オルガニスト 大平健介&長田真実 インタビュー<前編>(2022.2.26オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.69)

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京都コンサートホール

「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ」は、国内最大級のパイプオルガンを気軽に楽しんでいただくシリーズとして1997年にスタートし、今年度で開催から25年を迎えました。

69回目は「オルガニスト・エトワール」と題し、いま注目のオルガニストの二人、大平健介と長田真実をゲストに迎えます。

ドイツでの演奏活動を経て、帰国してからも様々な演奏活動を行うお二人に、公演に向けてお話を伺いました。2回に分けて、インタビュー記事をお届けします。
前編ではお二人のオルガンとの出会い、そしてドイツのオルガン事情についてお話いただきました。ぜひ最後までご覧ください。


◆オルガンとの出会い

――本日はお忙しいなかインタビューのお時間をいただきありがとうございます。
まずお二人のことについてお聞きします。オルガンとの出会いや、オルガンをご専門とされたきっかけを教えていただけますか。

長田真実さん(以下敬称略):元々幼稚園の時からエレクトーンを習っていまして、小学生に入ってから毎年一曲、オーケストラ作品を編曲して弾いていました。オーケストラを一人で演奏できることが嬉しくて、いつも楽しんでやっていたのを覚えています。その中で小学3年生の時に、ヘンデルの《オルガン協奏曲「カッコウとナイチンゲール」》という曲に出会いました。かわいい鳥のさえずりをオルガンで表現する様子が印象的で、その曲を弾いて以来、ずっとオルガンに憧れを抱いていました。
中学生になってから、姫路市の姉妹都市があるフランスやベルギーに市からの派遣生として訪れた際、初めて大聖堂の空間やそこにそびえたつオルガン、そしてその響きに触れて、圧倒されたのを今でも覚えています。そして高校生になって、ようやくパルナソスホールのオルガン講座を受講し始めることになったんです。
なので、オルガンを始めたのは遅い方だと思うのですが、始めるまでずっと長い間憧れを持っていました。

 

――高校生でオルガン始めるのって遅い方なのですね。小さい頃からオルガンに触る機会はなかなか無いと思うので、皆さん高校生くらいからなのかなと思っていました。

長田:中高がミッション系の学校であれば、多分学校の教会にオルガンがあって、触れる機会があると思うんですけど、私は普通の公立の学校でしたので、なかなか機会がありませんでした。

大平健介さん(以下敬称略):僕の場合はとてもラッキーで、日本全国数あるミッション系の中学校の中でも珍しい「オルガンクラブ」で、部活動の一環として自由にオルガンを学べたのです。そしてミッション系の学校出身の方がよくおっしゃるのですが、僕の行っていたところも毎日礼拝があって、中学生の頃からオルガンの前奏や後奏、賛美歌の前奏が楽しみでしょうがなかったのです。そのうち奏楽者のレパートリーまで把握してしまって、後奏でどの部分を弾いているのかもわかっていました(笑)。

当時のオルガンクラブには電子オルガンしかなかったので、初めてパイプオルガンを弾くことができたのは、たしか中学2,3年生の頃、夏休みに大学の礼拝堂へ皆で行った時だったと思います。その時バッハの《幻想曲 ト長調 BWV572》を弾いて、上から降り注いでくる音や、楽器が礼拝堂全体に鳴り響いている様子に衝撃を受けました。あれは本当に漫画で描くような「ビビビッ!」と、天からの命を受けたような感じでした。

当時の僕は思春期で、自分は将来どこを目指したらいいんだろうかと悩みを抱えていました。自分の中で行先は音楽だということはわかっていたのですが、あれでもないこれでもない…と迷っている時にオルガンと巡り会い、絶対にオルガニストになりたいと思うようになったのです。

そういう明確な出会いがあって嬉しかったですね。東京藝術大学に入ってから、オルガン科の先輩や後輩、同学年の人の話を聞いてみても、やっぱりみんな同じようにオルガンとの出会いで衝撃を受けたと聞きました。バックグラウンドは皆それぞれで、例えばミッション系の学校から来た人や礼拝の先生に個人的に習っていた人、大学でオルガンと出会った人、他の楽器専攻で卒業してからオルガン科に来た人、プライベートで習ってきた人などがいました。

長田:私も東京藝術大学オルガン科の出身で、いろんなバックグラウンドを持った方と会いましたが、その中で感じたこととして、東京と関西とでは、オルガンを取り巻く環境は全然違うんですよね。私はずっと姫路にいたので、東京の先生を知らなかったですし、東京藝術大学に出入りしたこともないという状況で大学を受験しました。東京ではオルガンがある会場もたくさんありますし、オルガンの演奏会もすごく多いです。それに比べると地元ではオルガンのある場所は限られていて、演奏会も年に数回しかなかったので、私はオルガンに触れる機会が少ない状態で大学に入りました。

大平:たしかに遠くから県をまたいで、オルガンと出会ってレッスンを受けている人の話も聞くので、地域によって環境は全然違うなと思います。

学生時代に行ったアルンシュタットのバッハ教会での演奏会の様子

――関西や地方ではパイプオルガンの演奏会はたしかに多くないように思います。その影響もあってか、ありがたいことに、私たちのオルガンコンサートでも、関西だけでなく全国から聴きに来てくださっています。

大平:お客さまが県をまたいで聴きに来てくださるのは理想的だなと思います。
同じプログラムで演奏家が国内を回るコンサートツアーというのはよくありますよね。でもオルガニストの場合は、それは基本的には起こりえないんですよね。なぜなら会場が変わると楽器も違うので、プログラムが変わってしまうことが多いからです。例えば京都コンサートホールのオルガンは、この京都コンサートホールにしかない楽器なのです。「あのオルガニストの演奏は前にあの会場で聴いたよ」ということはあっても、その会場の楽器に合ったプログラムが組まれるので、そこでしか聴けない響きや音色になるのです。

ありがたいことに、最近僕たちが出演するコンサートでも複数の会場に来てくださったり、遠方から姫路まで来てくださったりするお客様がいらっしゃいます。珍しいことのように思われるかもしれませんが、ヨーロッパではよくあります。と言いますのも、単純に「オルガンの演奏会を聴きに行く」というよりは、そのオルガンを聴きに行くことと、その場所の風景や文化を見に行くことがセットになっているからなんです。
日本でもオルガンを聴きに行く時にそう思ってくださる方が増えたらいいなと思っています。

――私も以前、同じオルガニストの演奏会で、追っかけのように複数の会場を回って聴き比べをしたことがあります。楽器が変われば違う音、そして同じ奏者でも色んなプログラムを聴けるのは、オルガンを聴く醍醐味だなと感じました。

 

◆ドイツのオルガン事情について

――先ほどドイツでのお話が出ましたが、お二人ともドイツで勉強されていらっしゃいましたよね。大平さんは2021年までドイツの教会でオルガニストとしてご活躍されていたかと思います。ヨーロッパでは、小さな町や村など地域の方々でもオルガンを聴きに行かれる方が多いイメージがあるのですが、やはり日本とはオルガンとの関わり方が違うのでしょうか。

大平:そうですね…そのことについて2点お話したいと思います。
まずドイツでは、教会(オルガン)と文化、ビジネスがとても上手く綺麗につながっているように思います。
オルガンの演奏会のおよそ9割は教会で行われています。と言いますのも、教会の方が良い楽器が入っていて、響きも良いからです。また面白いことに、教会には「コンサートホール」としての役割もあるんです。ホールのように事務所が教会に入っていて、例えば僕がオルガニストを務めていたシュティフツ教会では、10人くらいのスタッフが事務所にいました。総監督みたいな人とプログラムを作る人、あとは経理や助成金担当の人などがいました。大きな教会や大聖堂くらいの規模になると、毎週の演奏会のプログラムやポスター作り、そして演奏家とのやりとりのための専属スタッフがいて、本当にホールと同じようなことをやっています。もちろん規模はホールとは全然違いますけどね。
お客さんはというと、イースターやクリスマスなどの教会暦に沿ったプログラムをすごく楽しみにされています。教会としてもクリスマスマーケットなどを目当てに来た人をコンサートに呼び込もうという感じで、コンサートの内容をクリスマスなどとリンクさせたりしています。

シュティフツ教会で礼拝奏楽をしていた時の様子

そしてもう1点は、僕がいつか日本で作りたいと思っていることなのですが、フランス、スイス、ドイツではそれぞれ夏のオルガンフェスティバルがあります。日本の夏休みはとても暑くて向いてないかもしれませんが、ヨーロッパだと7月から9月末まで休暇を取る人が多いので、その間に音楽家たちがヨーロッパ中で演奏旅行を行うんです。プログラムにはドイツやイギリス、日本、韓国、ロシアなど、いろんな国の演奏者が並んでいて、「インターナショナルなオルガン・フェスティバル」とでもいう感じです。ちなみに私たちは、「日本から来た、いま旬のオルガニスト」というような紹介をされましたね。

スイスのヴィンタートゥアーでのコンサートのポスター

僕たちもヨーロッパでの夏休みというと色んな思い出があります。
電車で現地へ向かって、ホテルに着いた後すぐにリハーサルと本番で3日間…そして休む間もなくすぐ電車に乗って次の町へ行って…バンベルク、ハンブルク、パリと行って、帰ってきて次はロンドンへ…。そういうのがヨーロッパのオルガニストの夏休みの過ごし方として当たり前になっていて、夏は大変な稼ぎ時でもあるんですよ。

このようにドイツにいた時は、教会内のイベントを行う教会オルガニストと、国際的なソリストという2つの顔を持って活動している感覚がありました。日本でもそれぞれの顔で活動していきたいと思っています。

サン=サーンスがオルガニストを務めていたパリのマドレーヌ寺院にて

――ドイツでは教会がホールの役目も担っているのですね。とても貴重なお話をありがとうございます!長田さんはドイツで留学された後、2018年春からパルナソスホールのオルガニストとして、リサイタルだけでなく色々なオルガンの企画をご担当されていると思いますが、ドイツと日本のオルガンを取り巻く環境に違いを感じることはありますか。

長田:私は2017年まで6年間ドイツにいましたが、ドイツの演奏会ではドキドキするような貴重な体験が多かったです。
すごく小さな村を周っていた時がありまして、電車で駅を降りた後にバスで45分、林や森の中を進んで・・・一体私はどこに連れて行かれるんだろうかと思うような旅が多かったですね。自転車を借りて、菜の花畑をバーッと走って教会に着いたということもありました。あとは行き方を検索すると、目的地のバス停が「Schule(シューレ:学校)」という名前だったんです。私たち外国人からすると「学校」というバス停で降りるのもドキドキしました。実際に降りてみると、人があまりいない小さな村に教会がポツンとあって、そこに本当に歴史的な楽器があったりするんですよね。

そういったドキドキハラハラな一人旅が多かったですが、地元の人々がすごく暖かかったんです。お家に泊めてもらって、村の生活にどっぷり浸りながら演奏会に向けて準備をしたりして、地域の人の気質や文化、伝統を感じながら、演奏会を周っていたなと思い出します。そういう生活をしてみて、地方って良いなとドイツで初めて思いました。

東京はあらゆるものが全国から集中しているので、レベルが高くて情報もすごく多いです。でもふと地方の暖かい人々の中で育まれてきた芸術や文化に触れた時にいいなと思いますし、日本でも地元のものを大切にしながら演奏会が出来たらいいなと思っています。
元々姫路に帰る予定はなかったのですが、たまたま自分の生まれた町にオルガンがあって、戻ってくることができたというのは、なんという偶然で幸せなことなんだろうと思っています。
そこで自分ができることを考えるのも楽しいですし、地元の人たちとオルガンを囲みながら文化を作っていくようなことを、少しずつですが出来たらいいなと思っています。
これはドイツにいたからこそ思えるようになったことだと思います。

オーストリア・ザルツブルクの大聖堂にて(2枚とも)

――素敵なお話ですね。そういう地方の小さな教会でも他の国のオルガニストを呼んで演奏会をするのはすごいですよね。とても貴重なお話が聴けました。ありがとうございます。
後編では、お二人が思うオルガンの魅力や今回のコンサートのプログラムについて伺います。

 2021年12月事業企画課インタビュー(Zoomにて)

** 後編に続く **


★オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.69「オルガニスト・エトワール“大平健介&長田真実」(2/26)の公演情報はこちら