京都コンサートホールスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』の第2回「ベル・エポック~サロン文化とドビュッシー~」にご出演いただく福井麻衣さん。
12年のパリ生活を経て、現在では日本を代表するハーピストとして国内外で活躍を重ねていらっしゃいます。
福井さんには、本シリーズのコマーシャル動画にご出演いただいているので、その美しいハープ演奏に耳を奪われた方もすでにいらっしゃるかもしれません。
わたしたちはそんな福井さんの魅力に迫るため、今回特別インタビューを敢行しました。
2回にわたって、皆さまにお届けいたします。
――福井さん、こんにちは!今日はインタビューに応じてくださってありがとうございます。
とても美しいハープも持ってきてくださって感激しております。一般的に言えば、子どもの頃に「ハープを習おう!」とか「ハープを習いたい!」とかなかなか思えるきっかけってあまりないのではないかと思うのですが、福井さんはどのようにしてハープに出会われたのでしょうか。
福井麻衣さん(以下敬称略):この楽器に出会ったのは小学校の頃です。ちょうどその頃、父の仕事の関係でスウェーデンに住んでいたのですが、同じ小学校に通っていた1学年上の女の子が、たまたまイギリス人と日本人のハーフだったんです。
スウェーデンの学校に日本人がいるというのは当時とても珍しくって、その女の子とはすぐにお友達になったのですが、ある日彼女のお家に遊びに行ったところ、部屋に大きなグランドハープがでーん!と置いてあったんです。
――なんと!珍しいですね。
福井:そうなんです。しかも、彼女のお母さんがハープ奏者だったんですよ。
そんなこと知らずに友達のお家に遊びに行ったんですが、そのハープを見た瞬間に「あ、これ弾いてみたい」と思いました。
――ハープの何に一目惚れされたんですか?
福井:別に何の理由もなく、ただ単に好奇心でした。
――一目惚れされたのはハープの音色ですか?それともフォルムでしょうか?
福井:(即答で)フォルムですね。
(一同笑い)
福井:面食いってわけじゃないんですけど(笑)ハープに関しては、面食いでしたね(笑)。
――ハープの一番の魅力ってどこでしょうか。
福井:やっぱり誰でもが弾ける楽器というところでしょうか。
どの楽器でも初めての時は音を出すのに苦労すると思うんですけど、ハープは指ではじくとすぐに音が鳴ります。
グリッサンドも簡単に演奏できます。そういうところが一番の魅力ですかね。
――ピアノもそうですけど、確かに誰でも音は出ます。でも、やっぱり演奏する人によって音色は変わると思うんです。ハープの場合、例えば、手の大きさであったり筋肉の付き方とかで音色は変化するのでしょうか。
福井:うーん、一番音色が変わる要素としては、指に出来る「マメ」や「タコ」でしょうか。
ハープ奏者は指で直接弦をはじくので、指にマメやタコができやすいんですけど、私は幸いにもマメができにくい体質なんです。
マメやタコが大きくなってしまうと、キツい音色になってしまうんですよ。
なので、なるべくなめらかな音が出るように、ハープ奏者は目の細かいヤスリで丁寧に指先を削ったりします。
ただ、こういうケアをやりすぎると、今度は皮膚が薄くなってしまって痛くなっちゃうんですけどね。
――福井さんは一日にどのくらい練習をされるんですか?指にマメやタコが出来るくらいですから、たくさん演奏していらっしゃると思うのですが…。
福井:日によりますけど、学生の頃は絶対に一日5時間はやらなければいけませんでしたね。
――5時間ですか!?すごいですね。
福井:特にコンクールなどを控えていると、5時間から8時間の練習は必須でした。
もちろん休憩を取りながらですけど。
――今ちょうど学生の頃のお話しをしてくださったので、その頃のお話もお伺いしたいです。
福井:スウェーデンから日本に帰国した後は、吉野篤子先生(日本を代表する名ハーピストで、ハープ奏者の吉野直子氏の御母堂)についていたのですが、高校2年生のときにパリ留学を決めました。
――パリ国立高等音楽院(以下パリ音楽院)ですね。
福井:はい、そうです。パリ音楽院は3回試験を受けられる権利があって、年齢制限もあります。
ハープ科はたしか21歳か22歳までは受験資格があります。下の年齢制限はないので、高校二年生のときに「また来年も受けられる」と軽い気持ちで受けに行ったら受かってしまいました。
嬉しい反面「あぁ、どうしよう。高校の勉強はどうしよう」と思った覚えがあります。当時インターナショナルスクールに通っていたのですが、お願いして通信教育で高校の勉強を続けさせてもらいました。
ですので、パリ1年目は高校3年生の勉強とパリ音楽院での勉強と二重に学ばなければいけなかったので、留学時代の中でもたぶん一番忙しい年だったと思います。
――音楽院での生活はいかがでしたか。
福井:日本の音楽学校、音楽大学も一緒だと思うんですけど、やはり常に音楽が聴こえてくる環境でしたね。あとは、ダンスの方もいらっしゃったので、ダンスの方とのコミュニケーションとかもできたり…。
――福井さんはフランス時代にコンクールをいくつか受けられていますよね。
コンクールの思い出話もお聞かせいただきたいです。
福井:面白い話があります!(笑)
パリ音楽院時代、2年生のときにパリのコンクールを受けたのですが、ちょうどその時期が11月で雪が降ってました。とても寒かったのです。
ハープ演奏のときはヒールを履いて演奏するので、そのときにとても寒かった私は『出番まで、これを履いておこう』と思って分厚いソックスを控室で履いたわけです。
だって、ストッキングだけだったら寒いじゃないですか。
そのソックスを本番前に必ず脱がなきゃと思っていたのですが、自分の出番になった時名前を呼ばれて、羽織っていたカーディガンは脱いだんですけど、あろうことかソックスを脱ぎ忘れたんですよ!
冬用の分厚いソックスを履いたまま舞台に上がってしまったんです!
それに気付かないまま舞台まで出ていったのですが、お辞儀をした瞬間にドレスの裾から分厚い冬用のソックスがにょきっと見えちゃって(笑)。
うわぁ…どうしよう…と思ったのですが、舞台に上がってしまっている以上、もう弾くしかありません。
そう思って演奏したら、なんとそのコンクールで優勝したんです(笑)。
――いやぁ、ソックス効果ですね!(笑)でも優勝されたので、カッコイイなぁと思います。
福井さんはコンクールで演奏される時、緊張されますか?
福井:あんまりしない方ですね。楽観的かもしれないです(笑)。マイペースではありますね。
自分の名前は「麻衣」なのですが、周囲からは「マイペースの“マイ(麻衣)”だね」なんて言われます(笑)。
何かこう、自分の世界に浸ってしまうのかもしれません。
――マイペースの麻衣ちゃん、だったんですね(笑)。でも芸術家の方々はみなさん、そういうところがありますよねぇ。
ところで、福井さんはハープの国際コンクールの中でも最も由緒あるコンクールのひとつ、イスラエル国際ハープコンクールで3位を受賞されていらっしゃいますね。
どんなコンクールだったか、お聞かせいただけますか。
福井:イスラエルはけっこう規模が大きいコンクールで、ファイナルへ行くまでに3つステージがあります。
課題曲もとてもハイレベルなもので、第1、第2ステージはソロの曲なんですけど、第3ステージになるとその年によって色々と課題が変わります。
私が受けた年は、ブリテンの作品を歌手と一緒に演奏するものが1曲、それからハープの周りに打楽器を並べて演奏する現代曲が1曲、という課題でした。
また、本選に進むと、コンチェルトが2曲課されましたので、それらの曲を憧れのイスラエル・フィルと弾かせていただきました。
イスラエル・フィルと一緒に演奏出来た思い出は一生忘れません。
(2018年5月16日京都コンサートホール事業企画課インタビュー
@アンサンブルホールムラタ ホワイエ)
<特別連載⑥に続く…>
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★特別連載一覧
【第1回】ドビュッシーとパン(牧神)
【第2回】進々堂 続木社長インタビュー(前編)
【第3回】進々堂 続木社長インタビュー(後編)
【第4回】ピアニスト 永野英樹に迫る