【フィラデルフィア管弦楽団 特別連載⑤】ピアニスト ハオチェン・チャン特別メールインタビュー

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インタビュー

アメリカ“ビッグ5”の一つである「フィラデルフィア管弦楽団」の魅力を様々な視点からお伝えする「特別連載」。

第5回は、11月3日の京都公演でラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》を演奏するピアニストのハオチェン・チャン氏へのメールインタビューの模様をお届けします。チャン氏自身のことをはじめ、直近のフィラデルフィア管弦楽団との共演や、今回のプログラムについてなど色々とお聞きしました。

――インタビューを引き受けてくださり、ありがとうございます。
11月3日の京都公演で共演するマエストロ・ネゼ=セガンとフィラデルフィア管弦楽団(以下「フィラデルフィア管」)とは、今年5月の中国ツアーで共演されましたね。どのような演奏会でしたか?

ハオチェン・チャン氏:コンサートは素晴らしい出来でした。私たちはラフマニノフの《パガニーニの主題による狂詩曲》をしたんですけど、フィラデルフィア管ってラフマニノフのお気に入りのオーケストラだったんですよ。ラフマニノフは、フィラデルフィア管が長年培ってきたロマンティックな音色と音楽作りが好きだったようです。それは今のフィラデルフィア管にも引き継がれています。
ですので、《パガニーニの主題による狂詩曲》をフィラデルフィア管とマエストロ・ネゼ=セガンと演奏できたことは、本当に感動的な経験でした。

 

――今回のプログラム、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、これまで何度も演奏されていると思いますが、ピアニストとして感じるこの曲の魅力を教えてください。

チャン氏:私にとって、この作品の最大の魅力は、ラフマニノフの精神や彼の音楽観が最もよく表現されている点にあると思います。つまり、ラフマニノフの表現力の深さや彼が追い求めようとする豊かで色鮮やかな和声です。ラフマニノフは本当に独創的天才です。彼の音楽には、不自然なことや取ってひっつけたような箇所が全くないのです。

 

――ハオチェン・チャンさんはフィラデルフィアにあるカーティス音楽院で学ばれたので、フィラデルフィアという土地は非常に思い入れのある場所かと思います。音楽的側面から見てフィラデルフィアはどういう魅力を持つ街でしょうか。

チャン氏:「フィラデルフィア」という街は、カーティス音楽院で学んだ私にとって切っても切り離せない存在ですし、私の人生において非常に印象深い街です。また「カーティス」という町は、私が聴いて育ったフィラデルフィア管の本拠地で、最高峰の室内楽シリーズが開催されていたり、美術館が多くあります。これらの芸術的側面を脇に置いたとしても、「フィラデルフィア」はユニークな都市です。その理由は、大都市のキャパシティを持ちながら、小さな町にあるような親密さも兼ね備えているからで、私にとって理想的な組み合わせです。

(c) B Ealovega

――音楽以外では絵や詩を書くことがお好きだと、あるインタビュー記事で見ました。どういった絵や詩を書くことが多いですか。また普段の演奏につながるところはありますか。

チャン氏:明確なスタイルを持っているわけではありませんが、純粋に自分の喜びのために、余暇を楽しむだけの“ただの”アマチュアです。技法的には、コンテンポラリーのスタイルだと思います。ただ“コンテンポラリー(現代的)”というカテゴリーは、いつが“現代”かとても曖昧なんですけどね…。
絵や詩を書くことで明確なアイディアを得られるとは思っていませんが、私の芸術的視点を豊かにしてくれます。また、きっと書かなければ見過ごしてしまうような音楽の細部に対して、自分の感性をこれまで以上に少し鋭く敏感にしてくれていると思います。

 

――来年で30歳を迎えられると思いますが、30歳になったら何か挑戦しようと思うことはありますか。

チャン氏:「挑戦」って何か特別なことであるべきではない、と私は思っています。芸術って、つまりは“成長すること”ですよね。だから私たちは常にチャレンジすることをやめないのです。例えば、私は今シーズン、いろんな場所で違うオーケストラと2公演形式でベートーヴェンの5つのピアノ協奏曲全曲を演奏します。でも、私が30歳になる時に特別なことにチャレンジしているかどうかは、今の私には分かりません。

 

――最後に、京都のお客様へのメッセージをお願いします。

チャン氏:フィラデルフィア管とマエストロ・ネゼ=セガン、そして私が皆さまへお届けする刺激的なプログラムをお楽しみいただけましたらと思います。また、過去にリサイタル(※2011/10/11と2012/10/22に大ホールで行われたリサイタル)をさせていただいて以来、特にその美しいデザインと感動的な音響から、京都コンサートホールで音楽作りをできることに惚れ込んでいます。なので、また京都へ戻って、皆さまと音楽を共有できることを大変楽しみにしております。

 

――お忙しい中インタビューにお答えいただきまして、誠にありがとうございました!11月3日の公演を楽しみにしております!


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★特別連載
【第1回】受け継がれる伝統とフィラデルフィア・サウンド
【第2回】アメリカ在住ライターが語るフィラデルフィア管弦楽団の現在(いま)
【第3回】フィラデルフィア・サウンドの魅力
【第4回】指揮者 ヤニック・ネゼ=セガン特別メールインタビュー

フォーレに捧ぐ――特別寄稿「フォーレの音楽とそのピアノ五重奏曲の魅力」

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アンサンブルホールムラタ

日本を代表する若手トッププレイヤーたちが京都でフォーレの傑作に挑むコンサート「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」(11/10開催)。

今回は、作曲家・音楽評論家でフランス音楽に詳しい野平多美さんに、フォーレの音楽と今回演奏される「ピアノ五重奏曲」について特別にご寄稿いただきました。


フォーレの音楽とそのピアノ五重奏曲の魅力/野平多美

フォーレの音楽は、とにかく身を委ねて聴く。それが最上の方法と分かっていても、何かと詮索してしまうのが人間のサガである。では、何を頼りに聞いたらいいのか。実は、もっとも重要なのが、いつもより“耳を開き”瞬間瞬間の“音楽の場を楽しむ”ことが有効である。

“音楽の場”とは、豊かな響きの移り変わりであったり、何か主張するテーマとその背景であったり。これは、古典派からロマン派の音楽を中心に聴いている方には察知するのがお得意なはず。しかし、フォーレの音楽で難しいのは、句読点が曖昧なこと。バロックー古典派―ロマン派では、何か断言するような締めくくりが出てくるのが拠り所なのであるが、それがなかなか聞こえてこないのである。だから、聴き始めは、行先知れずの、その音楽の宙吊り状態を楽しむのが秘訣である。そうしていると、自ずと音楽が必要な句読点に導いてくれる。

フランス近代音楽の三巨匠が、フォーレ、フォーレの弟子のラヴェル、そしてドビュッシーとすると、ラヴェルは、どれほど豊穣な響きで推移しても、音楽の句読点がとても明確である。輪郭も、くっきり描かれているので聴いていて迷子にならない。絵画で言えば、ゴーギャンか、美学的には異なれどロートレックの絵のようである。かたやドビュッシーは、細い線が幾重にも重なっても透明な響きが特長であり、近くで見すぎると何やら曖昧模糊としているが全体像が割と明確なモネやスーラの絵と似ていることは、ご存知であろう。では、フォーレはと言えば、実は絵の手法では難しく、同類の画家がなかなか思いつかない。突如とした色彩の転換が音楽で行われ、これは、ライヴで変化する音楽ならではの本質を捉えた見事な特徴と言える。つまり、聴いている者が期待するような音楽(調性・音響)の進み方をしないことが、フォーレの音楽表現の特長なのである。

 

知っておくべきことは、フォーレの音楽は、基本的にオルガン音楽がその源流になっているということ。それを頭に置いてフォーレ作品を聴いてほしい。しばしば下方にかたまる和声的な響きはそれに起因するものである。フォーレは、サン=サーンスの跡を継いでマドレーヌ寺院の正オルガニストを務めた。さらに、幼少の砌には、ニデルエイメール宗教音楽学校でグレゴリオ聖歌を学び、その和声付けなどの修練を重ねたフォーレの耳は、私たちが親しんでいる長調、短調の2極化の音響だけでなく、教会旋法の響きも根底にあるのだ。ちなみに、父親が校長を務めていたピレネ地方の小さな村モンゴジの師範学校の教会堂にあった小オルガンは、フォーレが触れた最初のオルガンで、本当に素朴な音がしたのを覚えている。

和声を詳しく見ると、三和音が基本形(ドーミーソ)で示されるのは、非常に間遠になっている。あとは、三和音の転回形(ミーソード、ソードーミ)の響きを好んでいて、そして属七の和音(ソーシーレーファ)は、圧倒的に第2転回形(レーファーソーシ)をフォーレは多用した。

そして音楽の中に時折見られる決然とした表情は、フォーレの信条そのもの。

パリ音楽院の院長時代には、時代に即して必要なものと不必要なものを見極め、科目の新設や教授たちの選考もとても潔く決断したという。これを、音楽院のロベスピエールと呼んだ人もいるほど。人情に流されないで信念を貫くのが、フォーレ流なのである。

「ピアノ五重奏曲」のそれぞれの背景を見ると、1909年作曲の第1番は、人生の中でも自らの感情を隠さずに恋愛に創作に、とても豊かな時代の作品。フォーレ独特の温かな厚い響きも、人生の満足度が表れている。

第2番は、それから後、亡くなる(1924年)前、最晩年の1921年に聴覚の異常と戦い、また病を得ながらも、内的な音を深く深く探求する方向性にある作品なので悲壮感が漂う。

聞きどころは、先述した和声の変化と、オルガニストとしては心から崇拝するバッハの対位法的な書式に洗練さを加えた、各声部の見事な絡み合いであろう。

若い演奏家が、この老成した音楽に高いテクニックとフレッシュな音楽感覚で挑むのは、聴く者にとってとても興味をそそられる。健闘を大いに期待したい。


野平 多美(作曲家、音楽評論家)

国立音楽大学を卒業後、フランスに渡り、パリ国立高等音楽院において作曲理論各科を卒業。1990年に帰国。国立音楽大学講師、東京学芸大学講師を経て、現在、お茶の水女子大学非常勤講師。2005年よりアフィニス文化財団研鑽助成委員、18年6月よりアフィニス文化財団理事を務めている。日本フォーレ協会、日本ベートーヴェンクライス会員。
作曲家としては、ギターのための「Water drops」(2017/CD・NAXOS「福田進一・日本のギター音楽No.4」に収録)、絵本と音楽の会「ぐるんぱのようちえん」(作曲、音楽構成2016)ほか作・編曲を多く手がけている。音楽評論家としては、「音楽の友」ほかで健筆を揮うほか、トッパンホールの企画アドヴァイザー(1999~2001)、軽井沢の音楽祭などや都内の演奏会の公演企画に携わり好評を得ている。2018年には、野平一郎作曲・室内オペラ「亡命」の台本を書き下ろし話題になった。
主要著書は「魔法のバゲット ~ マエストロ ジャン・フルネの素顔」(全音楽譜出版社)、 「フォーレ声楽作品集」(共著/同)などがある。


★「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」(11/10)の公演情報はこちら

★出演者特別インタビュー
①「北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)」
②「北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)」
③「田原綾子さんインタビュー(前編)」
④「
田原綾子さんインタビュー(後編)」

【フィラデルフィア管弦楽団 特別連載④】指揮者 ヤニック・ネゼ=セガン特別メールインタビュー

投稿日:
京都コンサートホール

2019年11月3日(日)に「第23回京都の秋 音楽祭」のメイン公演の一つとして14年ぶりの京都公演を行う、アメリカの名門「フィラデルフィア管弦楽団」。本公演やアーティストの魅力をお伝えすべく、当ブログにて「特別連載」を行っております。

第4回は音楽監督のヤニック・ネゼ=セガン氏にメールインタビューを実施し、フィラデルフィア管弦楽団の魅力や今後の展望をはじめ、ご自身の指揮者としてのエピソードなどを語っていただきました。どうぞお楽しみください。

Yannick Nézet-Séguin portrait at Kimmel Center for the Philadelphia Orchestra, 11/8/16. Photo by Chris Lee

――この度は、お忙しい中インタビューをお引き受けいただき、ありがとうございます。ネゼ=セガンさんが音楽監督に就任してから7年経ちましたが、オーケストラはどのように変わりましたか?

ヤニック・ネゼ=セガンさん(以下敬称略):フィラデルフィア管弦楽団とは、2008年に初共演して以来の特別な関係です。私たちの親密な関係性は、この名門オーケストラをけん引してこられた歴代の指揮者の上に築き上げられているものであり、何年もかけて育まれたものです。私たちの目標は、音楽の喜びを、地元フィラデルフィア、アメリカ、そして世界中の聴衆と分かち合うことです。

The Philadelphia Orchestra performs on New Years Eve, Thursday, Dec. 31, 2015, in Philadelphia. (Photo by Jessica Griffin)

――フィラデルフィア管弦楽団の特徴や、アメリカや世界のオーケストラの中での位置づけをどのように捉えていますか?

ネゼ=セガン:フィラデルフィア管弦楽団は、ご存じのとおり、その唯一無二のサウンドがよく知られていますし、また、素晴らしく創造性に満ちた豊かな歴史を誇ります。私たちはツアーでの功績を誇りに思っており、世界中のオーケストラファンとともに築いてきた関係性を大切にしています。ツアーでは、ただ単に美しいコンサートを行うだけではなく、その土地の環境にどっぷりと浸かり、ツアーで出会う人と人との交流を大切にしています。

――フィラデルフィア管と共に現在取り組まれている活動やプロジェクト、そして今後の展望について教えてください。

ネゼ=セガン:とてもワクワクした気持ちで2019-2020年シーズンを迎えています。今シーズンは、女性作曲家の作品や女性指揮者を取り上げ、ベートーヴェンの交響曲全曲を現代作品と一緒に演奏することで生誕250年を祝福し、さらに、声楽作品からインスパイアされた編曲作品をお届けします。私たちはみなさんと音楽を共有することにより、人生を豊かにすることを望んでいます。そしてその実現に大きな責任感を持って取り組んでいます。

――来日公演ソリストのハオチェン・チャンについて、共演経験はありますか?ハオチェン・チャンの印象を教えてください。

ネゼ=セガン:ハオチェン・チャンは、たいへん優れた才能ある音楽家なので、共演できて嬉しいです。彼はフィラデルフィアのカーティス音楽院で学び、私たちオーケストラメンバーと固い信頼関係を築いてきました。彼は音楽・技術の両面において、考え抜いて作品を解釈して演奏します。共演者として理想的です。2018年春のオーケストラツアーでは、ハオチェンと共演できて嬉しかったですし、またこのツアーで一緒に演奏できることを楽しみにしています。

(C)Jan Regan

――指揮者になろうと思ったきっかけを教えていただけますか。

ネゼ=セガン:小さい頃から指揮者になりたいと思っていました。途中まではピアノを弾いて、それが楽しかったのですが、合唱団で歌うということを始めてからは集団で音楽を作るということが、どれだけ自分を活気づけ、良い刺激を与えてくれるかに気付きました。グループの中で自分の役割を持つこと、そして他人を助けることに喜びを見出していましたので、指揮をするということは自分にしっくり来ました。私はこの仕事をしていて幸せです。世界中の音楽家と素晴らしい音楽をつくることが出来ますし、作品を通して世界中の聴衆の方々に音楽を聴く喜びを伝えています。

――就寝前もベッドでスコアを読むと聞きましたが、オフの日はどうのように過ごされていますか?

ネゼ=セガン:音楽から離れているときは、フィラデルフィアか、ニューヨーク、モントリオールの自宅で、パートナーのピエールと3匹の猫と一緒にゆっくり過ごすようにしています。そしてまた、自分自身の体の状態を良く保つための時間を取るようにしています。例えば、ランニングをしたり、散歩に出かけたり、ヨガをしたりといったことですね。

Yannick Nézet-Séguin conducts the Philadelphia Orchestra at Carnegie Hall with Gil Shaham as soloist, 10/13/15. Photo by Chris Lee

――指揮をする時、どんなことを考えてイメージして振っていますか?

ネゼ=セガン:作曲者が何を感じ、伝えようとしているのかを考えています。

 

――今回のプログラムについて、選曲意図と聴きどころを教えてください。

ネゼ=セガン:今回私たちは、非常に有名なラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏します。偉大な作曲家、ピアニスト、指揮者であるラフマニノフは、フィラデルフィア管弦楽団と深い繋がりがありました。彼は晩年、フィラデルフィア管弦楽団のサウンドを想像しながら作曲した、と話しているのです。そしてプログラム最後は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」で華々しく締めくくります。どちらの作品においても、この偉大なオーケストラの素晴しい演奏を体験していただけるでしょう。

 

――最後に、京都のお客さまへのメッセージをお願いします。

ネゼ=セガン:この名門オーケストラの音楽監督として、フィラデルフィア管弦楽団と京都で演奏出来ることを、大変嬉しく思っています。わたしたちは、“皆さん” のフィラデルフィア管弦楽団です。例え私たちがどこで演奏しようとも――フィラデルフィアであっても、世界中のどこかであっても、同じ旋律を演奏します。私たちがどこを旅していようと、最愛の聴衆である“皆さん”と音楽の喜びを共有するために、私たちはここにいるのです。みなさんは、私たちファミリーの一員です。美しい京都で、皆さんのクラシック音楽への深い愛情に触れることを楽しみにしています。今回の公演が、皆さんに大きな喜びをもたらしますように!

――お忙しい中誠にありがとうございました!

***

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★特別連載

【第1回】受け継がれる伝統とフィラデルフィア・サウンド

【第2回】アメリカ在住ライターが語るフィラデルフィア管弦楽団の現在(いま)

【第3回】フィラデルフィア・サウンドの魅力

 

 

フォーレに捧ぐ特別インタビュー④ 田原綾子さんインタビュー(後編)

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アンサンブルホールムラタ

11月10日(日)開催「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」では、国内外で活躍する若手トップ奏者たちが、フォーレの傑作を披露します。

公演に向けて、エール弦楽四重奏団(以下「エールQ」)のヴィオラ奏者である田原綾子さんへのインタビューを敢行。前編では、田原さんとヴィオラの出会い、そしてフォーレについてお話いただきました。後編では、共演するエールQと北村さんについて伺いました。

――これまで、田原さんご自身のこと、そして今回演奏していただくフォーレについてお話伺いましたが、今度はエールQについてお聞きします。

エールQのメンバーは、皆それぞれソリストとして活躍し、住んでいる場所も違うため、集まる機会は少ないと思います。メンバー3人についてご紹介いただけますか?

田原:えー、なんだか改めてだと恥ずかしいですねー(笑)

まず山根君は、たしか、私が小学校6年生の時、河口湖でのセミナーで初めて出会いました。やんちゃで、憎めない感じの男の子だったのですが、当時から天才肌で、私とは全然違うところにいる人だなぁと思っていました。すごく華があって、「こういう人いるんだなあ」って出会った瞬間に思っちゃいました。私は本当に不器用な人間なので(笑)。

昔からとても恵まれた環境にいさせてもらっていたのですけど、ぱっと弾ける方ではなく、ちゃんと練習しないと弾けないタイプでしたので、山根君は本当に凄いなと思っていました。何より山根君の持っている、音楽に対する愛情や想いなどは、彼にしかない強さや鋭さだと思います。私たちにとって、山根君は大切なヴァイオリニストです。

――同じ弦楽器奏者でもいろんなタイプの方がいますね。毛利さんはどうでしょうか。

田原:毛利さんは通っていた音楽教室が同じで、弦楽アンサンブルで同じクラスになって以来ずっと一緒で、本当に大事な友人です。彼女とはよく一緒に弾いていて、なんと言いますか、もうカルテットのメンバーは全員そうなんですけど、家族みたいな感覚です。演奏していても普通に一緒にいても、考えていることがなんとなく分かります。まぁ向こうがどう思っているか分からないですけどね(笑)。

多分彼女には、私の思っていることは全部バレていると思います。よく「分かりやすい」って言われていますし。一緒にいて本当に居心地が良いです。実家も割と近くにあるのですが、そういったところも含めて、何でも話せる仲だと思っています。毛利さんはすごく大人で、常に上を目指している人なので、彼女がいてくれていたからこそ、私は今まで頑張ってこれたんだと思います。

――何でも話せる存在って大事ですし、そういうところは演奏にも出ますよね。

田原:チェロの上野君は、エールQで初めて出会いました。彼は昔から有名な存在で、名前はもちろん知っていたので、まさか一緒に弾くことになるとは思いもしませんでした。私は彼のファンでもあるので、一緒に弾くだけで嬉しいですし、音の受け渡しをしただけでちょっと嬉しくなっちゃいます(笑)。
そういう話を山根君にすると「なんで上野には甘いんだ、僕には全然優しくしてくれない」って言われちゃうんですけど、しょうがないですよね、そういうものなんです(笑)。

上野君はもともと無口なタイプなんです。例えば4人で弾いていて「ここの部分はどう弾く?」ってなった時は、だいたい山根君が「こう思うんだけど、どうかな?」と言ってやってみます。だた、みんなで行き詰まった時に上野君が「ここはこうしてみようか」とパッと提案すると、すんなりまとまることがあるんです。女性同士もそうなのですが、山根君と上野君も非常に信頼し合っているのがよく分かります。

本当にかけがいのない、良い仲間に出会えたと思っています。彼らがいなかったら、私はヴィオラを弾いていなかったでしょうから。

――聞いているだけでも楽しそうですね。田原さんにとってエールQはヴィオラの原点でもありますよね。

田原:そうなんです。なのでメンバーには頭が上がらないですね。

(C)Hideki Shiozawa

――以前、エールQの公開リハーサルを見学したことがあったのですが、本当に楽しんで演奏している様子が伝わってきました。今度演奏されるフォーレのピアノ五重奏曲は、それぞれに高度な技術が求められますが、それ以上にお互いの音楽性や方向性といったものを合わせる必要がありますよね。ですので、田原さんがメンバーについてお話される内容を伺って、今回のプログラムはエールQにぴったりだなとあらためて思いました。

田原:本当にそう思います。いま、みんなで集まる機会ってなかなかなくて、久しぶりにメンバーに会うとそれぞれの変化が手に取るように分かります。
ただ、不思議なのですが、そうやって久しぶりに会って一緒に演奏しても、「あぁ、この感触・・・!」ってなるんですよね。
こんなふうに思える人たちがいるっていうのはありがたいことだと思います。カルテットの活動を続けるのって本当に難しいのですよ。よくメンバーチェンジもしますしね。

前に毛利さんと「私たちはカルテットという名前だけど、多分『カルテット』じゃなくて『ファミリー』なんじゃないかな」という話をしたことがありました。すぐに恥ずかしくなって「自分たちでなに言っちゃってるんだろうね」ってなったんですけど(笑)。
「カルテットを組んでいるから」と言って、無理に集まるのも「少し違うね」という話もしていました。目の前のことだけではなく、ずっと繋がっていられるように長い目で見るというか。それに、私たちはたとえ半年ぶりでも昨日も会った感じで、自然に集まることが出来るので。

今回、エールQとして弾かせていただくのは、なかなか久しぶりな感じがするのですが、メンバーみんながベストコンディションで集まることが出来たら良いなと思っています。

――エールQは、「組んでいないから解散のない」カルテットだと耳にしたことがあります。

田原:はい。「組みましょう」と言って組んだカルテットではなく、「気が付いたら集まっていた」カルテットです(笑)。メンバー全員が、エールQで室内楽を始めました。私たちの原点ですよね。友達と一緒に音楽を作るのも初めてでしたし、長いリハーサルもこなして、そのあとはみんなでご飯を食べに行って・・・。いわゆる「青春の1ページ」と言っても良いと思います。高校生の時の話です。
いまは少し年を重ねてきて、それぞれが色々なことに取り組み始めてきたので、「仕事」というものがどのようなものか分かってきた気がします。だからこそ、エールQは本当に純粋に音楽でつながっている仲だということをあらためて感じるんです。
こういう仲間は欲しくても出来るものではないし、巡り合わせですよね。本当に運が良かったんだなと思います。

――たしかに、最初に室内楽をやろうと言ったメンバーでずっと一緒にできるって幸せですよね。なかなか珍しいですよね。

田原:そうですね、本当に「ご縁」だと思います。あと、多分どのカルテットもそうなんじゃないかなと思うんですけど、メンバーそれぞれが大事にしている本質的なものが非常に近いというか、そこも良かったんだろうなと思っています。

カルテットって面白くって、例えば、4人いるうちの3人が同じメンバーだったとしても、たった一人が入れ替わっただけで全く別のグループの音になってしまいます。それくらい、カルテットは繊細で面白いもので、奥深い世界だと思います。そこにピアニストが入ると、4人だけで出来上がっている世界を広げてくれる。きっと北村くんなら、さらに広げてくれるような気がするので今から本番がすごく楽しみです。


共演する北村朋幹さんについて


――今回共演するピアニストの北村朋幹さんとは以前からお知り合いでしたか?

田原:北村君と私は以前、それこそフォーレの《ピアノ五重奏曲第2番》を一緒に弾いたことがあります。さらに、エールQと北村君の組み合わせでは、ブラームスの《ピアノ五重奏曲》を演奏したことがあります。北村君の演奏を聞かせてもらったり、一緒に弾いていると、あんなに命を削って音楽に向き合っている人はいないだろうと思います。すごく自分に厳しい人なので、『(自分の甘さに反省しつつ)ごめんね、いつもありがとう』と思いながらいつも弾くんですけど(笑)。
北村君はとてもリハーサルを大切にしているのですが、私もその考え方には共感しているので、一緒に演奏出来ることがとても嬉しいです。

――一緒に演奏していて、やはり刺激を受けますか?

田原:そうですね。自分一人で演奏していると、自分の中で完結してしまう。例えば、感じ方であったり音楽の捉え方であったり、自身で経験したこと以上のものは広がらないのですが、他の人と一緒に演奏すると「あぁ、こういう考え方もあるのか」と刺激を受けます。
特に私は、エールQを組んだ当初は、ヴィオラも初心者でしたし、何もかもが初めてだったので、刺激を受けてばかりでした。ヴィオラに転向した後は、様々な人と出会い、これまでよりも一層色んな刺激を受けています。自分以外の人から新しいことを知ることになるので、視野が広がるような感じです。

――演奏する時の「相性」も関係しますか?

田原:相性はありますね。不思議なもので、演奏の相性は本当に人間関係と一緒だと思います。
少し喋ると「この人とはちょっと話しにくいな」、「噛み合いにくいな」って思ってしまうことがありますよね。人それぞれタイプや性格が違うから当然のことなのですが、演奏する時にもきっとそれがあると思うんです。
ヴィオラって相手とシンクロさせることが多い楽器なので、一緒に演奏しているとその人の本質を感じやすい気がします。もちろん大変なことはあるのですが、それゆえに室内楽ってすごいなぁ、音楽って素晴らしいなぁと思います。演奏している最中に「楽しいな」と思える出会いがあると幸せですし、本番で良いものが生まれると「音楽をやっていて良かった」と心底思います。

ピアニストの北村君の場合で言うと、彼がメロディーを弾いている上で私が演奏する時、あるいは同じ旋律やハーモニーを彼のピアノに重ねた時に、とっても幸せな気持ちになります。またそういう気持ちを味わうことが出来るんだと思うととても楽しみです。


今回の演奏会に向けて


――今回の演奏会に向けての抱負をお聞かせください。

田原:個人的にはエールQ&北村君と一緒にこのホールで演奏させていただける、それだけで何よりも嬉しいというのが正直な気持ちです。大切で特別なメンバーたちと長い時間、この素敵なホールで弾けるというのは本当に幸せなことですし、みんなの背中を追いかけて頑張ってきて本当に良かったなと思いますね。

――最後に聴衆の皆さまへメッセージをお願いします。

田原:普段なかなか耳にできないプログラムを私たち5人の演奏で聴いていただき、「芸術の秋」・「音楽の秋」の日曜のひと時を過ごしていただけたらいいなと思います。そしてたくさんの方に聞きに来ていただけましたら嬉しいです。

(2019年4月アンサンブルホールムラタにて)


★公演情報はこちら

特別インタビュー①「北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)」

特別インタビュー②「北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)」

特別インタビュー③「田原綾子さんインタビュー(前編)」

フォーレに捧ぐ特別インタビュー③ 田原綾子さんインタビュー(前編)

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

いま旬の若き日本のトップ・プレイヤーたちが一堂に会し、京都でフォーレの名曲ピアノ五重奏に挑むコンサート(2019年11月10日(日)京都コンサートホールアンサンブルホールムラタ)。

本ブログで、北村さんとエール弦楽四重奏団(以降、エールQ)の山根さんへのインタビューをお届けしましたが、今回はエールQのヴィオラ奏者、田原綾子さんにお話を伺うことが出来ました。

前回のインタビューで山根さんと北村さんが「田原さんはフレンドリーで、温かさなどを感じる人」とお話されていましたが、お会いしてみるとその言葉通り、本当に気さくでとてもチャーミングな方でした!


――こんにちは!お忙しい中、京都コンサートホールまでお越しいただき、ありがとうございます。さて、関西では過去に何度か演奏されていますが、京都での演奏は初めてですか?

田原さん(以下敬称略)実は京都コンサートホールは初めてで、来たのも今回が初めてです。同じ京都にあるバロックザールとアルティでは演奏したことがあるんですけどね。私の祖父母が京都在住なので、京都にはよく来ます。

――そうなんですね!京都のどちらですか?

田原:宇治です。また、毎年3月に京都で開催される「京都フランス音楽アカデミー」に参加していたのですが、祖父母の家から通っていましたので、年に1回は京都に来るという感じでした。

――ということは、いま師事されているブルーノ・パスキエ先生とは、京都フランス音楽アカデミーがきっかけで出会われたのですね。

田原:そうです。パスキエ先生に師事したくてパリのエコール・ノルマル音楽院へ行きました(※現在も在学中)。


ヴィオラとの出会い、ヴィオラの魅力


――よく尋ねられることだとは思いますが、改めてヴィオラとの出会いについて、そして田原さんが感じるヴィオラの魅力を教えてくださいますか。

田原:もともとヴァイオリンを5歳から弾いていて、「桐朋学園大学音楽学部附属 子供のための音楽教室」の鎌倉教室に小学校の時からずっと在籍していました。
高校では桐朋女子高等学校のヴァイオリン科に入りまして、ヴァイオリンを一生懸命弾いていたんですが、ちょっと息苦しいところがあったりしまして…。
もちろんヴァイオリンが好きで、音楽が好きで桐朋の高校に入ったんですけどね。

音楽教室に在籍していた頃からずっと、室内楽で色々な人と一緒に演奏するのが楽しくて、桐朋の高校に入ったら室内楽をやりたいと思っていましたので、高校2年生の時に、カルテットを組むことにしました。それが、いまのエールQです。
エールQを組むときに初めてヴィオラを触りました。それまではヴィオラとは縁がなかったのです。でもなんとなくヴィオラという楽器に
興味はあったのです。
「ヴィオラを弾いてみたいなぁ」と思っていたので、その時に「山根くんと毛利さんはヴァイオリンで、私はヴィオラ弾く!」って言いました。
「ヴィオラとの出会い」はこの時ですね。

――カルテットを始めた時に、ヴィオラへ転向したのですね。

田原:はい、カルテットを始めると同時にヴィオラを始めました。
当時は独学だったので、メンバーの足を引っ張ってしまっていたと思います。
思うように演奏出来なかったことがあまりに悔しかったので、当時師事していた藤原浜雄先生(※国際的に活躍する名ヴァイオリニスト)に「ヴィオラをしっかり習いたい」と相談しまして、岡田伸夫先生(※ヴィオリスト、著名な海外オーケストラのヴィオラ奏者を歴任)を紹介してもらい、高校3年生の時にヴィオラを習うようになりました。なので、実質的にヴィオラをちゃんと始めたのは高校
3年生、18歳の時です。

――エールQで始めた時は自己流だったということに驚きました。

田原:最初は見よう見まねでやっていたのですが、やっぱりヴィオラ弾きが出すヴィオラの音と、自分の弾いている「大きなヴァイオリンを弾いている」音とは全然違いました。どうしたらいいんだろうと思い、色々な方々からアドバイスをいただいたり、演奏会を聴きに行ったりしたのですが、どうしてもわからなかったんです。
岡田先生の下では、本当に基礎から始めました。最初は楽器の
構え方や解放弦だけ弾いていまして、「あぁ、こういう風にヴィオラの音を出していくんだな」と学び始めました。

――そういう時間を積み重ねていくうちに、ヴィオラという楽器にどんどん魅入られていかれたのでしょうね。

田原:ヴィオラの魅力は、ヴァイオリンとは違って、何より音色が暖かくて、深みがあるんです。
ヴァイオリンの華やかな音色とか、チェロの包容力のある音の響きなどももちろん大好きで素晴らしいんですけど、ヴィオラは旋律を演奏した時に、ヴィオラにしか出せない、心に響くような独特の音の力を持っているのではないかなと私は思っています。

カルテットなどでしたら、第二ヴァイオリンと一緒に内声を作ることが多い役割を持つのがヴィオラです。
「内声」っていうのは、「内なる声」と書くように、作曲者の内なる声がすべて凝縮されているように思います。
かつて今井信子先生(※日本を代表するヴィオラ奏者)が、カルテットをワインに例えて、「ラベルが第1ヴァイオリンで、ボトルがチェロで、ワインそのものが内声ね」と仰ったことがあります。
それくらい内声は大事な声部なんです。結局ラベルがよくないと手には取ってもらえないですし、ボトルが脆いと中身が漏れてしまいますが、最後は内声が大事なんですよ、と。

私自身、ヴァイオリンは歌って欲しいし、チェロは綺麗にしっかり心強く支えていてほしいです。でも「最後は内声が大切になってくるんだ」というように、強く意識して弾くようにしています。
今回演奏するフォーレもそうですけど、その曲を実際に演奏してみると「ヴィオラが持っている音色を意識して、とても大事に思って曲を書いてくれたな」と思うことが多いです。
ヴィオラ・ソロももちろん素敵なのですが、室内楽では必要不可欠な存在であるということが、ヴィオラの一番の魅力であると感じています。

――たしかに室内楽を聞いていると、ヴィオラが和声の要になっているなと感じることがたびたびあります。

田原:あまりヴィオラがしゃしゃり出てしまうと、それはそれで中身が溢れかえっちゃうような印象を与えてしまいますので、それには気をつけています。
ヴィオラにはヴァイオリンとチェロを上手くつなげる役割を持ってい
ますし、リハーサルをしていても、ヴィオラの人は「今日このメンバーの調子が悪いな」とか「あ、今日は調子がいいな」など、よく考えていると思います。

――今回のフォーレの楽譜を見ていると、ヴィオラの重要さが際立っていますよね。2番は、ほぼ全ての楽章がヴィオラからスタートしているし、1番はほかの室内楽と比べてちょっとヴィオラの役割が違うのかなと思いました。

田原:2曲共に、とてつもない大曲です。私自身、2番は演奏したことがあるのですが、今回はとてもやりがいのあるプログラムを組んでいただいて「頑張らないといけないね」ってメンバーで話しています。


フォーレ作品の魅力、特にピアノ五重奏曲について


――田原さんがフォーレを演奏している時、どういったところに魅力を感じられますか?

田原:フォーレは室内楽や歌曲をたくさん残していますが、和声の進行や、そこから作り出される響きが、本当に精巧に作られているんです。
ラヴェルやドビュッシーは、「いかにもラヴェル!」「いかにもドビュッシー!」っていう感じがしませんか?
でもフォーレは、最初にパッと聴いても、ラヴェルやドビュッシーほどは分かりやすいものではないと思います。宗教的な色が濃い、と言ったら良いのかな。
でもその分、聴けば聴くほど、フォーレの奥深さや味わいが伝わってくるのではないかなと思っています。
個人的に、フォーレの音楽を聴いていると背筋が自然と伸びるような、そんな印象を持っています。
だから今回のプログラムは本当に大変なんですよね(笑)。

――フォーレのピアノ五重奏曲第二番を演奏されたと仰っていましたが、どのような作品でしたか?

田原:4楽章構成なのですが、なによりも第3楽章がこの世のものとは思えないくらい美しくて、演奏していると心が洗われていくような気持ちになります。
それゆえに難しいんですけどね。
1, 2, 4楽章もそれぞれに素晴らしいのですが、3楽章だけ音楽の次元が少し違うような印象を持ちました。皆さんにもこの3楽章を是非聴いていただきたいです。
ただ、演奏される機会があまりないんですよね。

――そうですよね。なぜでしょうね。

田原:ピアノ五重奏曲と言えば、やはりブラームスだったりドヴォルザーク、シューマンなど、そういった作曲家の作品をイメージされる方が多いですよね。
フォーレは内容からみても演奏技術からみても、難しい曲かもしれません。
フォーレのピアノ五重奏曲は、メンバー5人全員が同じ方向性を持って「こういう音楽をこのような表現で、このような音にしたい」という気持ちを持って演奏しないと、フォーレ作品の深さまで到達することは出来ないだろうと思います。
たくさんの深い内容を持つ作品なので、色々なアイディアがメンバー間で生まれますし、皆でディスカッションして納得して、まとめていくことが大切だと思っています。

――そうなってくると大切なものがリハーサルですね。

田原:そうですね。でもリハーサルをする以前に、どういう風に作りたいか、それぞれのヴィジョンがしっかりしていないといけませんね。もちろん全員で過ごす時間も大事だし、一人で曲と向き合う時間も大事なんじゃないかなと思ったりします。

――以前、北村さんと山根さんにインタビューをした際、北村さんが「リハーサルをしっかり出来ないなら、この曲(フォーレのピアノ五重奏曲)は引き受けられない」というようなことを仰っていたのが印象的でした。

田原:この前少し考えていたのですが、リハーサルってお化粧に例えられるなと思ったんです。お化粧をする時、化粧水で肌を整えたり、下地を塗ったりしますよね。それと一緒で、例えば時間がなくて丁寧なリハーサルが出来なかったら、どれだけ本番で濃い演奏をしたとしても、綺麗には見えないんだなと思いました。
リハーサルとゲネプロと本番って考えた時に、本番に向けて、どれだけ良い肌の状態にもっていけるかみたいな(笑)
ゲネプロっていうのは最後の仕上げ。どこまで見栄えが変わったりするか、そういった場がゲネプロです。本番は、もう出来上がったものを最後にどうなるか、例えば誰かと会っている時に表情が華やかだと一層美しく見えるみたいな、そういうふうに考えていたことがありました。

だからこそ、リハーサルはすごく大事で、やっぱり時間をかけないといけない。ゲネプロ、本番に持って行くまでに出来るだけ良い状態に仕上げていかないといけません。

――お化粧に例えられたのはとても面白いと思いました。まさにそのとおりです。肌を整えないと、どれだけメイクしても厚化粧になったり、逆に肌が汚く見えたりしますからね。
それでは次はいよいよ、エール弦楽四重奏団のメンバーについてお聞きしたいと思います。

後編につづく・・・

(2019年4月アンサンブルホールムラタにて)


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特別インタビュー①「北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)」

特別インタビュー②「北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)」

 

【京響スーパーコンサート特別連載②】スウェーデン放送合唱団 前音楽監督ダイクストラ氏に聞く

投稿日:
インタビュー

京都市交響楽団が世界トップクラスの合唱団「スウェーデン放送合唱団」と初共演する、京響スーパーコンサート「スウェーデン放送合唱団×京都市交響楽団」(11/23開催)。

公演の魅力をより知っていただくための連載を本ブログにて行っております。連載の第2回は、8月25日に開催された京都市交響楽団 第637回定期演奏会で指揮を務めた、スウェーデン放送合唱団 前音楽監督のペーター・ダイクストラ氏にお話を伺いました。

スウェーデン放送合唱団と京響の両方を知るダイクストラ氏から、合唱団の魅力と両者が共演する本公演について語っていただきました。


――去る京都市交響楽団の定期演奏会では、素晴らしい演奏会を届けて、くださりありがとうございました。
さて、今年11月23日(土・祝)に京都コンサートホールで、ダイクストラさんが音楽監督を務めていた「スウェーデン放送合唱団」と京響が共演します。両団の共演でどのような化学反応が起こると思われますか?

(C)Astrid Ackermann

京都市交響楽団とスウェーデン放送合唱団との出逢いは、きっとわくわくするものになるでしょう。

スウェーデン放送合唱団のメンバーは優れた歌唱技術を持ち、声のコントロールも極めて優れていますので、多彩な表現が可能です。

この度、私は京都市交響楽団とハイドンの「天地創造」を共演する機会をいただき、皆さんと非常に充実した時間を過ごすことができました。京都市交響楽団は本当に素晴らしいオーケストラです。柔軟性があり、クラシック音楽を演奏することへの情熱を持っています。

京都市交響楽団とスウェーデン放送合唱団、この二つのアンサンブルのコンビネーションは、幸福に満ちたものとなることを確信しています。

ダイクストラ氏とスウェーデン放送合唱団

――両団の共演から生まれる音楽を聴くのがとても楽しみです。ダイクストラさんは、スウェーデン放送合唱団の音楽監督を2007〜2018年の11年間務められたということなのですが、その間に心掛けられたことや大事にされたことは何でしょうか?

スウェーデン放送合唱団の首席指揮者、そして音楽監督を務めることができたことを、心から光栄に思っています。

首席指揮者に就任したのはたしか28歳の時だったと思いますが、そのような若手の指揮者が長い伝統を持つこの合唱団の一員になるということは、本当に名誉あることなのです。私なりにではありましたが、この素晴らしい合唱団の伝統に少しでも貢献できればと、様々な興味深いレパートリーに取り組みました。そして更なる高みを目指し、彼らの持つ壮健な声、そして声の持つ柔軟さに気付いてもらうように努めました。

その道のりはとても充実したもので、彼らと共に音楽を創ることができたことをとても幸せに思います。

スウェーデン放送合唱団とダイクストラ氏(C)Arne Hyckenberg

――現在のスウェーデン放送合唱団が持つ魅力はどういったところにあると思いますか。

スウェーデン放送合唱団の持つ数々の特別な点の中で、私が直に感じたことの一つは、録音を聴いている時にいったい誰が歌っているのかわからないことなのです。この素晴らしい合唱団は鮮明さと同時に、密度の濃いサウンドを創り出しています。舞台には32人のメンバーが見えると思いますが、そのサウンドはたった32人とは思えないほど大きなパワーを持っています。彼らと共に音楽を創り上げていく過程は活き活きとした喜びに満ち溢れています。聴衆の皆さんにも同じように感じて頂けると信じています。

――スウェーデン放送合唱団と京響の共演が今からとても楽しみです!
お忙しい中、インタビューにお答えいただきありがとうございました。

(2019年8月28日事業企画課メール・インタビュー)


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★特別連載①「スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~」

フォーレに捧ぐ特別インタビュー② 北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)

投稿日:
京都コンサートホール

11月10日開催の「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)

いま旬の若き日本のトップ・プレイヤーたちが一堂に会し、京都でフォーレの名曲ピアノ五重奏に挑むコンサート(2019年11月10日(日)京都コンサートホールアンサンブルホールムラタ)。
本公演の開催に向けて、出演者の北村朋幹さん(ピアノ)と山根一仁さん(エール弦楽四重奏団/ヴァイオリン)にインタビューを行い、思い思いに語っていただきました。前編に続き、今回は後編をお送りします。

北村朋幹(ピアノ)©TAKUMI JUN
ガブリエル・フォーレ
エール弦楽四重奏団

――京都公演でプログラミングしているフォーレとシェーンベルクのピアノ五重奏曲3作品はいずれも大曲ですが、このメンバーだからこそ挑戦したいと仰ってくださいました。過去にこの5人で演奏されたご経験はおありですか?

北村朋幹さん(以下敬称略):一度あります。確か、ブラームスを演奏した時だったかな・・・?

――わたしたちとしては、本番はもちろんなのですが、練習やリハーサルがどのように展開されていったのか、そういったところにも興味があります。

北村:実はあの時、5人の予定が合わず本当に時間がなかったんです。じゅうぶんにリハーサル時間を取ることが出来なかったので、僕は個人的に納得出来るような本番ではありませんでした。でも一つ、強く感じたことがあります。それは「エール弦楽四重奏団のみんなは本番に強いな」ということです。みなさんがそれぞれにポテンシャルが高いですからね。

――5人で演奏する時は、どなたがリーダー役を担うのですか?

山根一仁さん(以下敬称略):誰がリーダーなのかといったものは作るべきではないのですが、結局のところ誰がメンバーを一番引っ張っているかというと、音楽に関する知識であったり勉強量とかになりますから、北村君でしょうね。常に僕たちを助けてくれます。とは言っても、エール弦楽四重奏団のメンバーも、思ったことをどんどん発言していきます。

――北村さんから見て、エール弦楽四重奏団はどのようなカルテットですか?

北村:僕は本当にバランスの取れたカルテットだと思います。
人間的にもそうですが、なによりもまず男性2人がまだ子供でしょう?(笑)
でもそれは重要なことなんです。
僕は客観的にみて、あの4人のなかで音楽を動かしているのは、山根君だと思うんです。違ってたら悪いんだけど、彼は猪突猛進というか、彼の音楽からは「間違っていても自分はこう思うんだから、それを分かってくれ」というメッセージを感じます。
上野通明君(チェロ)はすごくマイペースなんです。人の意見を聞いているのだけど、実際はそれに左右されることなく揺らがない。こういう「石」みたいな人は重要です。
一方、女性2人はとっても大人です。毛利文香さん(ヴァイオリン)はとても客観的に物事を見ている人。冷たいわけではないんだけど、全員の意見を聞いて、必要なことを常に理解している感じ。
僕にとって田原綾子さん(ヴィオラ)は、フレンドリーさや温かさなどを感じる人です。田原さんの力でこの3人がつながっていると思っています。

―――非常に面白い関係性ですね。こういった関係性がきっと音楽にも現れるのでしょう。練習を重ねていく上で、意見の相違などは生じますか。

山根:根本的なことを言うようですが、室内楽だけでなく音楽に対して「理想を追い求め続けていること」と、「理想を叶えるためにあらゆる手を尽くすこと」は非常に大切だと思っています。
それは、自分の理想を突き通すだけでなく、室内楽においては相手の意見を理解しようとする、歩み寄ろうとすることだと思います。意見がぶつかったとしても、それは互いが向かい合っているということですから、非常に良いことだと思いますし、僕はぶつかり合いがないほうが不自然だと思っています。
室内楽をする上でぶつかり合いがないと、気を使われている・妥協していると感じてしまう。それが嫌なのですね。
そういったことが自然にできる相手が北村君だったり、エール弦楽四重奏団のメンバーであったりします。
そう感じられる人は決してたくさんはいないですし、そういう場所があるということはとても幸せなことだと思います。贅沢だなぁと思っています。

北村:室内楽の理想は、誰が何を弾いているのか分からないくらい全部が一体化して、休符を演奏している人も音楽を弾いているようであり、音符を演奏している人も休符であるような演奏をすることです。
僕はピアノという楽器に疑いを持っているんですよね。大好きなんだけど、好きじゃないんです。矛盾しているようですが、ピアノはあまりにデジタルな音がする。そこからまず脱却するということが、室内楽をやる上での僕の一番の理想なのです。
ピアノからピアノじゃない音をするっていうのが、僕にとってとても重要です。

山根:北村君のように「脱却する」という考えに至る人ってなかなかいないんです。例えば、大きな音をだ出す、難しいことを完璧に弾く、そういうことを理想とする人ばかりなので、北村くんは稀有なピアニストです。

北村:僕は例えば、カルテットと演奏する時は、自分もカルテットのような音を出したいと思うし、逆にカルテットに対してピアノみたいな音を出して欲しいと思う時もある。そのように、音を融合させていきたいと思っています。

――お二人のお話をお伺いしていると、5人のハーモニーが今にも聴こえてくるような気がします。本当に楽しみです。それでは最後に、京都公演にお越しくださるお客様に一言ずつメッセージを頂戴できますでしょうか。

山根:この3曲を1つの公演で聴けることは滅多にありません。世界中を探してみてもなかなか見つけることは出来ないでしょう。
僕たちがベストを尽くせば絶対にいいコンサートになると思うので、色々な先入観を取り払っていただいて、ぜひご来場いただきたいです。僕たちにとってもお客様にとっても印象的なコンサートにしたいと思っています。

北村:こんなこと絶対言っちゃいけないでしょうけど、本当は50人くらいの小さなサロンで演奏したいと思うようなプログラムですよね(笑)。
山根君がいったような先入観は本当に必要ではなく、音楽って弾く方も聞く方も「自分はこの曲が好きだ」という個人的な関係だと思うんです。
この「好き」は他の人には伝わらないことが多い。だから、来てくださった結果「これがシェーンベルクの音楽」「これがフォーレの音楽」とは簡単に分からないかもしれませんが、「あぁ、いまの曲すごく好きだったな」となり得る3曲です。
こういったことは人生において尊い体験だと思いませんか。
なのに、作曲家の一つの側面だけを見て「シェーンベルクって難しそうだから聴くのをやめよう」となると、その人は一つ損をしていると言いたくなります。だから、とてもシンプルに楽しんでいただきたいなと思っています。

――ありがとうございます。お二人のお話のおかげで、演奏会だけではなく、5人のイメージも膨らませることが出来ました。
この演奏会の企画者としては、濃密なプログラムをこんなに素晴らしいメンバーに演奏していただくことに対して幸せを感じています。
この幸せを一人でも多くのお客様と一緒に共有したいと思っています。当日の演奏を今から楽しみにしています!

(2019年2月28日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都市内のカフェ「CLOVER」にて)

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フォーレに捧ぐ特別インタビュー① 北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)

投稿日:
京都コンサートホール

11月10日開催の「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)

いま旬の若き日本のトップ・プレイヤーたちが一堂に会し、京都でフォーレの名曲ピアノ五重奏に挑むコンサート。本公演の開催に向けて、出演者の北村朋幹さん(ピアノ)と山根一仁さん(エール弦楽四重奏団/ヴァイオリン)にインタビューを行い、今回の公演に対する意気込みや作曲家フォーレについて語っていただきました。前編・後編の2回に分けてお送りいたします。


―――北村さん、山根さんこんにちは。今日はお忙しい中、インタビューを受けていただき、ありがとうございます。おふたりは今回11月10日(日)開催の「フォーレに捧ぐ」にご出演されますが、はじめに、京都コンサートホールからフォーレの《ピアノ五重奏曲》全曲演奏のオファーが来た時、どう思われたか教えてくださいますか。

山根一仁さん(以下、敬称略):僕はフォーレのピアノ五重奏曲を全曲演奏することに対して、ピアニストの大変さを知らなかったのですが、僕自身「これはいい機会だな」と思いました。

北村朋幹さん(以下、敬称略):僕はこんな機会は絶対ないから、やりたいと思っていました。ただ、プログラムについてエール弦楽四重奏団のメンバーと話し合った時、僕は「もし、ちゃんとリハーサルが取れないのであったら、フォーレはどちらか一曲だけにして、2曲目はもっと簡単な曲にしよう」と強調して伝えました。
それくらい本気で挑まないといけない作品だからです。

山根:これから先に演奏する機会があるかどうかを考えたときに、このメンバーで今回これらの作品に挑戦することはとても勉強になるだろうなと思いました。
実際に演奏活動をしている中で、いま自分の周りにいる音楽の仲間で一番心から信頼している人はだれかと質問されたとしたら、今回のメンバーは一番に名前が挙がる人たちなのです。
このような機会を与えてくださり、とても感謝しています。

―――私たちも、皆さんに演奏していただくことが叶い、とても嬉しく思います。特に今は全員が海外在住でいらっしゃるので、タイミングよく京都にお越しいただけることになったことは非常に幸運なことです。
ところで、フォーレのピアノ五重奏全曲を演奏することは早々と決まりましたが、もう一曲、どのような作品をプログラミングするかという話になった時、色々な意見が出ましたよね。

北村:そうですね。確かフランクとか・・・・

―――そうでした。でも、最終的にはシェーンベルク(ウェーベルン編曲)の室内交響曲第1番になりました。なぜこの作品にしようと思いましたか?

北村:まず、演奏会をする上で、演奏家は聴き手のことも考えないといけないですよね。本当は、フォーレのピアノ五重奏曲を連続して演奏した方がプログラムとしてはまとまりが良いのかもしれませんが、それだと合計1時間強も連続で音楽を聴くことになります。それはお客様にとってあまりよくないだろうと考えました。

フォーレのピアノ五重奏曲2曲とシェーンベルクのプログラム順についても色々と考えていたのですが、フォーレの《ピアノ五重奏曲第1番》は冒頭の流れるようなアルペジオが美しいということと、個人的にフォーレの《ピアノ五重奏曲第2番》の後には何も弾きたくないということから、必然的に間に何かを入れようという案になりました。
そこで、何がいいかなってずっと考えていたのですが、「ピアノ五重奏」、そして「20世紀」という時代のことを考えたとき、シェーンベルクが挙がったんです。

シェーンベルクという作曲家は12音技法を駆使した人物ですが、彼は新しいことにたくさんチャレンジした、時代の最先端を行く作曲家でした。同時に、「ロマン派時代を崩壊させた作曲家」というイメージをどうしても皆さんお持ちなんですよね。
でも、“時代の最先端にいる”ということは、“前の時代の一番あと”でもあるんです。
だから、僕自身はシェーンベルクのことを究極のロマン派だと思っていて、特にOp.9はロマンティックな作品だと思います。
その直後に書かれたOp.11のピアノ作品で、彼は新たなステップを踏み出したのですが、その前に作曲されたOp.9は、まさに「究極のロマン派」。これ以上は行けないんだろうなって作品が、この室内交響曲なんです。
一方でフォーレという作曲家は、シェーンベルクとは全く違うベクトルの音楽を書いた人でした。二人とも全く違う方法で、「ロマン派」という逃げられない場所から新しいものを生み出していった作曲家だと思っています。
こういったことが、このコンサートのテーマになるんではないかな?と思いました。

―――ロマン派という逃れられない場所から、新しいものを生み出した……。それが二人の共通点なのですね。

北村:多少無理やりですが、そうだと思います。
二人とも新しいものを生み出しつつも、前の時代を捨てることはしなかった。それが僕自身にとって重要なことなんです。もっと後の時代の曲だと、まるで点描画のような作品もありますよね。でも僕はそういう音楽よりも、エモーショナルでメロディックな曲のほうが好きですね。
このシェーンベルクは、聴けばすぐに分かりますが、リヒャルト・シュトラウス (1864-1949) とかワーグナー (1813-1883) 、ブルックナー (1824-1896) の影響がいたる所に感じられて、破裂寸前の風船みたいな印象を受けるのです。
その風船には「ロマン派」がいっぱい詰まっていて、もう「バン!」と爆発しちゃうくらいにエモーショナルな曲です。そして、とてもクレバーに書かれていて、完璧な作品の一つだと僕は思っています。そういった作品を、シェーンベルクの一番の理解者であったウェーベルン (1883-1945) が編曲しています。

フォーレとシェーンベルク、この2人の作曲家はどちらも完璧ですが、2人を比べてみるとその「完璧さ」が違うことに気付かされます。
フォーレは5人が一つの流れで弾いていかなくてはいけませんが、シェーンベルンは全員が全員のパートを理解して、全員が指揮者のようにやっていかなくてはならない。そういった挑戦をこのメンバーと一緒にしてみたかったのです。

―――なるほど。このメンバーだからこそ、演奏したいという気持ちが強くなったのですね。おそらく、なにも知らない方からすると、あのプログラムを見たら、真ん中にシェーンベルクが入っていることにものすごく違和感を感じる人もいるかもしれないと思ったのですが、それは聴いていただくと納得していただけるということでしょうか。

北村:「納得していただける」とは言い切れないかもしれませんが、一つの「20世紀の音楽の在り方」が見えるだろうとは自負しています。

―――山根さんはシェーンベルクの《室内交響曲》をプログラミングしたことに対してはどうお考えですか。

山根:実は僕、シェーンベルクの作品ってコンチェルトとファンタジーくらいしか演奏したことがないのです。だから、リハーサル時間が物を言う作品だろうなぁとは思っています。身を引き締めてと思っております。
フォーレとシェーンベルクということで、どちらも大きな挑戦になるでしょうから、一番の仲間たちとこういった作品にチャレンジ出来ることを今から楽しみにしています。

 

フォーレに捧ぐ特別インタビュー 北村朋幹さん×山根一仁さん②へ続く…
(2019年2月28日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都市内のカフェ「CLOVER」にて)
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【フィラデルフィア管弦楽団 特別連載③】フィラデルフィア・サウンドの魅力

投稿日:
京都コンサートホール

アメリカ“ビッグ5”の一つである「フィラデルフィア管弦楽団」の魅力を様々な視点からお伝えする「特別連載」。第3回は、往年のフィラデルフィア・サウンドを知る音楽学者の岡田暁生氏に、フィラデルフィアの管弦楽団の魅力を語っていただきました。

* * *

随分昔のことだ。アメリカの友人に「フィラデルフィア管弦楽団ってどんなオーケストラなの?」と尋ねたことがある。当時わたしはまだこのオーケストラを聴いたことがなかったのだが、この友人は「音楽家だった僕の父が『あそこのオーケストラの弦パートにはストラディバリウスを持っている奏者がうじゃうじゃいる、世界で一番ストラディバリウスがあるオーケストラさ』と言ってたことがある - ほんとかどうか知らないけど」と言ってにやりと笑った。それから数年後、初めてこのオーケストラを聴いて(当時音楽監督をやっていたリッカルド・ムーティの指揮だった)、これが都市伝説ではなく実話に違いないと確信した。オーケストラのサウンドが一体どこまで「ゴージャス」になることが出来るか ―― フィラデルフィア管弦楽団を聴くとはそれを体感することだ。

The Philadelphia Orchestra performs on New Years Eve, Thursday, Dec. 31, 2015, in Philadelphia. (Photo by Jessica Griffin)

このオーケストラの響きは「フィラデルフィア・サウンド」としてあまりに名高い。もちろんアメリカのオーケストラはどこも豪華な響きを出す。だが「ニューヨーク・フィル・サウンド」とか「ボストン・サウンド」などといった言い方はない。そもそもオーケストラで「・・・サウンド」といった表現がされるのは、黄金期のカラヤン/ベルリン・フィルの「カラヤン・サウンド」、そしてこの「フィラデルフィア・サウンド」くらいのものだろう。

嘘か誠か「世界で一番ストラディバリウスがある」という響きを体感するには、このオーケストラの名声を世界にとどろかせたかつての音楽監督ユージン・オーマンディの指揮による『ロンドンデリーの歌』の古い録音を聴くことを勧める。この贅を尽くした艶、このうねり、このすすり泣き、この陰影!そしてそこはかとないノスタルジー!これぞアメリカンドリーム・サウンド!管楽器もすさまじい。これまたオーマンディ指揮のシベリウス『フィンランディア』の古い録音(このオーケストラがシベリウス自身によって絶賛されたことは有名である)では、どのパートも思いきり「どうだ!」と見栄を切る。それがことごとく「決まる」。しかも個人がスタンドプレーしているのではなく、全体のチームワークがすごい。翳りや深さにもことかかない。

フィラデルフィア管弦楽団はリーマン・ショックのせいで2011年に破産したりして、あのかつての「ゴージャス・アメリカンドリーム・サウンド」をどれくらいまだ維持しているか、懸念がなくはなかった。しかしネゼ=セガン指揮による最近の録音をいくつか聴いてみて(その中には京都公演の演目であるラフマニノフのピアノ協奏曲第二番も含まれる)、それが杞憂であったと大いに安心した。恐らくセガンが意識的に伝統のサウンドを維持することを目標にしているのだろう。この響きはほとんど世界無形文化遺産だ!

(C)Jessica Griffin

岡田暁生(おかだ・あけお)

1960年京都生まれ。大阪大学文学部博士課程単位取得退学。ミュンヘン大学およびフライブルク大学で音楽学を学ぶ。現在京都大学人文科学研究所教授。文学博士。著書『音楽の聴き方』(中公新書、2009年、吉田秀和賞受賞、2009年度新書大賞第三位)、『ピアニストになりたい - 19世紀 もう一つの音楽史』(春秋社、2008年、芸術選奨新人賞)、『恋愛 哲学者モーツァルト』(新潮選書、2008年)、『西洋音楽史 - クラシックの黄昏』(中公新書、2005年/韓国版、2009年)、『オペラの運命』(中公新書、2001年、サントリー学芸賞受賞)など。『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』(NHK)や『名曲探偵アマデウス』(NHK・BS)など、テレビ出演多数。朝日新聞の演奏会評のレギュラーで、日経新聞の書評欄もしばしば執筆している。近刊に『リヒャルト・シュトラウス』(音楽之友社)、『すごいジャズには理由がある』(アルテス)など。

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★特別連載
【第1回】受け継がれる伝統とフィラデルフィア・サウンド
【第2回】アメリカ在住ライターが語るフィラデルフィア管弦楽団の現在(いま)

【京響スーパーコンサート特別連載①】スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~

投稿日:
京都コンサートホール

2019年11月23日(土・祝)開催の「京響スーパーコンサート」では、世界トップクラスの合唱団「スウェーデン放送合唱団」が京都市交響楽団と初共演をいたします。

スウェーデン放送合唱団の京都初公演でもある本公演をよりお楽しみいただくため、本ブログにて特別連載を行います。第1回は、スウェーデン放送合唱団に詳しい音楽評論家の那須田務さんに、合唱団の魅力をたっぷりと語っていただきました。


「スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~」

那須田務(音楽評論)

スウェーデン放送合唱団といえば、オーケストラ・ファンにとってはスウェーデン放送交響楽団のみならず、ヨーロッパ一流オーケストラの合唱付き管弦楽作品のベスト・パートナーとして知られるほか、合唱ファンには古今のスタンダードな合唱曲や北欧や東欧の様々な作品の優れた演奏を通してお馴染みの存在だ。たとえば、アバド、ベルリン・フィルと共演したベートーヴェンの「第9」(CD、DVD)は名盤中の名盤だし、合唱の神様と称されるエリクソンとのブラームスやブルックナー、カリユステと録音したグレツキやシュニトケのアルバムなどは合唱を聴く楽しさを教えてくれると同時に、人間の声の可能性は本当に無限大なのだと実感させてくれる。

(C)Arne Hyckenberg

このような名人芸と高い芸術性を兼ね備えた合唱の最高峰だが、2007年にダイクストラの音楽監督就任が報じられた時には驚いた。古楽から現代音楽まで独自の音楽的センスを持ち、共演者に完璧な表現を要求する鬼才として、オランダの男声合唱団ザ・ジェンツを率いて目覚ましい活動を行なっていたからだ。それから10年余り。期待通りダイクストラはスウェーデン放送合唱団にレパートリーや音楽面で新たな魅力を付け加えることに成功した。

ここ数年の来日公演で特に印象に残っているのは、4年前の東京都交響楽団の定期公演。ダイクストラの指揮でリゲティのア・カペラ混声合唱曲《ルクス・エテルナ》、管弦楽伴奏版シェーンベルクの《地には平和を》、モーツァルトの《レクイエム》(ジュースマイヤー版、ソリストはアマーストレム、ティマンダー等)という、合唱団が主役のようなコンサートだった。東京文化会館大ホールに現れた彼らは北欧の人らしく皆すらりと背が高く、どこか僧侶か修道女を思わせる。リゲティとシェーンベルクもすばらしかったが、やはり白眉は後半の《レクイエム》。〈イントロイトゥス〉の合唱のクレッシェンドが印象的で、キリエのきびきびとしたテンポと合唱の明快なフレージングなど積極的な表現が快く、〈ディエス・イレ〉などは一陣の風が吹き抜けたよう。ラテン語のテキストを歌う際にアーティキュレーションで実に豊かな表情を付けていく。肌理細やかな弱音から天地を揺るがすフォルテまで表現の幅が広く、その上各パートに室内楽的な纏まりがあり、フーガやフガートなど対位法的なフレーズがくっきり浮かび上がる。白眉は〈ラクリモーサ〉。温かな歌声と精妙な表情付けが見事で、最後のアーメンの美しさもまた格別だった。ダイクストラは昨年、音楽監督を退任、その後は音楽監督を置かずに活動しているという。

(C)Kristian Pohl

そんなスウェーデン放送合唱団が11月に来日して、当京都コンサートホールで広上淳一の指揮する京都市交響楽団とモーツァルトの《レクイエム》(ソリストはシュヴァルツ、ラングフォードら)を共演する。ダイクストラが同合唱団に残したものは何か、しなやかで情感豊かな広上の指揮や京都のオーケストラとどのようなパフォーマンスを見せてくれるのかなど興味は尽きない。


那須田務(なすだ・つとむ)音楽評論家 

ドイツ・ケルン大学音楽学科修士修了。著書に『音楽ってすばらしい』『名曲名盤バッハ』、監修著作『河出「夢」ムック バッハ』、共訳書アーノンクール著『音楽は対話である』の他、多数の共著書がある。現在ミュージック・ペンクラブ・ジャパン事務局長。洗足学園音楽大学及び同大学院非常勤講師。『音楽の友』で演奏会評を、『レコード芸術』で新譜月評を担当する他、「古楽夜話」好評連載中。

 


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★特別連載②「スウェーデン放送合唱団 前音楽監督ダイクストラ氏に聞く」