2019年11月3日(日)に「第23回京都の秋 音楽祭」のメイン公演の一つとして14年ぶりの京都公演を行う、アメリカの名門「フィラデルフィア管弦楽団」(以下「フィラデルフィア管」)。
本公演やアーティストの魅力をお伝えすべく、当ブログにて「特別連載」を行っております。第2回はアメリカ在住のライター小林伸太郎さんに、ニューヨーク公演でのレポートも含め、フィラデルフィア管の現在(いま)と音楽監督ヤニック・ネゼ=セガン氏について語っていただきました。
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6月7日に、フィラデルフィア管弦楽団のコンサートをニューヨークのカーネギー・ホールで聴いた。フィラデルフィア管は毎シーズン、カーネギーで少なくとも3回は演奏会を行うが、そのほとんどを音楽監督のヤニック・ネゼ=セガンが指揮する。彼は昨年秋からメトロポリタン・オペラの音楽監督にも就任し、40代前半の若さにして米国で最も重要なアンサンブルを2つも同時に掌握することになった。この6月は、フィラデルフィア管のコンサート前後にMET管弦楽団(メトロポリタン・オペラの専属管弦楽団)もカーネギー定期を立て続けに2回行ったが、これらももちろんネゼ=セガンが振った。まるでネゼ=セガン特集ウィークを組んだかのような6月初旬のカーネギー・ホールは、彼が現在、北アメリカのみならず全世界の音楽会の頂点の一つにあることを如実に示した感があった。
しかしながらネゼ=セガン、これほどの重責にありながら、その出で立ちはいつも衒い(てらい)がない。7日のコンサートでも、黒いスラックスに白いジャケット・シャツのような上着の、お洒落ながらどこかインフォーマルな装いで颯爽と登場した。フィラデルフィア管のメンバーが通常の黒の上下で固めている中、満面の笑顔で登場したネゼ=セガンの白い上衣は、ひときわ眩しかった。
満面の笑顔といえば、ネゼ=セガンの最近の写真は、ポートレートだけでなく演奏中の写真であっても、微笑みをたたえている写真が多い。地元フィラデルフィアの演奏会後に行われたイベントで、作品について語るネゼ=セガンを見かけたことがあるが、この時もマイク片手に聴衆に気楽に語りかける伸び伸びとした姿が印象的だった。
フィラデルフィア管第8代音楽監督に就任してから7年が経ち、40歳代半ばにさしかかろうとするネゼ=セガン。パーソナル・トレーナーを付けて鍛えているという強靭な体躯は、柔らかな指揮ぶりからも感じられ、未だにボーイッシュな青年の印象だ。リハーサルにおけるミュージシャンとのコミュニケーションでも、ポジティブでリラックスしたネゼ=セガンの若いエネルギーが支配するという。創立百周年を優に超えるフィラデルフィア管の歴史は、20世紀の巨匠指揮者の歴史でもあったわけだが、彼のカジュアルなアプローチは、独裁者的権威を振るったひと昔の指揮者のそれとは隔世の感がある。
しかしネゼ=セガンには、この伝統を新たな世紀に繋げようとする強烈な意思がある。伝統のフィラデルフィア・サウンドは、実はかつて本拠地としていたホールの音響の不備をミュージシャンが演奏で乗り越えようとした結果生まれた、という説がある。そのため、2001年から楽に音が響く現在の本拠地に移ったことで、フィラデルフィア・サウンドは徐々に失われるのではないかと、懸念する向きが一部にあった。しかし7日のストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ラフマニノフのオール・ロシアンのプロでは、とりわけ弦のうねる響きにある、よい意味での一体感が観客を熱狂させていた。フィラデルフィア・サウンドはネゼ=セガンの下、保たれながらも、さらに伸びのある柔軟性を獲得し、確実に進化しているのではないだろうか。
2012年、不景気に端を発した倒産の危機から辛うじて脱出したばかりという、フィラデルフィア管史上かつてない難しい時期に音楽監督となったネゼ=セガン。彼のポジティブなエネルギーは、次々に新しいイニシアチブを生み出し、例えば昨年は、様々なバックグラウンドを持つ複数の女性作曲家への多様な新作委嘱をまとめて発表、注目された。現在彼の音楽監督契約は、2026年まで延長されている。腰を落ち着けたネゼ=セガンとフィラデルフィア管の将来に、大いに期待したい。
小林伸太郎(こばやし・しんたろう)
ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシ ック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆。現在は、「音楽の友」「レコード芸術」「モーストリー・クラシック」などにレギュラーで寄稿している。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒。カーネギー・メロン大学で演劇を学んだ後、アートマネージメントで修士号取得。ニューヨーク在住。
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6月7日カーネギーホール公演のライヴ録音が以下よりお聞きいただけます。
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