【3つの時代を巡る楽器物語 第2章】小倉貴久子インタビュー(後編)

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京都コンサートホール

10月25日の『3つの時代を巡る楽器物語』第2章の公演開催まで、あと残りわずかとなりました。ご出演いただくフォルテピアノ奏者の小倉貴久子さんのインタビュー後編をお届けします。今回は、公演の聴きどころをお話いただきました。ぜひ最後までご覧ください!

――今回の演奏会では、小倉さんが所有されているフォルテピアノ(1845年製 J.B.シュトライヒャー)を使用させていただきます。ベートーヴェンと「ゆかりがある楽器」ということですが、詳しく教えていただけませんか。

シュトライヒャーは当時のウィーンで最も人気実力を誇った老舗メーカーです。ウィーン式アクションというドイツ系列の作曲家たちに支持された発音メカニズム(*1)は、シュタイン(*2)が発明して、その楽器をベートーヴェンも若い頃演奏していました。シュタインの娘ナネッテも素晴らしい女流ピアノ製作家になり、アンドレアス・シュトライヒャーと結婚して姓がシュトライヒャーになりました。ベートーヴェンとはプライヴェートでも大変親しかった女性です。ナネッテの息子ヨハン・バプティスト・シュトライヒャー(以下J.B.シュトライヒャー)もピアノ製作家になり、ベートーヴェンもJ.B.シュトライヒャーの製作するフォルテピアノに大きな興味をもっていました。この演奏会で使うフォルテピアノは、晩年のベートーヴェンが欲した6オクターブ半の音域をもち、ダイナミックな音響と歌うことを得意とする音色、皮巻きのハンマーによる繊細なイントネーションが可能な楽器です。この楽器は、ベートーヴェンの死後18年経過後に製作された楽器ですが、1824年にJ.B.シュトライヒャーのピアノを弾いたベートーヴェンが、将来を予見し望んだ楽器に近いのではないかと想像しています。

(*1) 跳ね上げ式と呼ばれる、軽いハンマーを梃子の原理で跳ね上げ打弦するというシンプルな構造。シュタインのフォルテピアノの音域は5オクターブで、タッチは浅く俊敏で、軽やかで華やかな音楽が奏でられる。

(*2) ヨハン・アンドレアスシュタイン:1728年~1792年、ドイツ生まれのピアノ製作家。ピアノ製作史における重要な人物として知られる。

今回使用する1845年製J.B.シュトライヒャー(製造番号3927)
1835年と1839年、オーストリア皇室から金メダルを受賞したことが鍵盤表面板に描かれている

――今回はベートーヴェン後期のソナタ第30番~32番を演奏していただきます。これらの曲の聴きどころを教えてください。

ベートーヴェンのピアノソナタはピアニストにとって、とても大切な作品です。ベートーヴェンはピアノの名手だったので、ボン時代の《選帝侯ソナタ》(*3)ですら既に超絶的な技巧が満載です。初期、中期では波乱の人生が投影された、常に前人未到の世界が描かれた革命的な一曲一曲は、どれもが個性豊かな作風となっています。そんな超人的なベートーヴェンですが、プライヴェートな事件やさまざまな要因が重なり、スランプ期に襲われます。しかし、その時期を経た後に到達した後期の世界では、追随する作曲家のいない孤高の世界が描かれます。それは現代の私たちにとっても大きな慰めとなり勇気を与えられ、人生の讃歌と思えるような素晴らしいメッセージに溢れているのです。

(*3) ベートーヴェンが少年期時代の1782年から翌年にかけて作曲した3曲からなるピアノ・ソナタ。作品番号はつけられていない。

――ナビゲーターにはベートーヴェン研究で著名な平野昭氏をお迎えします。平野さんとは最近も共演されていましたが、どのようなことを楽しみになさっていますか?

平野先生とは今までにもレクチャーコンサートや講座などでご一緒させていただいています。私もお話に参加して、ステージでピアニストの勝手な妄想をぶつけて盛り上がる場面も。平野先生の幅広い知識とベートーヴェン愛が、コンサートの楽しみを倍増させてくださること請け合いです。どうぞお楽しみに!

――京都コンサートホールは感染症防止対策を徹底し、万全の体制でお客様をお迎えします。最後に、当日ご来場のお客様に向けてメッセージをお願いいたします。

このような不安を感じられる状況の中、演奏会にお越しいただけるみなさまには感謝いたします。京都コンサートホールでは感染症防止対策を徹底していますので、演奏会中はゆったりとくつろぎながらお楽しみください。親密さはフォルテピアノの特色です。かたや宇宙的でもあるベートーヴェン後期の作品。特別な時間が共有できることを願っています。

みなさまと会場でお会いできますことを楽しみにしています。

***チケットは残りわずかとなってきました。公演の詳細はこちら♪

https://kyotoconcerthall.org/calendar/?y=2020&m=10#key20554

 

【3つの時代を巡る楽器物語 第2章 】小倉貴久子インタビュー(前編)

投稿日:
京都コンサートホール

10月25日の『3つの時代を巡る楽器物語』第2章の公演開催まで、残すところ1ヶ月となりました。そこで、ご出演いただくフォルテピアノ奏者の小倉貴久子さんにメール・インタビューを行いました。前編、後編に分けてお届けします。ぜひ最後までご覧ください!

――この度はメール・インタビューの機会をいただき、ありがとうございます。小倉さんは日本を代表するフォルテピアノ奏者として活躍されておられますが、大学在学中に留学されたオランダで古楽器に出会い、それがきっかけで独習されたとお伺いしました。その時のお話を詳しく教えていただけますか。

小倉貴久子さん(以下、敬称略):東京藝術大学ピアノ科を卒業して大学院在学中に留学したオランダで、運命の出会いがありました。ピリオド楽器と呼ばれる、作曲家が演奏していた当時の楽器によるコンサートに行き、目から鱗の落ちるような大きなショックを受けたのです。バロックチェロのビルスマ(*1)、チェンバロのレオンハルト(*2)など、当時のオランダは古楽が盛んで、まさに最も刺激的な世界でした。その演奏は「今、生まれたばかりの音楽」という瑞々しさに溢れ、一体この世界はどうなっているのだろう?とその魅力にはまってしまいました。たくさんの古楽のコンサートに通い、チェンバロをプライベートで習い始め、フォルテピアノの製作家の工房に足繁く通いました。当時の演奏スタイルは、たくさんの古楽の友達との共演などを通して、実地で学んでいったという感じです。

(*1) アンナ―・ビルスマ:1934年~2019年、オランダ生まれ、バロックチェロの先駆者かつ世界的な名手として知られる。

(*2) グスタフ・レオンハルト:1928年~2012年、オランダ生まれ。 ピリオド楽器による古楽演奏の先駆者として知られる。

――なぜ留学先にオランダを選ばれたのですか?

小倉:オランダを留学先に選んだ直接の動機は、すばらしい指導者でありピアニストのヴィレム・ブロンズ先生に師事するためでした。藝大の学部2年のときにレッスンを受けてから毎年のように藝大に招聘教授として来日されていらして、留学はブロンズ先生のところ!とずっと決めていました。実はその時には、オランダが古楽演奏の先進地である、ということすらも知らなかったのです。留学してすぐにストラヴィンスキーのピアノ協奏曲のソリストに選ばれて音楽院の定期演奏会で演奏しました。オランダは現代音楽のメッカでもあったので、現代音楽のスペシャリストのレッスンを受ける機会もありました。

――小倉さんは1993年古楽界の最高峰と言われるブルージュ国際古楽コンクールのアンサンブル部門で優勝(ピンチヒッターで出場され、短期間で猛特訓されたとか!)、さらに1995年にはフォルテピアノ部門を制されています。コンクールの時のお話を聞かせてくださいますか。

小倉:藝大大学院を休学しての留学でしたので、2年間というリミットの最後に同級生の留学地であったフランス、ドイツ、オーストリアなどに旅行するという企画を立てていましたところ、急遽ブルージュ国際古楽コンクールアンサンブル部門のフォルテピアノ奏者のピンチヒッターを頼まれました。1ヶ月しか準備期間がなかったのですが、留学最後の楽しそうなお誘いに「私でいいならやりま〜す!」とふたつ返事で引き受け特訓しました。まさかの第1位をいただき夢のようでした。受賞後、古楽関係の友人から、「これは最も権威あるコンクールなのだから、これからしっかりね!」などと言われ、私自身も驚きました。その2年後のソロ部門への挑戦の時は、事前にリサイタルをするなど綿密に準備を重ねました。コンクールは8月だったのですが、その時実は妊娠中で10月に娘を出産しました。本選会場に向かっているとき、お腹が張ってきたりして、「リラックスしないと〜」と思い、かえって柔らかい気持ちで本番に臨めて良かったのかもしれません。

――フォルテピアノでの演奏を聴くことにより、現代のピアノにはない音色や表現を味わえ、作曲者の思いをより深く感じることができます。小倉さんの感じるフォルテピアノの魅力は何でしょうか?

小倉:現代のピアノは、大ホールで多くの聴衆に大きな音で提供できるように、また楽器が温度湿度などから破損したりすることのないように、という目的で徐々に変化していき一般化した形になりました。安定した音質、管理の容易さなどが手に入りましたが、かたや18世紀、19世紀に大切にしていたことを失ってしまったという面があります。作曲家が作品に託したメッセージというのは、時を隔てて継承できると思うのですが、その道具となる楽器によって実際に創造される世界は大きく異なっていきます。ちょっと乱暴な例えですが、「ショーウインドウに入った本物そっくりの完璧な腐らないケーキ」と、「1日の賞味期限しかない手作りのケーキ」のような違いです。具体的には、鋳型金属製フレームをもたず、木製のケースに平行に弦が張られ(*3)、皮巻きのハンマーが使用されています(*4)。言葉と密接な関係にあった音楽の発音方法、多声部の扱い、音響的効果など、作曲家がイメージして楽譜に書いた音符や表情記号を表現できます。

(*3)  作曲家や演奏家たちが鍵盤楽器の音域の拡大を要求し始めたことにより、木製のフレームでは弦の強い張力を耐えることができなくなったため、現代のピアノでは金属製フレームを使用されるようになった。

(*4) 現代のピアノではハンマーを包む素材としてフェルトが使用されている。

――小倉さんは古楽器の様々な演奏会の企画や、フォルテピアノのアカデミーにも力を入れてらっしゃいます。このシリーズの第1章にご出演いただいた川口成彦さんも、小倉さんに師事しなければ古楽にのめりこむことはなかったと仰っていました。

日本にはまだまだフォルテピアノの台数も少なく、ピアノと言えば、現代のピアノを思い浮かべる方が多いと思います。しかし、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、ラヴェルでさえも、ピアノと言えば、フォルテピアノだったのです。つまりピアノ曲の重要なレパートリーのほとんどが、現代のピアノ以前の楽器で作曲されていました。私自身、知らなかったときには何も疑問を感じずに現代ピアノを弾いていましたが、オランダで生の音を聴き、体験してこの素晴らしい世界に足を踏み入れました。ぜひ、コンサートにお越しいただき生の音を体験していただきたいと願っています。

――小倉さん、ありがとうございました。後編では、今回の演奏会についてのお話を伺う予定です。

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チケットは好評発売中です。公演の詳細はこちら♪

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