長年フランスに在住し、いまは亡きピエール・ブーレーズ率いる現代音楽のエキスパート集団「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の専属ピアニストとして、世界の第一線で活躍し続けてきた永野英樹氏。
11月10日には、京都コンサートホールのスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』の第2回「ベル・エポック~サロン文化とドビュッシー~」に、フランス人ソプラノ歌手のサロメ・アレール氏と共に登場します。
今回はそれを記念して、「ピアニスト 永野英樹」に迫るインタビューを敢行しました。
所属するアンサンブル・アンテルコンタンポランの話やフランス音楽に関する話など、非常に濃い内容の話をたくさん聞かせくださいました。
ピアノ演奏だけではなく、そのお人柄も魅力的な方で、お話を伺っていて思わず引き込まれてしまうほどでした。
――永野さんはフランス在住でいらっしゃいますが、いつから住んでいらしゃるのですか?
永野英樹(以下、敬称略):88年の夏ですね。今年の8月でちょうど30年になります。
――フランスではどういった活動をされているのでしょうか?
永野:僕は96年から「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」というグループで活動しているんですが、その仕事が90%を占めています。
――現代音楽のエキスパート集団「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」ですが、どのようなグループか教えてくださいますか。
永野:1976年、ピエール・ブーレーズ (1925-2016) はその当時フランスの首相だったジョルジュ・ポンピドゥーから、IRCAM(電子音楽や音響に関して探求する研究所)の創設に関わる責任者になるよう命じられたんです。
その時に「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」も一緒に創設されました。ブーレーズは初代音楽監督です。いまは、マチアス・ピンチャーという作曲家が音楽監督を務めていますが、ブーレーズが亡くなるまでは毎年必ず、一回はブーレーズと一緒に仕事をする機会がありました。
このアンサンブルは確かにブーレーズが創設に関わったんですけど、別に彼の曲ばかりをやるというわけではなく、「20世紀以降の作品を広めましょう、初演もしましょう」というスタンスで活動しています。もちろん、20世紀のクラシック古典もしますよ。
例えば、バルトークとかドビュッシーなどですね。ブーレーズの指揮でドビュッシーを演奏する機会はなかなかなかったんですけど。というのも、うちは30人くらいの小編成のグループなものですから、その編成で出来るドビュッシー作品っていうのが無いんです。
うちのアンサンブルで出来るものでいうと、シェーンベルクとかウェーベルンとかストラヴィンスキーの作品ですかね。それがレパートリーとしては一番古いものです。
――どのようにして「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」に入団したのですか?
永野:ここは毎回、オーディションがあるんですよ。それがたまたまショパンコンクールの年(1995年)と重なってしまったんです。
僕は別に、現代音楽のスペシャリストになるつもりはなかったので、その年開催されるショパンコンクールの準備に励んでいました。
アンサンブル・アンテルコンタンポランにはピアノのポストが3つあったのですが、当時在籍していたピエール=ロラン・エマールがおやめになるということで、ちょうどその時ポストが1つ空いたのです。
――凄いピアニストが在籍していたのですね。
永野:まぁ、そういうところではあるんですけど。
それでなぜか、たまたまだと思うけれど、自宅にオーディションの要項が届いたのです。
普段、こういうものは学校の掲示板等に張り出しされるものなんですが、その時はたまたま自宅に届きました。
多分、前年(94年)に受けた第1回オルレアン20世紀国際ピアノコンクールで入賞したので、そこでの演奏を聴いていただけていたのかもしれませんね。
それで、要項を見て「あっ」と思って。いちおう申込をしておいたのですが、その時まさにショパンコンクールの真っ最中だったので、練習ではショパンばっかりやってました。
――「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」のオーディションではなにを演奏されたのですか?
永野:オーディションは、半分クラシックな感じでした。ベートーヴェンの「熱情ソナタ」1楽章、ドビュッシー前奏曲集から1曲、シェーンベルクの作品(作品33b)、それにブーレーズのソナタ3番の1楽章から抜粋、あとは自由に弾いて良いと言われたので、僕はその直前に弾いていたリゲティのエチュードを演奏しました。それで、ファイナルの審査では初見の審査がありました。
――きついですね、ショパンコンクールの直後ですもんね。
永野:はい、きつかったです。全然準備できてなくて。本当に間際ですよね。
ショパンコンクールがあまりうまくいかなかったんです。すごい長い時間かけて準備してきたものが終わった後、気が抜けちゃって。すぐ次の課題に取り掛かれなくて・・・。ちょっとボーっとした期間がありました。でも「そろそろやるか」って腰を上げたのがオーディションの1週間前!譜読みはすでにしていましたが、ちゃんと練習したのは1週間前でしたね。
――・・・すごく濃い1週間でしたね。
永野:そうなんです。それこそダメ元で受けましたよ。
でも気負いがなかったせいか、1次でははうまくいって、最終審査の2人に残ることが出来ました。たぶん30人、40人くらいは受けていたと思うんですけどね。
ちょうどその頃、ブーレーズが体調を崩していまして、すぐに検査をしなければいけないっていうことになりました。普段、彼は1次の演奏とかは聞かないんだけど、最終審査には必ず出てくるんですよね。彼自身が希望して、立ち会うんです。
ですが、いまでは笑い話ですけど、ブーレーズのが病院に行かないといけないという理由で、僕、その日の8時に弾かされたんですよ。
――え?8時って朝?!
永野:そう、朝!(笑)いまだに忘れられないですよね。7時30分とかに会場行って、30分くらい指ならししました。あの日、ブーレーズは10時に病院へ行かなくてはいかなかったんですよね。1人1時間の演奏で2人だから、8時スタート(笑)。
――朝8時の本番って、あまりないですよね・・・
永野:そうでしょう。しかもですね、前日の夜の8時過ぎに電話で「オーディションに通りました」っていう連絡をもらったんです。それでこう続けるわけです、「明朝8時に弾きに来てくださいね」って(笑)。結果合格しましたが、すごいオーディションでしたよ。一生忘れられませんね。
――本当に、一生の思い出ですよね(笑)。
ところで、さきほど「現代音楽は嫌いではなかったが専門にしていたわけではない」と仰っていましたが、「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」に入るとそういうわけにはいかないですよね。
永野:そうなんです。最初はけっこう辛かったですね。毎回、これまで演奏したことのない曲を演奏しなければならなかったのです。最初の3年間は少し辛かったですね。当時はかなりストレスというか、反動的にクラシックやりたくてたまらなかったです。
変な話なんですけど、逆に、ショパンコンクールの準備している最中って、むしろ「ちょっとブーレーズとか弾いてみたいな」とひそかに思っていたんです(笑)。
だからたぶん、僕の中で2つのバランスを取るっていうのが、一番いい方法なんだなっていうのはその時に分かりました。
今もそういうスタンスで活動しています。
――永野さんはもともとどの作曲家がお好きだったんですか。
永野:そうですねぇ・・・。ショパン・コンクールを受けるくらいだからもちろんショパンは嫌いではなかったですし、モーツァルトも好きでしたね。
あまりドイツの濃い(って言ったら変だけど)、ブラームスとかワーグナーとかR.シュトラウスとか、昔はあまり好きではなかったんですよ。
でも、最近はそれが逆になってきたんです。ベートーヴェンが好き。一方、モーツァルトからはどんどん離れていっちゃってます。
フランスものでも、昔はドビュッシーとラヴェルと比べたらどちらかというとラヴェルの方が好きだったんですけど、最近は「ドビュッシーって良いな」と思うんですよね。
もともと、僕がピアノを始めるきっかけはドビュッシーにあったんです。
「ソナタ」よりは、ドビュッシーがつけた詩的なタイトルの方が「な、なんだ?!」って興味がひかれるでしょう。僕が小さい頃はそういうタイトルに惹かれていた部分もあります。
あとは、僕の母の妹の旦那様の影響もありました。彼らは東京に住まいを持っていたのですが、名古屋出身の僕はそこで下宿をさせてもらっていたんです。
その叔父が筋金入りのクラシック音楽ファンだったんですよ。彼、相当マニアックなレコード・コレクションを持っていましてね。
そのコレクションの中にドビュッシーもあったりなんかして、「へぇ、これがドビュッシーか」なんて思っていました。
――ドビュッシーにとってラヴェルはやはり比較対象でしょうか。
永野:そうですねぇ。僕はフランスものが持つカラーが好きなんですけど、ラヴェルっていうのはどちらかというと、「知」に刺激を受けるようなものがあると思うんです。
耳の響きというか、響きという感性に訴えるものはあるんだけど、こうやって頭の中に来るっていう感じってわかりますか?知的な部分がありますよね。それが「楽しみ」になるんですが。
でもドビュッシーって逆に、「情」の方じゃないですか。
もう亡くなってしまわれたのですが、むかし東京藝大に伊達純先生っていう先生がいらっしゃったんです。僕の師匠なんですが、フランスから一時帰国したときにそういう話をしたことがあります。
ドビュッシーとラヴェルの演奏の違いっていうのがあって、ラヴェルは演奏しようと思うとドビュッシーなんかよりも技術的に難しいんですね。
しかしながら、逆に弾けてしまうと、ある程度「かたち」になるところがある。
でもドビュッシーは弾けただけだと、「かたち」にならないんですよ。なにかやらないと、曲として面白くないっていうところがあって。
こういう部分に気付いたので、最近僕の趣味が変わってきたのかもしれませんね。
モーツァルトもラヴェルも早書きで天才だったんですよ。頭で出来ちゃう部分っていうのがある。そういう部分を楽しむことは出来るんですけど、今度は逆に、感情や何かを注ぎ込まないと曲にならないっていう作品にも、どんどんと惹かれてきたんですよね。
これはたぶん、年齢のせいですよね(笑)
――ドビュッシーの作品の中で特に好きなものやよく演奏する作品ってありますか?
永野:実は僕、ドビュッシーの持ち曲って少ないんですけど、やっぱり後期の作品は素晴らしいですよね。
ブーレーズのアンサンブルで現代ものをやっているというせいもあるのかもしれませんが、ドビュッシーの後期作品にはそちら(現代音楽)につながっていくものが非常にたくさんあるんです。
それもあるから、ブーレーズも、特にドビュッシーに特に思い入れがあったみたいなんですよね。意外でしょう?ドビュッシーってさっきも言ったように、「情」の部分に訴えかける音楽なのですが、ブーレーズの音楽っていうと一般的には「頭で考える」みたいなところが多分にありますよね。
でもドビュッシーの音楽には現代的というか、未来に向かって開かれている要素がたくさん詰まっています。面白いことに、書き残されたものを見てみると、実はラヴェルの方がもっと保守的だったんですよね。色々試したりもしているんですけど、かなり保守的です。
例えば、シェーンベルクの音楽に懐疑的だったりとか・・・
そういう目で見ると、ドビュッシーの方がぐんと先に、作曲法としてはもう現代に近づいていたことをしていたんですよね。後期の作品は斬新だし、素晴らしい品格を持ったものが多いです。
《12の練習曲》とか、《前奏曲第2集》とか、最近好きになった《映像第2集》などは、やっぱり凄いと思います。
――今回、永野さんが演奏してくださるプログラムにはフォーレ・ラヴェル・ドビュッシーの歌曲が入っていますね。
永野:選曲はサロメ・アレールさんと相談しながら決めたんですけど、最終的にわりとこう、有名所の3人が並んでしまう形になって、それはそれで面白いかなって思っています。
今回の演奏会シリーズのテーマは「ドビュッシー」ですけど、彼と同時代に生きた人たちの作品で、しかも同じフランス出身の作曲家で、これだけ曲の印象が違うんだよっていうところに注目して聴いていただければと思います。
「ドビュッシー」を発見するために、こうやって周囲から違いを眺めてみるっていう感じで。
今回プログラミングされた作品はすべて、フランス音楽に馴染みない方にでもすっと入りやすいような曲だと思っています。
――ところで今回共演なさるサロメ・アレールさんはどのような歌手でいらっしゃいますか?
永野:彼女とのファーストコンタクトは、何年前になるのかなぁ・・・。
メシアンイヤーのときだから、生誕100年だった2008年ですね。
メシアンの作品の中に《ミのための詩(うた)》という曲があります。オーケストラ版もあってブーレーズも生前よく振っていました。
メシアンイヤーを祝福するために、この《ミのための詩》を演奏することが決まっていて、フランスの名歌手フランソワーズ・ポレを呼ぶ予定だったのですが、彼女の調子が悪くて、1週間前にキャンセルになっちゃいました。
そこで、この曲をやったことがある歌手を探し回ったわけです。あの時はちょうど2月くらいだったんですけど、「前にこの曲を歌ったことがある」と言ってきた歌手がサロメ・アレールさんでした。
彼女はその時、ちょうどヴァカンスでスキーに行っていたのですが、急いでつかまえて(笑)。早く帰ってきてもらって、練習して、ぱっと本番を迎えたんです。
それがすごく素晴らしくて、すごい歌手がいるなと思ったんです。そのあと、しばらく間があいて、うちのアンサンブルでシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》をやる時に、その歌手としてサロメさんを呼んで、何回か上演しました。あらためて、彼女の才能を再確認した形になりましたね。素晴らしいなと思いました。
最初のコンサートをやったときに経歴を見たんですけど、もともと現代音楽専門家ではなくて、むしろバロック専門の方なんですよね。バロックと現代音楽。すごいですよね。
それで、彼女と練習していて気付いたんですけど、読譜能力がすごく高いんですよ。
歌手の方・・・って一括りしてしまうとすごく失礼なんですけど、歌手の方って、そこが弱い方が多いんですよね。
でも、現代曲をやられる方はわりと絶対音感があったりとか、読譜能力の高い方が多いのです。
特に彼女はそれがずば抜けています。例えば、《月に憑かれたピエロ》をやった時、室内楽なので指揮者がいなくって(7重奏)、スコア見ながら演奏をしていました。
そうしたら、むしろ彼女の方が僕たちに合わせてくれたんです。「そこ、ずれましたよ」と指摘してくれるくらい。「あ、これはすごいな」と思いましたね。
――たぶん、このコンサートでフランス歌曲を初めて生で聞くという方もいっぱいいらっしゃると思います。そういった方々にもフランス歌曲の魅力をお伝え出来れば良いですよね。
それでは最後に、京都の聴衆のみなさまに一言、お願いします。
永野:僕が出演する第2回「ベル・エポック」には、さまざまな楽曲がプログラミングされています。歌だけではなく、室内楽もありますよね。
言葉が入っている作品と入っていない作品があると思いますが、言葉が入っている方がわかりやすいこともあるし、むしろその逆の場合もあります。
でも今回のプログラムの中では、言葉が入っている方が理解しやすいかもしれません。
おそらくナビゲーターの椎名先生がうまく説明してくださると思うんですけど、サロンってフランス文化の中でも特殊な文化なんです。
実を言うと、ドビュッシーはその中であぶれちゃった人なんだけど(笑)、今回のコンサートを通して、「色々な時代背景がありましたよ」、「こういう曲がありましたよ」ということを知っていただければ幸いです。
僕自身はフランス歌曲がとても好きですし、歌い手はフランスの方で、素晴らしい歌手です。とても良いコンディションで皆様に聴いていただけると思います。
フランスの「エスプリ」を100%肌で感じていただけると嬉しいです。
――素敵なお話をたくさんありがとうございました!
演奏会当日をいまから楽しみに待っています。
(京都コンサートホール事業企画課インタビュー@国立西洋美術館/2018年7月16日)
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