伊東信宏さん・三ッ石潤司さん・三輪郁さん オンライン・インタビュー(2021.10.02ラヴェルが幻視したワルツ)

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

10月2日(土)15時開催「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)。出演者の伊東信宏さん(監修・レクチャー)、三ッ石潤司さん(ピアノ・作曲)、三輪郁さん(ピアノ)にオンライン・インタビューを実施しました。

お三方共に旧知の仲でいらっしゃるということで、非常に濃い内容のお話を伺うことができました。ぜひ最後までご覧ください。

――今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。まずは監修してくださった伊東さん、本公演のコンセプトについて教えていただけますでしょうか。

伊東信宏(監修・レクチャー)

伊東信宏さん(以下敬称略):コンセプトの中心にあるのは、ラヴェルの《ラ・ヴァルス》という曲です。
    コロナ禍が始まった頃、フランソワ=グザヴィエ・ロトが指揮する《ラ・ヴァルス》の映像がYouTubeにアップされたのですが、それを観てピンとくるものがありました。
    ラヴェルが《ラ・ヴァルス》を作曲したのはスペイン風邪のパンデミック下、今からちょうど100年前のことです。コロナ禍の今こそ、この作品を演奏すべきなのではないか、と思うようになりました。
    ラヴェルという人は、非常にシャイな人で、本音を言いたいときでも誰かのふりをしてしか言えないタイプ。《ラ・ヴァルス》も“ウィンナ・ワルツのふりをして”、自分の表現したいことを表現している曲なのだろうと昔から思っていました。
    《ラ・ヴァルス》の中には、ウィンナ・ワルツの断片みたいなものがたくさん出てきますが、それらはくっきりとは見えてこず、全部に紗がかかったかのように聞こえます。
    そういった「ウィンナ・ワルツの断片」を寄せ集めて、「紗幕の向こうにあるワルツ」を再構成してみたくなりました。つまり、《ラ・ヴァルス》から「本物のウィンナ・ワルツ」を仕立てるというような事をしたら面白いんじゃないかなと思ったのです。
    どなたにお願いしようかと考えた時、すぐに三ッ石さんのお顔が思い浮かびました。三ッ石さんはウィーンに長年住まれておりましたし、「ウィーンのインサイダー」とも言える人です。三ッ石さん自身がちょっとラヴェルに似たシャイなところがあって、でもこういう形の曲なら乗ってくださると思ってお願いしてみたら、快諾してくださいました。

三ッ石潤司さん(以下敬称略):即答しましたよ、やります!と。

伊東:快諾してくださって、とても嬉しかったです。三ッ石さんはピアノの名手でもありますので、新作委嘱と一緒に《ラ・ヴァルス》の演奏もお願いしました。この作品はピアノ・デュオですから、ピアニストが2名必要です。そうなると、やはりウィーンに長年住まれている三輪郁さんにお願いするしかないなと思い、打診しました。三輪さんにもご快諾いただき、よかったです。

三ッ石:三輪さんには僕の弾けないところを全部カバーしてもらおうと思っています(笑)

三輪郁さん(以下敬称略):いやいや、それはこちらのセリフです(笑)

伊東:こうなったらせっかくなので、音楽会として単純にウィンナ・ワルツを楽しんでもらうような面も必要だと思い、シェーンベルクとウェーベルンが室内楽版に編曲した、ヨハン・シュトラウスII世のウィンナ・ワルツなどもプログラミングしました。

――三ッ石さんの委嘱作品《Reigen(輪舞)―― La Valse の原像》について教えてくださいますか。

三ッ石潤司(ピアノ・作曲)

三ッ石:僕はもともとパロディという精神がすごく好きなんです。
    そもそも作曲っていうのは、最初は模倣から入るものだと思います。ですので、「様式を理解する」ということと、「それを模倣して曲を書く」ということは、作曲家としても演奏家としてもすごく重要なことなのではないかと考えています。
    作曲家としてパロディを書くということは、とても面白いことです。「どーだ!良く似ているだろう」ってドヤ顔もできるしね(笑)。
    だから今回、伊東さんから委嘱作品のお話をいただいた時、「面白そうだな」と思いました。もちろん、「いいものができるかな」と不安にはなりましたが。

――ラヴェルの《ラ・ヴァルス》でも、三ッ石さんの《Reigen(輪舞)――La Valseの原像》でも要になる「ウィンナ・ワルツ」について教えてくださいますか。

三輪:ウィンナ・ワルツの最大の特徴は、「ウン・チャッ・チャ」というように3拍が均等に演奏されず、「ウ・チャッッ・チャ」というように2拍目が通常より早いタイミングで入るんですよね。
    1980年代の終わり頃にウィーンで勉強していたのですが、実際に現地の舞踏会に呼ばれたことがありました。綺麗なドレスを着て壁の花になっていたら、地元の知らない青年がやってきて、私の手を取って一緒に踊ってくれました。周りの人たちの動きを真似ながらステップを踏んでいると、2拍目の間にドレスがひるがえることが分かったり、あるいは、それまで右回りで踊っていたのに左回りに変わった瞬間に「間」が誕生することが分かったり、だんだん回転のスピードが増していく等といったことを体感できました。ウィンナ・ワルツ特有のリズムは、舞踏会の場で必然的にそうなったのだということが分かりました。
    あともう一つ、ウィンナ・ワルツの拍節感に関する体験談があります。
    私たちにとっては少し早いタイミングに感じられる2拍目ですが、ウィーンの音楽家たちは「普通に弾いている」らしいのです。彼らと共演する時、2拍目のダウンボウ(上から下に弓を下ろす)や3拍目のアップボウ(下から上に弓を上げる)で自然と勢いが出たり、弓の動きが突き上げられたりするのですが、そこにワルツの回転が加わり、ウィンナ・ワルツ独特のテンポ感や抑揚が生まれていました。その自然な動きの中からウィンナ・ワルツの拍節感が生まれていたのです。

三ッ石:三輪さんはすごく丁寧にウィーン人の3拍子の説明をしてくれましたが、実はウィーンの人たちはそう言いながらも違うことを考えているのではないかなと思ったりもします。確かに理論的にはそうなのですが、彼らはおそらく理論では生きていない(笑)。そこがまたウィーンの面白さじゃないかなと思います。

――それでは続いて、コンサートのメインである《ラ・ヴァルス》についてお伺いします。今回はピアノ2台版で演奏していただきますが、ピアニストからみた《ラ・ヴァルス》とはどんな曲ですか?

三輪郁(ピアノ)

三輪:《ラ・ヴァルス》は、私にとってずっと憧れの曲でした。
だけど、絶対弾けないと思っていて、これまでずっと遠ざけていた曲なんですよね。
    忘れもしないのですが、三ッ石さんにピアノを始めて聴いてもらった時に「音色的にラヴェル。ドビュッシーっていうかラヴェルかもね。」と言われた事がありました。

三ッ石:え、そうなの。

三輪:その当時、自分にはどちらかというとドビュッシーの方が合っていると思っていました。でも、三ッ石さんからそう言われたので、ラヴェルを何曲か弾いてみました。ラヴェルの世界って、スペイン的な要素がありますよね。モヤッとした響きの中にきらきら感を感じたり、陰影みたいなものを感じたり。そういったものをお洒落に表現できるといいのかな、とは考えていました。私の父はトロンボーン奏者なのですが、オーケストラで奏でられるラヴェルの音楽を聴いたら、もう圧倒されちゃって。それをコンパクトにまとめたピアノの世界で、それも一人で全部やるなんて、そりゃ無理よって思っていましたが、「オーケストラみたいな音で、ラヴェルのピアノ作品を弾けたらいいな」とはずっと思っていました。
    だから今回、この演奏会のお話をいただいた時は、ものすごく嬉しくって。すごくワクワクしています。しかも、今回パートナーとして、三ッ石さんと一緒にできるっていうのは、もうめちゃめちゃ楽しみです。

三ッ石:僕がまだ大学生の頃、アルゲリッチが弾く《夜のガスパール》の録音を聴いた時に、「こんな事がピアノでできるんだ」と驚きました。あまりに驚いたので、実際に楽譜を買ってみて弾いてみたのですが、「なるほどこんなふうになっているのか」という箇所がたくさんありました。おそらくアルゲリッチは、ただシンプルに演奏しているのではなかったのだと思います。一種の「手品」ですよね。手品として成立するくらいの腕前が、ラヴェルのピアノ作品には必要なんです。
    ラヴェルのピアノ音楽は弾きやすくはないのですが、弾けるようには書いてある。そこがラヴェルのずるいところです。「これ弾けないとだめでしょ?」という、ギリギリのラインで書かれているので、僕らはそれに翻弄されるというか……。どうしても完璧に弾かないとまずいな、という気分にさせられますね。

――それでは最後に、公演にお越しくださるお客様へメッセージをお願いします。

伊東:まずウィンナ・ワルツの楽しさ、そしてラヴェルの魅力が伝わればと思います。それをお客様が色々な角度で楽しんでいただけると嬉しいです。色んな楽しみ方をしていただければ、と思います。

三ッ石:今回、プログラミングされている作品すべて、サービス精神旺盛な曲ばかりです。難しいことですが、表面的には楽しい曲ではあるけれど、その裏にどこか一抹の腐敗みたいなものを見せることができればいいなと思います。

三輪:変幻自在に変わっていく響きの面白さ、あとは色合いを楽しんでいただきたいです。ウィーンの自由さの中には、たくさんの色合いが存在します。例えばウィーンのオペラ座では、歌い手によって伴奏の仕方を変えています。そういうことを毎日やっているような人たちがいる国なので、その日・その時・どう弾きたいか、舞台上でいきなり変わるかもしれません。ウィーンにはそういった面白さがあります。
    今回のコンサートでは、そういった面白いことを仕掛けられる作品がたくさんプログラミングされています。舞台の演奏者が楽しんでいる空気感がお客様に波及するくらい、楽しいステージになるといいなと思います。

伊東:京都のお客様ですから、きっとそういう演奏を楽しんでくださる方も多いんじゃないかなと思います。

――興味深いお話をたくさんお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
我々もコンサート当日を楽しみにしております。

 

 

洛和会ヘルスケアシステム 特別インタビュー(「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」開催に寄せて)

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

京都コンサートホールがお送りする特別な4公演のシリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』。
本シリーズは、新型コロナウイルス感染症で大変な今だからこそ、音楽の力を信じて前に進みたい――そんな思いを込めて企画いたしました。

いよいよ10月2日「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)からシリーズがはじまります。

開催に向けて、本シリーズのサポーターである洛和会ヘルスケアシステム様に、メールインタビューを行いました。お答えくださったのは、12月4日「クリスマス・コンサート」(大ホール)のプレコンサートに出演される、和田義孝さん(洛和会京都音楽療法研究センター次長・音楽療法士)です。

ぜひご覧ください。

――長年、京都で「医療」「介護」「健康・保育」「教育・研究」の4本柱で人々の暮らしを守ってこられた洛和会ヘルスケアシステム様ですが、1990年代から「音楽療法」を積極的に取り入れられています。医療の現場から見た「音楽の力」について教えていただけますでしょうか。

和田義孝さん

和田義孝さん:みなさんも音楽を聴いて自然に足や体が動いたことや、ひと昔前の音楽を耳にするとそれを聴いていた時の状況や情景を思い出したご経験などおありかと思います。いずれも音楽が働きかける力によるものだと考えます。
医療現場では、音楽療法士がその力を患者さんのニーズに応じて利用した音楽療法を行っております。病気により生きる意欲を失われた患者さんが音楽療法を通して新しい楽器と出会い、楽器の演奏を通して少しずつ自信や意欲を取り戻されたこともありました。またリハビリスタッフと連携して、好きな音楽を歌唱、鑑賞しながらリハビリを行うこともあります。このように「音楽の力」はさまざまな形で医療現場において活用されています。

 

――洛和会ヘルスケアシステム様が応援してくださる本シリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』では、コロナ禍だからこそお客様に聴いていただきたい作品を集めています。音楽を通して、アフター・コロナをお客様とシミュレーションしてみようという試みです。
洛和会ヘルスケアシステム様の当シリーズに対する想いや、ご出演いただく「クリスマス・コンサート」のプレコンサートへの意気込みを教えていただけますでしょうか。

和田義孝さん:コロナ禍であっても新しい音楽は常に生まれ続けています。この1年間で、リモートでの多重録音による音楽制作、オンラインを活用した音楽配信など、新しい音楽制作や演奏形態が生まれました。音楽が私たちの生活の中に無くてはならない存在だからだと思います。過去にも世界でこのような危機的な状況が幾度と起こりましたが、音楽は絶えませんでした。そのような状況は作曲家や作品にも何らかの影響を与えていると思います。
『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』では、4つのコンサートを通して過去を振り返り、そしてアフター・コロナの世界を考えるきっかけとなる大変興味深いプログラムだと思います。
シリーズ最後のクリスマス・コンサートでは、洛和会京都音楽療法研究センターがプレコンサートに出演させていただくことになりました。音楽療法で使用している楽器なども取り入れて、当センターならではの楽しいプログラムにできればと考えております。

※プレコンサートは、当日14:15よりステージ上で予定(クリスマス・コンサートのチケットをお持ちの方のみご覧いただけます)。

——最後に、このコンサート・シリーズにお越しになられるお客様へ、一言メッセージをいただけますでしょうか。

和田義孝さん:コンサートホールで聴く生の音楽は、耳で聴くだけではなく、目で演奏者の様子を見たり、体で音の振動を感じたり、演奏者や指揮者の緊張感を一緒に味わったりと、五感で楽しむことができます。クラシック音楽に対して堅苦しいイメージを持っている方もいらっしゃるかと思いますが、気軽にコンサートホールにお越しいただき、音楽のいろいろな楽しみ方や、新しい音楽との触れ合いを体験していただけたらと思います。

* * *

「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」特設ページ

ラヴェルが幻視したワルツ(10/2)
京都コンサートホール presents 兵士の物語(10/16)
オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~(11/13)
京都コンサートホール クリスマス・コンサート(12/4) ※プレコンサート(和田義孝さんご出演)

特別寄稿「オピッツのブラームス」(「オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~」11月13日)

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

11月13日(土)、ドイツ・ピアニズムを脈々と受け継ぐ巨匠オピッツが、京都コンサートホールでオール・ブラームス・プログラムを披露します。

公演に寄せて、音楽学者でドイツ音楽がご専門の西原稔氏(桐朋学園大学名誉教授)より、ブラームスと巨匠オピッツについて特別に寄稿いただきました。ぜひ、ご覧ください。


オピッツのブラームス/西原稔

ゲルハルト・オピッツは今日、まちがいなく世界でもっとも権威あるブラームス演奏家である。彼のリリースしたブラームスのピアノ作品全集はその卓越した作品解釈で知られ、オピッツの指から生み出される燦然と輝くその音質と音色はドイツの伝統を深く実感させる。

©HT/PCM

彼のメインはドイツ音楽で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲やピアノ協奏曲全曲も彼の記念すべき業績である。ブラームスの演奏ではまず揺るぎない演奏技術が求められ、その技術によってしか表現できない要素が多いが、オピッツがベートーヴェン演奏で培った堅牢で構築的な演奏は彼のブラームスの土台となっている。また、ブラームスの作品にはベートーヴェンだけではなくシューベルトやシューマン、メンデルスゾーンなどの影響も流れ込んでいるが、オピッツの幅広いドイツ音楽の演奏で得た経験が彼のブラームス演奏に反映されている。

ブラームスの作品は非常に輻輳(ふくそう)的である。その旋律には彼の愛した民謡の旋律だけではなく、彼の内面世界を映し出したメランコリックなモノローグが融合している。オピッツのブラームスは、この複雑に屈折した世界を細やかに描き出す。オピッツの演奏が素晴らしいのは、ブラームスの内面のこの輻輳した世界に耳を傾け、それを自身の音楽として語るからである。

オピッツが日本の現代音楽にも深い関心を持っているのは、あまり知られていない。彼は、藤家渓子の「水辺の組曲」や武満徹の「雨の樹素描」、池辺晋一郎の「大地は蒼い一個のオレンジのような」、そして諸井三郎の「ピアノ・ソナタ第2番」の録音を手掛け、とくに諸井の作品には深い共鳴を示しているという。また日本人の演奏家にもオピッツに師事した方は多い。

オピッツが中期の2曲の「ラプソディ」と後期のピアノ小品集、そしてブラームスが大変な精力を傾けて完成した「ピアノ五重奏曲」の演奏で、ブラームスのどのような世界を示してくれるのか、大いに期待がもてる。


西原 稔(音楽学者・桐朋学園大学名誉教授)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。桐朋学園大学音楽学部教授を経て、現在、桐朋学園大学名誉教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」、「シューマン 全ピアノ作品の研究 上・下」(以上、音楽之友社、ミュージック・ペン・クラブ賞受賞)、「ドイツ・レクイエムへの道、ブラームスと神の声・人の声」(音楽之友社)、「ブラームスの協奏曲とドイツ・ロマン派の音楽」(芸術現代社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「クラシックでわかる世界史」、「ピアノ大陸ヨーロッパ」(以上、アルテスパブリッシング)、「世界史でたどる名作オペラ」(東京堂)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽之友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。


★「オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~」(11/13)の公演情報はこちら

特別寄稿「ラ・ヴァルス」に映る旧世界(「ラヴェルが幻視したワルツ」)

投稿日:
京都コンサートホール

音楽家が見た世界をウインナ・ワルツであぶり出す「ラヴェルが幻視したワルツ」(10/2開催)。
今回の公演を監修していただき、コンサート当日にはレクチャーしていただく、音楽学者の伊東信宏(大阪大学大学院教授)さんに、本公演のプログラムの要であるラヴェルの《ラ・ヴァルス》についてご寄稿いただきました。

「ラ・ヴァルス」に映る旧世界/伊東信宏

ラヴェルの「ラ・ヴァルス」というのは、捉えがたい曲です。「ウィンナ・ワルツ」へのオマージュだというだけあって、そこここからワルツの断片のようなものが聞こえてきます。それは時としてふるいつきたくなるほど魅力的に立ち上るのですが、それが全面的に展開されることはなく、奥の方でチラチラ見え隠れするだけです。そして、あの穏やかで甘い「ウィンナ・ワルツ」に基づいているにしては、「ラ・ヴァルス」にはどこか不穏なものが漂っています。特に後半、ワルツの回転は止まらなくなり、暴走を始めて悲鳴をあげ、最後には断ち切られるように終わります。どう見ても、どう聴いても、古き良き時代への賛歌などではありません。

そもそもこの曲は、はじめはあまり評判が良くありませんでした。当初は、ロシア・バレエ団の総帥ディアギレフがラヴェルに委嘱したバレエ音楽だったのですが、出来上がった曲を聴いたディアギレフは「これは傑作だがバレエじゃない、バレエの肖像画だ」と言ってこの音楽のバレエ化を断り、ラヴェルはディアギレフと仲違いすることになりました。同じ場に居て、このやり取りを聞いていたストラヴィンスキーは何も言わなかった、と伝えられます。

だが、時代が移り、1981年にカール・ショースキーが書いた闊達な書物『世紀末ウィーン』(邦訳の出版は1982年で、その後の「ウィーン世紀末」ブームの先駆けになった)では、この曲は冒頭に取り上げられて「19世紀世界の非業の死」を象徴する作品という役割を与えられています。私は曲を詳しく知る前からむしろこの評言が頭にあって、なるほどそういう曲なのか、と思ってはいたのですが、実のところあまり得心はゆきませんでした。最初に述べたように、実際の音楽を聴いてみると、魅力的なワルツの断片と不吉な加速についてラヴェルが本当のところ何を考えていたのか、感覚的に理解できなかったのです。

2020年にコロナ禍で家に閉じこもるようになってしばらくして、クサヴィエ・ロトが指揮する管弦楽版「ラ・ヴァルス」の映像を観て、ようやくピンと来るところがありました。—過去と現在との間に決定的な線を引かざるを得ない出来事が起こり、現在から見える過去が輝かしく、麗しく映る。と同時に、あの狂騒ぶりはやはりどこかおかしかったのではないか、という気もしてくる—ラヴェルは「ラ・ヴァルス」にそんな感覚を描こうとしたのではないでしょうか。

私にとっては、コロナ禍がその過去と現在との決定的な分割線となりました。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」にとっては、第一次大戦(1914-18年)、ロシア革命(1917年)、スペイン風邪の流行(1918年から20年)、そして母の死(1917年1月)といったことがその分割線になったと思われます。ラヴェルは、母とヴァカンスを過ごしている時に第一次大戦勃発を知り、軍隊に志願しました。最初は体重が足りず入隊できなかったのですが、運転免許を取り輸送兵として志願し直して、実際に前線との輸送の任務に就いたのは1916年3月から翌年7月までです。激戦地ヴェルダンへの物資輸送という危険な任務で、多くの悲惨で不気味な光景を目にした、と伝えられています。ラヴェルの母は、この頃次第に弱っていったのですが、1917年1月に亡くなります。幼い頃から特別な愛情で結ばれていた母を失い、ラヴェルは葬儀で憔悴しきった姿を見せていた、といいます。

「ラ・ヴァルス」が書かれていたのは、まさにこの前後のことです。「ヨハン・シュトラウスへの賛歌」、ないし交響詩「ウィーン」という曲が1906年頃から構想されていて、これらが「ラ・ヴァルス」の前身と考えられていますが、本格的に作曲に取り掛かったのは1919年12月だったようです。前述のような様々な分割線の後、ラヴェルはさらに自身の胸の手術などもあって、創作意欲を取り戻すのに時間がかかったのですが、「ラ・ヴァルス」は復帰後始めての大作だったと言えます。最初にピアノ独奏版、2台ピアノ版が書かれ、管弦楽版が完成したのは1920年4月、先ほど述べたディアギレフなどへの試演会が行われたのは、同年5月のことでした。

そんなことを考えると、ラヴェルが「ラ・ヴァルス」で示した「旧世界」(「1855年頃のウィーン」と作曲者自身は書いています)への思いを、約100年後の我々がコロナ以前の世界に抱く思いと重ね合わせることはそれほど乱暴ではないのではないか、と思われます。我々と同じように、ラヴェルも「あの頃」を懐かしく、取り戻したく感じており、そして同時に現在から振り返ると「あの頃」がやはりどこか狂っていたと感じていたのではないでしょうか。そうだとすれば、「ポスト・コロナ」ないし「ウィズ・コロナ」の演奏会がまず真っ先に取り上げるべきなのは、この「ラ・ヴァルス」だと私は考えました。

三輪郁©Ryusei Kojima
三ッ石潤司

「ラ・ヴァルス」を聴き、ラヴェルが抱いた「旧世界」への複雑な感情に耳を澄ますこと。我々が失ったものを追悼し、そしてそれが暴走しはじめた地点を確かめること。10月2日の演奏会「ラヴェルが幻視したワルツ」では、そのような「ラ・ヴァルス」の2台ピアノ版を中心に据え、加えて「ラ・ヴァルス」が撒き散らす魅力的なワルツの断片を、実際の「ウィンナ・ワルツ」として仕立て直す作品を三ッ石潤司さんに委嘱初演します。三ッ石さんは長くウィーン音大で教えていた、ウィーンを内側から知る作曲家で、またこのようなパスティッシュ(模作)の名手でもあります。さらにラヴェルと同じ頃、ウィンナ・ワルツを別の角度から仕立て直していたシェーンベルクやウェーベルンの編曲で、ウィンナ・ワルツそれ自体も聴いてみる、というような趣向を凝らしました。演奏には三ッ石さんご自身のピアノの他に、やはりほとんどウィーン・ネイティヴとも言える三輪郁さん、そして谷本華子さんをはじめとする、筆者が最も信頼する演奏家たちが揃いました。毎日、感染者数を横目で見ながら、10月を心待ちにしている日々です。

 

 

 

伊東信宏(いとう・のぶひろ)

1960年京都市生まれ。大阪大学文学部、同大学院を経て、ハンガリー、リスト音楽大学などに留学。大阪教育大学助教授などを経て、現在大阪大学大学院教授(音楽学)。著書に『バルトーク』(中公新書、1997年)、『中東欧音楽の回路:ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店、2009年、サントリー学芸賞)、『東欧音楽綺譚』(音楽之友社、2018年)、『東欧音楽夜話』(音楽之友社、2021年)など。ほかに訳書『月下の犯罪』(講談社選書メチエ、2019年)など。東欧演歌研究会主宰。

公演情報

Powe of Music 特設ページ