの名前にもなっている堀場信吉先生は、京都芸大の前身である「京都市立音楽短期大学」ができた時の最初の学長で、音楽学部の基礎を作ってくださった方です。信吉先生は、音楽家のキャリア形成を大変重要視されていて、京都芸大だけでなく京都市立堀川高等学校音楽課程(現 京都市立京都堀川音楽高等学校)のことも気にかけていたそうです。

高野:音楽家のキャリア形成を重要視されていたなんて、時代を先取りしていらっしゃったような先生だったのですね。

大嶋:はい、そうですね。
今回のコンサートで、そんな信吉先生の想いを受けた学校の生徒たちが、先生の名前の付いたホールで演奏するところを、皆さまにご鑑賞いただけるのは嬉しいですね。そして演奏者たちには、信吉先生に「聴いてくださっていますか」という気持ちで演奏してもらいたいと思います。

京都市立京都堀川音楽高等学校

――今回の出演団体の一つである「京都子どもの音楽教室」は、短期大学設立の翌年である1953年に創立されていますので、音楽教室にも信吉先生の想いが繋がっているかもしれませんね。

大嶋:その通りだと思います。音楽教室はもともと京都芸大の教員による「音楽教育研究会」が運営していました。幼い頃からの音楽教育は子どもたちの人格形成にかならずや良い影響をおよぼすであろうと信じ長年活動してきました。食べることにも困っていたはずの戦後すぐの時代に未来を見据えて「これからの子どもたちには音楽が必要である」とおそらく考えられた信吉先生の思いを我々も引き継いでいかねばならないと感じています。

京都子どもの音楽教室

――スペシャルコンサートでは、そんな想いを受け継いだ子どもたちが演奏を披露してくださるわけですね。

高野:プログラム前半は単独ステージとして、音楽教室・少年合唱団・ジュニアオーケストラ・堀川音楽高校がそれぞれの演奏を披露してくださいます。
プログラム後半は、京都芸大の学生たちと子どもたちが一緒になって、ジョン・ラターの《グローリア》を演奏し、華やかにコンサートを締めくくります。

京都市ジュニアオーケストラ©Tatsuo Sasaki

――後半は全員で演奏するわけですね。

高野:そうですね。芸大生であるお兄さん・お姉さんの隣で子どもたちも一緒に演奏することが大切だと思っています。

――そういう機会はあまりないのでしょうか?

大嶋:子どもの音楽教室や堀川音楽高校の演奏会を京都芸大生が手伝うことはありますが、同じ仲間として一つの演奏会を作り上げるということはこれまであまりなかったのではないでしょうか。その光景を見たら、信吉先生もきっと天国で喜んでくださると思います。

京都市少年合唱団

――たくさんのお客さまにお越しいただきたいですね。

高野:クラシック音楽がお好きな方はもちろん、近隣の方々や子どもたちの演奏を聴いてみたい方、新キャンパスに興味がある方、さまざまなお客さまにお越しいただきたいです。

――コンサートを通して、お客さまにどのようなことを伝えたいですか。

高野:昨今の世界では様々なことが起こっていますが、「京都の文化芸術の未来はきっと楽しいものになるにちがいない」と感じていただきたいです。また、たくさんの方々に、京都ゆかりの音楽家たちの活動を応援していただきたいです。

大嶋:11区で行っている無料コンサートにお越しくださったお客さまがスペシャルコンサートにも来てくださったら嬉しいですね。

――市内11区のコンサートでは私たちがホールを飛び出して演奏をお届けしていますが、今度は皆さまに京都芸大のホールへお越しいただくことになりますね。

高野:11区で開催している無料コンサートでは、さまざまなお客さまがお越しくださっているのだなと感じます。なかには、「クラシック音楽にはあまり興味がなかったけれど、お寺や神社でのコンサートが気になったから来てみました」というお客さまもいらっしゃるわけです。このようなお客さまって、ホールで演奏会を開催している時にはあまり出会うことのできないタイプのお客さまなんですよね。そういった新たな出会いがとても嬉しいです。

大嶋:スペシャルコンサートを聴いたことで、クラシック音楽ファンになって、京都コンサートホールにも行ってみようと思ってくださったら、本当にいいですよね。

――ぜひそうなってほしいです。本企画でホールを出て様々な会場でコンサートをしたことで感じたことはありましたか?

高野:ホールでお客さまがいらっしゃるのを待つだけではなく、こちらから出向いて生演奏を届けながら、ホールの存在をアピールすることが大切だなと感じました。先ほどもお話しましたが、新たなファン層を獲得するために必要なプロセスだと考えています。

大嶋:本企画を通して、これまで繋がらなかった音楽家や会場を提供してくださった各会場の皆さんと出会えたことも大きな収穫でしたね。

高野:それは本当にそうですね。今回、素晴らしい音楽家がまだたくさんいることをあらためて認識しましたので、どんどん外へ出て色んな若い音楽家たちと出会いたいと強く思いました。

――では最後に、今後も魅力的な「文化芸術都市・京都」であり続けるために、必要だと思われることを教えてください。

大嶋:まず京都芸大としては、良い卒業生を送り出すこと、そのためには良い先生が活発な活動をされること、それに尽きますね。学生や先生が自分のクリエイティビティを今まで以上に発揮できる環境になれば、より良い演奏研究やより良い音楽教育に繋がると思います。そうなれば自然に「京都芸大が面白いことやっている」と外に伝わっていくのではないでしょうか。
また京都の未来については、有名なアーティストのコンサートだから聴きに行くのではなく、京都コンサートホールの企画だから行く、京都に行けば内容の濃い音楽に触れられる、となってほしいと思っています。
そのための人材供給を京都芸大ができたら、これほど嬉しいことはないと思っています。

――高野さんは、今後の京都の文化芸術シーンを盛り上げるために、どのようなホールであり続けたいと思っていますか。

高野:京都コンサートホールでは、2019年からアウトリーチ事業に力を入れてきました。あらゆる方々に生演奏をお届けしてファン層を拡大していく、京都で活躍する若手音楽家の活動の場を公共ホールが広げていく――そういったことを目的とした事業です。このアウトリーチ事業と『Kyoto Music Caravan 2023』は違う事業のように見えるかもしれませんが、目指す方向性は同じです。今後もわたしたちは、地元京都ゆかりの音楽家を応援し続けるホールでありたいと考えています。

また本企画を通じて、京都芸大との連携について大きな可能性を見出すことができました。今後、当ホールや京都芸大、堀川音楽高校、子どもの音楽教室、少年合唱団、ジュニアオーケストラが連携しながら互いに発展していけるかどうか・・・それが、京都のクラシック音楽界の発展にも繋がっていくと思っています。京都コンサートホールは、みんなをつなぐ「ハブ」のような役割として、今後も機能していきたいです。

――たくさんお話を聞かせていただき、ありがとうございました。『Kyoto Music Caravan 2023』はまだ続きますので、引き続きよろしくお願いいたします。

 


大嶋 義実(おおしま・よしみ)
京都芸大卒業後、ウィーン国立音大を最優秀で卒業。プラハ放送響首席奏者、群響第一奏者を歴任。現在京都芸大副学長・理事、同大音楽学部・研究科教授を兼任している。
日本音コンをはじめとする内外のコンクールに入賞入選。ソリストとして国内はもとよりヨーロッパ各地、アジア諸都市で毎年公演を行なうほか、プラハ響、群響、京響をはじめ数多くのオーケストラと協演。多数のCD他、著書に《音楽力が高まる17の「なに?」》、第1回音楽本大賞読者賞を受賞した《演奏家が語る音楽の哲学》がある。

 

高野 裕子(たかの・ゆうこ)
京都市出身。京都市立音楽高等学校(現 京都市立京都堀川音楽高等学校)、京都市立芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業後、同大学大学院音楽研究科修士課程、博士後期課程を修了。博士(音楽学)。2009~13年フランス政府給費留学生及びロームミュージックファンデーション奨学生としてトゥール大学大学院博士課程・トゥール地方音楽院古楽科第3課程に留学。2017年4月より京都コンサートホールに勤務し、現在 京都コンサートホールプロデューサーおよび事業企画課長。


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「音楽家の枠を越えたリヒャルト・ワーグナー」音楽学者 岡田暁生 特別インタビュー【後半】(2023.11.18 京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクト Vol.4『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編))

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京都コンサートホール

2023年、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)が生誕210年・没後140年を迎えます。「京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクト Vol.4」公演では、日本のワーグナー演奏の第一人者ともいうべきマエストロ沼尻竜典を指揮に迎え、京都市交響楽団と共に特別なオール・ワーグナー・プログラムをお届けします。

コンサートをより楽しんでいただくため、8月から3回にわたり開催している「ワーグナーを知るためのプレ・レクチャー」。講師は、ご自身もワーグナー(音楽)のファンであり、沼尻マエストロとも親交のある、岡田暁生さんです。
そんな岡田さんにインタビューを行い、前半記事ではワーグナーにまつわるお話を伺いました。後半記事では、沼尻竜典さんやプログラムに関するお話をお送りします。

(聞き手:京都コンサートホールプロデューサー 高野 裕子)


高野:リヒャルト・ワーグナーのお話の次は、指揮者の沼尻竜典さんに関するお話を伺います。沼尻さんの指揮者としての最大の魅力はどこにあるとお考えですか。

岡田暁生氏(以下、敬称略):オーケストラを自在に操る制御能力でしょう。沼尻さんは桐朋学園大学のご出身で、最初は三善晃先生のもと作曲を学ばれたのですよね。ですから単にスコアを正確に再現するというだけではなく、作品を内側から創造するような指揮をされると思います。

高野:先日、京都市交響楽団の第680回定期演奏会(2023年7月15日)で指揮をなさった「サロメ」を拝聴しましたが、京響との相性も最高でした。

岡田:とても素晴らしかったと思います。最近は、オーケストラの制御能力に加えて、声楽的な表現を自由自在に操れるようになっていらっしゃいます。日本の指揮者は、ピアノ2台で指揮の勉強をするので、どうしても器楽的な表現になってしまうのですよね。しかし沼尻さんは、あれだけオペラを振ってこられていますから、オーケストラを振る時であっても声楽的なしなやかさを持ちながら、奏者の呼吸を読んで指揮なさっています。

高野:確かに、沼尻さんの指揮姿を拝見していても、息苦しさといったものを一切感じません。

岡田:そうですね。

高野:今年の3月、沼尻さんは16年間務めたびわ湖ホールの芸術監督を退任なさいました。在任中、びわ湖ホールでさまざまなオペラを演奏されましたが、特筆すべきは、バイロイト音楽祭で上演されるワーグナーの10作品全て(W10)を上演なさったことです。
一人の指揮者が一つの劇場でW10すべてを完遂したのは、沼尻さん&びわ湖ホールが国内初だそうで、本当に凄いことを成し遂げられたのだなと思います。

岡田:ワーグナーのオペラは本場ドイツでも人気ですが、そうそう簡単に上演できる作品ではないですからね。難しいし、規模が大きい。特に『ニーベルングの指環』は編成がとてつもなく大きいです。《マイスタージンガー》を上演しようとすると、合唱も必要ですし。また、『ニーベルングの指環』や《マイスタージンガー》、《パルジファル》といった作品は特別なものなので、普段から気軽に上演するものではないのです。このように、本場ドイツでもなかなか上演できない作品を、沼尻さんとびわ湖ホールは毎年聴かせてくれました。しかも、非常に高い水準で演奏してくださったのです。これは、素晴らしいことです。

高野:沼尻さんと共に演奏した京都市交響楽団の功績も大きいですよね。

岡田:本当に素晴らしかった。ドイツのオペラ劇場のオーケストラよりはるかに水準が高いと思うこともしばしばでした。オペラのオーケストラに必要なのは、シンフォニー・オーケストラのような正確さとは少し違います。むしろドラマの流れを作り出し、歌手を引き立て、最後にクライマックスをもってくるという、黒子の役割です。京響はそういった要望にも応えながら、シンフォニーオーケストラとしての器楽的コントロールの確かさ、響きの重厚さといったものをみせてくれました。また、京響はワーグナー作品のように長大なオペラであっても手を抜くことなく、最初から最後まで高いレベルで演奏します。本場ドイツでも、京響ほど素晴らしいオーケストラを聴ける機会はあまりないですよ。

高野:京響をこんなに褒めてくださり、わたしまで嬉しくなりました。ありがとうございます。ところで沼尻さんは、日本の若手歌手の演奏をできる限り普段からたくさん聴くようにしていると仰っていました。

沼尻竜典氏 ©RYOICHI ARATANI

岡田:沼尻さんは、原則として日本人を中心にキャスティングなさっていました。これも偉業と言って良いでしょう。バリトン歌手の青山貴さんを抜擢なさったのも沼尻さんです。沼尻さんは、一つのオペラを上演するために、ダブルキャストとカバー歌手、合計3名の歌手を準備なさっていました。3人の歌手を相手にオペラを準備するということは、指揮者にとって非常に大変なことです。これは、後々の世代に対しても(経験を積んだ歌手をたくさん育てるという意味で)絶大な遺産になっていると思います。

高野:さて、今回の「京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクト Vol.4」では、沼尻さんがすべて選曲してくださいました。オール・ワーグナー・プログラムで、前半は《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の前奏曲、《トリスタンとイゾルデ》から2曲、そして後半は「ハイライト・沼尻編」として『ニーベルングの指環』を約1時間に凝縮してお届けする予定です。びわ湖ホールのオペラで沼尻さんとご一緒されていた、ソプラノ歌手のステファニー・ミュターさんとバリトン歌手の青山貴さんもご出演くださいます。

岡田:ワーグナーが作曲家として一番成熟していた頃の作品ばかりです。沼尻さんは、ワーグナーが先人の影響から完全に脱却して、力が最もみなぎっていた時代に書いたものを意識して選ばれたのでしょうね。

高野:沼尻さんのワーグナー演奏については、どのように感じていらっしゃいますか。

岡田:ワーグナーと言えば「ドイツ的で重厚」みたいな通念がありますが、そういうステレオタイプから解放された、とても自由に呼吸が出来るワーグナーですね。ワーグナーが20世紀モダニズムに大きな影響を与えたことはいうまでもありませんが、例えばドビュッシーやラヴェル、あるいはリヒャルト・シュトラウスやマーラーの側から光を当てたワーグナー、という印象を持ちます。沼尻さんがこうしたレパートリーを得意中の得意にしておられることはいうまでもありません。いわば十九世紀の分厚いコレステロールをそぎ落としたワーグナーですね。

高野:さまざまな時代の音楽を多角的に咀嚼してこられたからこそ、できる技なのでしょうね。ますます、11月18日のコンサートが楽しみになってきました。
今回は色々なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。


★チケット好評販売中!!★
京都コンサートホール×京都市交響楽団 プロジェクト Vol. 4
ワーグナー生誕210年×没後140年
「『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編)」
2023年11月18日(土)14時30分開演(13時45分開場)
京都コンサートホール  大ホール
<オール・ワーグナー・プログラム>
《ニュルンベルクのマイスタージンガー》より  第1幕への前奏曲
《トリスタンとイゾルデ》より 〈前奏曲〉〈愛の死〉
『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編)
[指揮]沼尻竜典
[ソプラノ]ステファニー・ミュター [バリトン]青山 貴
[演奏]京都市交響楽団

▶公演の詳細はこちらから

「音楽家の枠を越えたリヒャルト・ワーグナー」音楽学者 岡田暁生 特別インタビュー【前半】(2023.11.18 京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクト Vol.4『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編))

投稿日:
京都コンサートホール

ドイツ・ロマン派時代の頂点に立つ作曲家、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)。今年で生誕210年・没後140年を迎えます。
「京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクト Vol.4」公演では、日本のワーグナー演奏の第一人者ともいうべきマエストロ沼尻竜典氏を指揮に迎え、京都市交響楽団と共に特別なオール・ワーグナー・プログラムをお届けします。
コンサートに先立ち、「ワーグナーを知るためのプレ・レクチャー」を8月から3回にわたりお送りしています。講師は、京都大学人文科学研究所教授の岡田暁生さんです。第1回(8月25日)は「ワーグナーの人生」、第2回(9月22日)は「ワーグナーの魔力」というタイトルでお話してくださり、第3回(10月27日)は「ワーグナーと近代」についてレクチャーをしてくださる予定です。

今回は、ご自身もワーグナー(音楽)のファンであり、指揮者の沼尻竜典さんとも親交のある岡田暁生さんに「リヒャルト・ワーグナー」や「京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.4」にまつわるさまざまなお話を伺いました。
「前半」と「後半」の2回に分けて掲載します。

(聞き手:京都コンサートホールプロデューサー 高野 裕子)


高野:8月、9月と2回にわたり、ワーグナーに関する濃密なレクチャーをいただき、誠にありがとうございました。今日はレクチャーに参加されていないお客様にもワーグナーの魅力をお伝えしたく、岡田先生にいろいろなご質問をさせていただきます。
まず、19世紀の音楽史において、リヒャルト・ワーグナーという人物はどのような立ち位置にあったのか教えていただけますか。

岡田暁生氏(以下、敬称略):「19世紀の総合」、そして「20世紀の展望」、それに尽きるでしょう。つまりワーグナーは、19世紀に至るまでのさまざまな音楽の流れを総合し、それを20世紀の色々な音楽の流れに繋げた人物だということです。いま言った「20世紀の色々な音楽」には、ドビュッシーやシェーンベルクはもちろん入りますし、映画音楽やアニメ的な音楽まで入ります。ハリウッド映画の音楽にまで射程が及ぶというのは、ワーグナーにしかできない凄さだと思いますね。

高野:「オペラ作曲家」という枠に収まりきらないということですね。

岡田:そう、それを遥かに越えた人物です。この時代、こういう作曲家はほかにいません。

高野:ワーグナーはオペラや楽劇をたくさん書いた作曲家ですが、彼はそれらを通して何を目指したのでしょうか。

岡田:「世界を表現したかった」のではないでしょうか。世界が始まってから滅亡するまでを作品の中で描きたかった。言い換えれば、「近代の神話」を作りたかったのだと思います。
我々の一番の不幸といえば、世界の断片化だと考えます。例えば、私たちは各々の仕事以外のことは興味がないですよね。自分の仕事が世界の中でどうなっているかなんて、多くの人々は考えもしないでしょう。世界全体を憂いて、今後どうなっていくのかという視点を「持ちたい」とは思っても、なかなか持てないものです。なぜなら、世界が細分化・専門化しすぎて、全体像が見えなくなってきているからです。ワーグナーはそれをもう一度、「これが世界だ」ということを見せたかったのではないでしょうか。特に『ニーベルングの指環』では、そういうことを表現したかったのではないかと思います。

高野:ワーグナーがそのような考えに及ぶようになったきっかけはあったのでしょうか。

岡田:「資本主義に対する呪い」、「近代社会への呪い」ですね。ドイツの哲学者のカール・マルクスが当時、ワーグナーと同じような立場から物を考えていました。彼は、「資本とは何か」と考え、「この状況を放置すると、とんでもないことになるぞ」と心配していたのです。ワーグナーが『ニーベルングの指環』で描いたことは、まさにこういった「資本主義批判」なのです。この世界はいずれ滅びるだろう、滅びた後どのように世界が蘇るのか、それとも蘇らないのか、ということを作品で表現しようとしました。ここまで大きな視点で音楽を構想した人は、昔も今もひっくるめて、存在しないのではないでしょうか。

高野:確かにそうですね。ワーグナーは神話の世界を描こうとしましたが、同時代人のイタリアやフランスのオペラを見てみると、「私たちの目から見た現実世界」を描いていますからね。

岡田:そうそう、「私の恋は一体どうなるの」という視点で物語が進みますよね。
さらに、ワーグナーは『ニーベルングの指環』の中で、環境問題を予言しているようにも思えます。人間が「黄金」という資源をラインの乙女から奪い、またありとあらゆる地下資源を小人に繰り返し掘り起こさせて、そして黄金で作った指環で世界を支配し、結局滅びていく・・・という物語ですから。ヴァルハラ城が火で焼けて、洪水が来る・・・という話は、ある意味、21世紀の現在でも通じるテーマでしょう。
また同時に、ワーグナーは「どうすれば欲望から人間が救われるか」というテーマも常に頭の中にあったようです。これは、ほとんど宗教的なテーマとも言えますが。

高野:このようなワーグナーのオペラや楽劇は当時、誰に向けて書かれたのでしょうか。例えば、イタリアやフランスの作曲家たちは、さまざまな層の音楽愛好家に向けて音楽を書いていましたが、ワーグナーの作品はとても同じようなジャンルの音楽には思えません。

岡田:ワーグナーはまだ見ぬ未来の人類に向かって書いていたのだと思います。いわば、未来へのメッセージですね。同時代の人々に向けて書いていたとは考えられません。

高野:当時の人々は、ワーグナーがそのような壮大なテーマを掲げて作品を書いていたことに気付いていたのでしょうか。

岡田:一部の知識人は、確実に気がついていたでしょうね。例えば、フランスの象徴主義の詩人シャルル・ボードレールや哲学者アンリ・ベルクソン、ドイツの思想家フリードリヒ・ニーチェなど、思想界や文学界、美術界など、あらゆるジャンルの知識人たちがワーグナーの音楽を聴いて、「これだ!」と思ったわけですからね。昔は、教会の儀礼の中に音楽や美術が統合されて、一つの世界が形作られていたのですが、音楽、彫刻、美術などと世界が細分化されていくにつれ、世界を「一つのものとして見る」というプロセスがなくなっていきました。ワーグナーが「総合芸術」を目指したのは、そのような文脈があったのだと思います。つまり、もう一度「世界を見る」というテーマから芸術を作ろうとしたわけです。ワーグナーに陶酔した当時の知識人たちは、そういった考えに共感したのでしょう。

高野:ところで、岡田先生は8月のレクチャーの中で、「ワーグナー自身は《さまよえるオランダ人》以前の作品は自分の作品だと認めたくなかった」とお話されました。ワーグナーの作風が確立するに至った、つまり、ワーグナーに影響を与えた人物や事象は何だったのでしょうか。

岡田:ワーグナーが本当に“化け始める”のは、お尋ね者になってからです(注:ワーグナーは1849年のドイツ三月革命の革命運動に参加し、失敗。その後、全国で指名手配され、スイス・チューリッヒで9年間の亡命生活を送った。その間に『ニーベルングの指環』に着手した)。つまり、『ニーベルングの指環』以降ですね。《ローエングリン》までは、例えばドレスデンやパリなどの劇場のために、現実の枠の中で考えた作品を書いていましたが、お尋ね者になってからは時間もたっぷりありましたから、想像力の羽を伸ばそうとしたのですよね。当時、チケットの売れ行きを気にせず、自分のしたいことを徹底的にするだけの時間とお金があったのです。

高野:なるほど。ワーグナーは20年近くかけて『ニーベルングの指環』を書いています。それだけの時間を費やして、未来へのメッセージを書き続けていたわけですね。

岡田:彼は「近代の神話」を作りたかったのでしょうね。神話は未来永劫に語り継がれますから。芸術を通して、神なき世界に新しい宗教を作りたかったのではないでしょうか。

高野:ワーグナーは本当に宗教的ですよね。

岡田:ワーグナーは骨の髄までプロテスタントでしたが、J.S.バッハのように、神が存在していると心の底から信じられるほど無邪気な人ではありませんでした。時代的なものもありますが、当然ながら神に対して疑いのようなものを持っていたと思いますよ。本当のところは、神に救ってほしかったのでしょうね。滅びるのが怖かったから。死ぬのが怖い、と言ったほうが良いでしょうか。

高野:「神」といえば、「神々の死」を唱えたニーチェが思い出されます。さきほどニーチェがワーグナーに共感したという話題が出てきましたが、ニーチェとワーグナーは当時どのような関係だったのでしょうか。

岡田:ニーチェはワーグナー信者でした。ニーチェもワーグナーも、近代の最大の問題は、宗教的観念の滅亡であると考えた人物でした。ニーチェが初期のワーグナーにピンときたのは、そういった背景があるからです。ところが、ワーグナーの中にあるエセ宗教的なところと言いますか、自分を神格化しようとする体質があるとニーチェが見抜いてしまい、最終的には離反しました。

高野:実際問題、ワーグナーは自分を神に仕立てたかったのでしょうか。

岡田:そうだと思います。だから、離反したニーチェの気持ちは分かります。ただ、近代の芸術家は、ある種ポピュリスト的な資質がなければ、公衆に訴えかけることができないですよね。政治家にも共通する事柄だと思いますが、広く公衆に訴えかけるために、俗受けすることを躊躇しない胆力がないとダメ。ワーグナーはそういったポピュリスト的な資質を持った人間でした。

高野:ワーグナー人気は、このような資質にも起因しているのでしょうね。

岡田:はい。近代の作曲家を見てみると、大なり小なり、こういったある種の「はったりを躊躇しない力」が備わっているように思います。ワーグナーほどではないですが、マーラーやリヒャルト・シュトラウス、ラヴェルなどもそうではないでしょうか。リヒャルト・シュトラウスは、とある二流の作曲家について「彼はすごく良い音楽家だけれども、唯一欠けているものがある。それは、下品と言われることをためらいすぎることである」と言ったそうです。これは金言ですよね。巨匠は「下品」と言われることを時にためらわないですから。

高野:さて、話題をワーグナーのオペラに戻します。
ワーグナーは作曲だけではなく、脚本も書いていましたが、そちらの評価は当時どうだったのでしょうか。

岡田:文学的な質は低いですが、音楽と一体となれば話は別です。彼は自分の世界を自ら創出したかったので、すべて自分で担っていました。台本をほかの誰かに書かせたら、自分だけの世界ではなくなりますから。全ての起源に自分を関わらせたかったのでしょう。

高野:ワーグナーは舞台装置にもこだわったと聞きました。

岡田:そうです、ものすごくこだわりました。ワーグナーは演出家として一流だったそうです。舞台の仕組などにも非常に詳しかったと言われています。もしワーグナーが現代に生きていたら、作曲もできる「ハリウッドの映画監督」になっていたかもしれません。

高野:当時から、そんなワーグナーの存在は偉大だったと思いますが、ワーグナーから影響を受けた作曲家はたくさんいたのでしょうね。

岡田:影響を受けなかった作曲家はいないでしょう。ジョン・ウィリアムズも、ワーグナーがいなかったら「スター・ウォーズのテーマ」を書いていなかったかもしれません。

高野:逆に言えば、「ワーグナーから絶対に影響を受けたくない!」と頑なに思っていた作曲家もいたのではないでしょうか。

岡田:それもみんな思っていたでしょうね。「影響を受けたくない」と思っていること自体、影響を受けているわけですから。みんな、ワーグナーから逃れられないのです。リヒャルト・シュトラウスは「ワーグナーは乗り越えられる壁ではないから、自分はその回り道をした」と言っています。ストラヴィンスキーも初期の作品は、ワグネリズム全開です。
ワーグナーが作品の中で達成してみせた“観客に宗教的法悦を体験させる”ことを、みんなやってみたかったのでしょうね。

高野:前から不思議に思っていたのですが、ワーグナーの音楽って、無宗教のわたしなどが聴いたとしても、宗教的なエクスタシーをなぜか感じてしまうのです。

岡田:ワーグナーはそれがやりたかったのですよ。音楽を通して、新しい宗教を創りたかったのです。そして、それは成功したと言えるでしょうね。
つまりワーグナーは、音楽家の枠を越えた人物だったのです。

――【後半】に続く――


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京都コンサートホール×京都市交響楽団 プロジェクト Vol. 4
ワーグナー生誕210年×没後140年
「『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編)」
2023年11月18日(土)14時30分開演(13時45分開場)
京都コンサートホール  大ホール
<オール・ワーグナー・プログラム>
《ニュルンベルクのマイスタージンガー》より  第1幕への前奏曲
《トリスタンとイゾルデ》より 〈前奏曲〉〈愛の死〉
『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編)
[指揮]沼尻竜典
[ソプラノ]ステファニー・ミュター [バリトン]青山 貴
[演奏]京都市交響楽団

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指揮者 沼尻竜典 インタビュー<後編>(2023.11.18 京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクト Vol.4『ニーベルングの指環』より(ハイライト・沼尻編))

投稿日:
京都コンサートホール

京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.4 ワーグナー生誕210年×没後140年『ニーベルングの指環』(ハイライト・沼尻編)(11/18)の開催に先がけ、指揮者の沼尻竜典氏とびわ湖ホール総括プロデューサーの村島美也子氏にお話を伺いました。後編では、今回共演されるお二人の歌手や京都市交響楽団についてお話いただきました。ぜひ最後までご覧ください!

――今回コンサートにご出演いただくステファニー・ミュターさんは、びわ湖ホールの『ニーベルングの指環』で見事なブリュンヒルデ役をこなされましたが、彼女との出会いを教えてください。

ステファニー・ミュターさん

沼尻:エアフルトの劇場で働いている旧知のピアニストから「まだ無名だが、今後とても伸びそうな歌手がいるので一度声を聴いてほしい」と紹介され、当時私が音楽総監督を務めていたリューベックの劇場まで来てもらいました。ワーグナーは歌手に声量がないといけないんですが、彼女はしっかりした声が素晴らしく飛ぶ。その場でミュターさんにブリュンヒルデ役をお願いしました。今ではバイロイト祝祭劇場に出るほどの歌手になりました。

村島:彼女は、実力はもちろんのこと、お人柄も本当に素晴らしいです。

沼尻:ドイツの劇場の世界には、小さな劇場でキャリアを開始した歌手にも、世界の頂点に立つ劇場へとつながる階段が用意されています。しかし日本の歌手は、地域ごとにあるオペラ団体の所属の方が多いので、なかなか世界とつながる機会がありません。世界どころか、地方在住の優秀な歌手が東京の舞台に立つことさえ難しい。そういえば、私のいたリューベックの劇場も決して大きくはありませんが、そこで《さまよえるオランダ人》にゼンタ役で出演した歌手が今年、バイロイトでゼンタを歌いました。ベルリン·ドイツオペラにも出演するようです。

――『リング』でヴォータン役を務めた青山貴さんも、びわ湖ホールオペラシリーズの常連ですよね。

沼尻:彼はとんでもなく声が良いのです。

村島:圧倒的な美声ですよね。沼尻さんは青山さんをずっと逸材だと言い続けてらっしゃいますし。当時、びわ湖ホールのオペラでは大抜擢とも言える配役でしたからね。

沼尻彼は、準備をきっちりしてきます。最初の稽古から、長いオペラの歌詞を完璧に覚えてきます。

――青山さんはもともとワーグナー歌いだったのですか?

沼尻:いえ、そもそも真の意味で「ワーグナー歌い」と呼べる歌手は日本にいません(笑)。ワーグナー作品の公演がほとんどないのですから。

――ちなみに、初めてヴォータン役に抜擢された時の、青山さんの反応はどうでしたか?

青山貴さん

村島:ご本人はすごく悩んだと後日仰っていました。なにせ、ヴォータンは神々の長ですからね(笑)。青山さんは、普段は腰が低くて優しい人なのです。でも、ステージに立つと本当に堂々としていて、そのギャップも魅力のひとつです。

沼尻:日本のオペラ団体が制作する公演では声楽の先生が配役するわけですが、海外のオペラハウスや、日本でも劇場制作のプロダクションでは、芸術監督、プロデューサー、演出家が歌手を選びます。劇場制作のオペラ公演がもっと増えて世界標準のやり方で配役していけば、日本人歌手の可能性がさらに引き出され、世界と戦えるようになると思っています。その代わり、配役する劇場側も歌手のことを勉強しなければなりません。

村島:マエストロは、本当に色んなところに歌手を観に行かれますよね。これだけ公演を観に行く指揮者はいないと思いますよ。歌手を見つけてきては、「あの子良いと思うのだけど」と話せる。素晴らしいと思います。ミュターさんや青山さんも、そういうところから見つけてこられましたしね。

――ミュターさんと青山さんについて、貴重なお話をいただきありがとうございました。さて、マエストロは京都市交響楽団とも長年共演されていますが、沼尻さんから見て、京都市交響楽団のワーグナー演奏はどこが魅力的でしょうか?

沼尻:京響のメンバーはびわ湖ホールのワーグナーを毎年楽しみにしてて、実によく個人勉強、個人練習をされていました。もうワーグナーの毒が皆さんの体じゅうに回っているのでは(笑)。実際、毒に当てられてないとワーグナーはうまく演奏できないんです。9演目ワーグナー作品に一緒に取り組んできた蓄積を、11月18日のコンサートで凝縮してお見せできるのではないかと思います。

――今回プログラム前半で演奏する《トリスタンとイゾルデ》は、実は京都市交響楽団との共演は初めてなのですよね。

沼尻:はい、ワーグナーの主要オペラ10作品のうち、《トリスタン》だけ京響と演奏していないのです。私に体力があるうちに、いつかぜひ京都市交響楽団さんと一緒に全曲演奏したいと勝手に考えています。
今回演奏する『ニーベルングの指環』(ハイライト·沼尻編)は、もともと2001年に東京フィルハーモニー交響楽団と新星日本交響楽団が合併した時記念演奏会で初披露しました。その後、名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でも演奏しましたが、どちらも歌が入らない版でした。今回は特別に声楽入りの版を作りました。

――すべて繋げて演奏されるのですよね。

沼尻:はい、すべて繋げてひとつの曲のようにしています。今までにいくつものリングの演奏会用の抜粋版が作られていますが、「沼尻編」は完全なオリジナルです。音楽的に特に魅力的な名場面を繋いだ感じですね。全曲で16時間のうち、美味しいところをまとめて1時間にしていますので、ワーグナーを初めて聴く方でもお楽しみいただけると思います。ワーグナーの音楽にハマるきっかけになれば嬉しいです。

――びわ湖ホールでワーグナー作品を全部制覇したお客様でも楽しめますでしょうか。

沼尻:もちろん楽しめます。舞台の情景を思い出しながら聴いていただけたら。

村島:びわ湖ホールで熱演をしたステファニー・ミュターさんもドイツから再びお呼びいただき、素敵な企画だと思います。バイロイト歌手の実演に触れる機会は、日本では滅多にないですし。

沼尻:ワーグナーの音楽は、ドイツの管弦楽法、和声法の成熟の極地だと思います。ワーグナーの後に活躍したリヒャルト·シュトラウスがさらにそれらをもう一歩、彼なりの方向に進めましたが、以降の発展はもうほとんど無いのです。むしろ現代音楽の作曲家たちによって既存の音楽を破壊する方へ向かいますから。

――本当に楽しみです。

沼尻:私と京響のワーグナーをこのまま終わらせてはもったいないと、今回の企画を提案してくださった京都コンサートホールには心から感謝しています。楽譜の編集にあたった京響の楽譜係はとても大変だったと思うので、この場をお借りしてお礼を申し上げたいです。京響ファンにもオペラファンにも楽しんでいただける内容ですから、迷っていらっしゃる方にはぜひ今すぐポチッとしていただきたいです(笑)。

――沼尻さんと京都市交響楽団の『リング』再演、いまから心待ちにしています。本日はお忙しいなか、お時間をいただきありがとうございました。

★指揮者 沼尻竜典 インタビュー<前編>はこちら

★公演情報「京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.4
ワーグナー生誕210年×没後140年『ニーベルングの指環』(ハイライト・沼尻編)」