【ベートーヴェンの知られざる世界 特別連載①】村上明美 インタビュー<前編>

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京都コンサートホール

2020年は、京都コンサートホールが開館25周年を迎えるとともに、ベートーヴェンの生誕250周年の年にもあたります。
この2つのメモリアルイヤーを記念し、京都コンサートホールでは、ほかでは聴くことのできない、特別なコンサート・シリーズ「ベートーヴェンの知られざる世界」を企画しました。

公式ブログでは、本シリーズをより楽しんでいただくため、特別連載を行い、アーティストの生の声などをお届けします。

まず最初は、10月10日のVol.1「楽聖の愛した歌曲・室内楽」に出演し、歌曲と室内楽のピアノを演奏する、村上明美さんのインタビューを行いました。大変充実した内容となりましたので、2回に分けてお送りします。前編では、村上さんが歌曲ピアニストを目指したきっかけや歌曲の魅力などをお話いただきました。

ぜひ最後までお読みください。

村上明美(C)Shirley Suarez

―――この度はインタビューの機会をいただき、ありがとうございます。
まず村上さんのことについてお聞きします。村上さんは、現在ドイツのミュンヘンを拠点に活躍されていますが、ドイツに移られたのはいつですか?また、なぜドイツを選んだのですか?

大学(京都市立芸術大学)を卒業して一年目の2007年からフライブルクに渡独しました。
京都市立芸術大学の図書館で偶然見つけた本がきっかけで歌曲の道に興味を持ち、留学先はドイツにしようとその時から決めていました。どうしてもドイツ歌曲を勉強したいという意思があったからです。

 

―――そのきっかけのお話を詳しくお聞きしたいと思います。音楽高校・芸大で音楽漬けの毎日だったと思うのですが、ソロよりもピアノで誰かと共演するということに最初から興味があったのですか?

音楽高校に通っていた頃はソロにしか興味がありませんでした。子どもの頃から母がピアノを応援してくれていたのですが、高校2年生の時に病気で他界してしまったことで、少しずつ音楽に対する心境も変わっていきました。生活環境の大きな変化に対応する中、「自分は何のために音楽を勉強しているのだろう。音楽でどういうことをしたいのだろう」と問いかけることが大学生になってから増えていきました。そんな時に、自分の好きな音楽を自己分析していて、詩と音楽のように内面的な方向性に惹かれるという傾向に気付いていきました。

 

―――先ほど偶然ある本に出会ったとおっしゃっていましたが、なんという本でしたか?また、いつ頃出会ったのですか?

「伴奏の芸術」というヘルムート・ドイチュという歌曲ピアニストの方が書かれた本です。出会ったのは、大学四年生の時ですね。

 

―――なぜその本を手に取ったのですか?

当時は室内楽をすることが多くて、その時ちょうどチェロとヴァイオリンの伴奏をしていたんです。それで、伴奏の参考になる本を探していて「伴奏の芸術」というタイトルに興味を持って手に取りました。まさか歌曲についての本だとは思いもせず。そして、読み進めてすぐにこれは運命的な出会いだと確信しましたね。今でもその瞬間を覚えています。

 

―――その本の中でどんなことが一番印象に残りましたか?

歌曲作品を演奏する際には、まず作曲家が惹かれた詩と向き合います。作曲家が曲をつけたいと思う言葉に触れるということは、彼らの人間性や当時の思想、感性に繊細かつ直接的に触れることとなります。その親密な世界観と表現の可能性にアーティストとして、とても魅力を感じました。歌曲が持つ表現の具体性と内面的感情表現も印象的でした。
また、私はロマンチストなので、単純に恋や人や、自然への憧れについての詩や音楽も素敵だと思いました(笑)

 

―――その本を読んでから伴奏するときの心持ちや感触というのは変わっていきましたか?

「伴奏」という言葉がどこか持ってしまう付け合わせ的な概念がなくなり、どんなに簡単なパッセージや和音にも役割、意味やファンタジーを求める芸術性を探求するようになりました。また、あの本に出会っていなければ、ドイツ語にここまで自分がのめり込むことはなかったですし、人生が変わるほど歌曲に向き合うことはなかったと思います。
当初はまだ歌曲の世界を全然知らなかったのですが、バッハやモーツァルトなどドイツ語を話す作曲家が好きで、そういう作曲家の曲を弾いているときに、彼らがどういう言葉を話すのか、その言葉から来るフレージングというのはどんなだろうとか、文化にもすごく興味がありました。歌曲を通して、自分の演奏でその世界観を表現したいと思うようになりました。「人生をかけて挑戦したい」と思えるほど、私の人生を変えてくれた出会いだと思います。

―――素晴らしい出会いですね。その出会いの後、フライブルクに行かれてからはこの先生に付くというのは決めていらっしゃったのですか?

フェリックス・ゴットリープ先生というロシア系の先生に付きました。彼もまた運命的な出会いで、偶然彼のCDをタワーレコードで見つけることができて彼の演奏を知ったんです。バッハやシューベルト、室内楽も得意だということを聞いて、迷いなく彼のところに行きました。当時、ソロピアニストとしての腕を上げつつ、ドイツ歌曲演奏に必要な要素を現地で下積みしたいと思っていました。

 

―――先生ともまた、運命的な出会いを果たされたのですね。海外の音楽大学と、日本の音楽大学・芸大というのは少し仕組みが違うと思います。日本では、少し言い方が悪いですが、「伴奏」はピアノ専攻の方が片手間にするイメージが持たれていると思うのですが、村上さんが行かれたところは伴奏専門の専攻だったのですか?

フライブルクではピアノソロを専攻したのですが、ミュンヘンでは歌曲について学べる「歌曲科」という専攻で、本の著者のヘルムート・ドイチュ先生のもとで勉強しました。留学当初から、彼の元で歌曲伴奏を勉強することが夢でした。

 

―――歌曲科というものがあるのですね。そこにはどんな方がいらっしゃるのですか?歌曲科に入ったら、歌手の方は歌曲だけを練習するのですか?

歌手もピアニストもいますが、歌曲を学ぶために来ているピアニストの方が多かったような気がします。また、声楽科に在籍していて授業の一環として歌曲の授業を受けに来る人もいました。歌曲科の歌手の生徒は、本当に歌曲だけに時間を費やしていましたね。歌曲科のピアニストは逆に、歌曲だけでなく、担当の声楽クラスで伴奏することもカリキュラムに組まれていて、そこでは多くの宗教曲やオペラ作品も演奏しました。

 

―――ソロのピアノ科と、歌曲科に入った時ではどんな違いがありましたか?

まず歌曲には詩があるので、詩を読んで言葉のニュアンスやフレーズを感じて楽譜を読むようになりました。詩を書いた人と作曲家の世界観を考えるようになったのは、やっぱり歌曲科に入った後からですね。またソロは一人で音楽を作りますが、歌曲の世界は共演者とともに音楽表現をするので、そこにも大きな違いがありますよね。その他、一曲の長さも全く違います。歌曲は、時に1分以内のものからとても長くて7分から10分ですので。
一つの演奏会で演奏される曲数も当然多くなりますし、またレパートリーも共演者の声質や、得意分野に左右されるので、表現の多彩さが自然と求められます。

 

―――フライブルクとミュンヘンには何年いらっしゃったのですか?そこではどんな本番を迎えられたのですか?

フライブルクに2年、ミュンヘンに2年在籍していました。ミュンヘンは今も私の活動の本拠地です。ソロ科では、学校の発表会での本番が中心でした。歌曲科では、必ず二人の伴奏を担当することが決められていました。私は限られた時間の中でいろんな人と演奏することがとても大事だと思っていたし、レパートリーもたくさんほしかったので、八人の歌手と演奏していました。その分学校の本番を始め、コンクールや録音での共演も多くありました。

 

―――八人!忙しいですね。

そうですね。でも、歌手はそれぞれコンディションがあって、八人全員が毎回歌えるわけでもないので、私としてはたくさんいてちょうどいいくらいでした(笑)一緒に演奏できる時間って少ないから、その時間を本当に後悔のないように過ごしたいという気持ちはありました。

―――そこで2年間勉強されて手ごたえはありましたか?歌曲について深く学べたという満足感はありましたか?

フライブルクの時から副科で歌曲を勉強していたのですが、やはりドイチュ先生のところで勉強してからは、特に深く知ることができたという実感がすごくありました。

 

―――ドイチュ先生はどんな方なのですか?

ドイチュ先生はヘルマン・プライの伴奏ピアニストとしてキャリアを始めた方で、その後世界的歌手のヨナス・カウフマンやディアナ・ダムラウの専属ピアニストとして共演し、今は歌曲ピアニストの世界第一人者として活躍されています。

 

―――私たちは歌曲ピアニストとしてのドイチュ先生しか知らないので、どんなことを大切にして指導されていたかなど、「先生」としてどのような方なのかを教えてもらえませんか?

考えることをとっても大事にされている先生で、楽譜と詩を結び付けて考えさせてくれました。歌曲の世界は人から与えられて出来ていくものではないので、感受性や「自分で考えること」がとても大事で、その辺を鍛えていただきました。また共演者と音楽づくりをする上での音質、指揮者のようにテンポや共演者とのバランスを構築していく感覚も、彼から学びました。あとは、ドイチュ氏が歌手に言うこともすごく勉強になりましたね。歌手は声が楽器なので、演奏上も精神的にもデリケートな世界です。だから、どういう風にコミュニケーションを取っているか、どうやって意見を伝えているのかということも興味深く学ばせていただきました。

 

―――村上さんは歌手の方とコミュニケーションを取る中で、なかなか意見しにくい時もありましたか?

学生の時と今とではすごく変化がありますね。ミュンヘンで勉強していた1年目なんかは今よりもっとシャイで、どういう言い方をしたらより良いコミュニケーションができるか確信がなかったです。ヨーロッパと日本で好まれるコミュニケーションの差にも慣れていませんでした。プライベートでも演奏上でも、はっきりと意思表示することが求められますが、それでいて共演者と調和することが当時はテーマでした。経験と共に、お互いに「演奏の中で、考えと存在感を示す」というところに行きついて、コミュニケーションが取りやすくなりました。また、呼吸ひとつでも良いコミュニケーションはできますから。その中で「これは話さないとどうしても合わないな」と感じられたら「今のテンポどう思う?」とか具体的に話し合うことはできますけど、手探りでやっていたときは一番コミュニケーションが難しかったです。それぞれの性格や状況もあってのことですので、最終的に相手も自分もどちらもリスペクトすることが、良い音楽をするのに大切だと思います。

 

―――奥深いですね。村上さんが歌手の方と演奏するときに大事にしたいことはどんなことですか?

お互いにどれだけ詩と音楽の世界に向き合うことができるかを大事にしています。
作曲家は詩に音楽を付けているので、強弱ひとつでもその詩の感情表現であって、作曲家からのメッセージだと思うんですね。そのメッセージをどれだけ読み込むかというリスペクトがあってはじめて、作品が完成していくのだと思っています。また、心地よく意見を言い合えたり、表現を試しあえる信頼感も大切だと思います。最終的に、舞台で互いに音楽を楽しみ、私たちアーティストを通して作曲家のメッセージをお客様と共有することが目的ですから。

 

―――実は私もフランス語の詩を読もうと思ったことがあるのですが、何を言いたいのか掴みにくく、想像が難しかったんです…

フランス語の詩とドイツ語の詩は全然違いますね。ドイツの方は「フランス語の詩や音楽は苦手!」って感想をよく聞きますよ(笑)フランス語の詩や言葉のフレーズは、ドイツ物と比べ掴みどころがなくて抽象的なんですよね。そこが素敵だったりもするのですが。たぶん、ドイツ人や日本人はきっちりしているから「結局何が言いたいの?」と思ってしまうのかも。ドイツ語の詩はわりと具体的ですし、私はドイツ語の詩に励まされたり、癒されたり、人生について学んだりしていますよ。ぜひドイツ語の詩も読んでみてください!

 

―――ドイツの詩も読んでみたいと思います!おすすめの詩人がいたら教えてください。

詩人は人によって趣味があるので難しいですね。例えばゲーテ、ハイネ、アイヒェンドルフ、リュッケルトとかいろんな詩人がいますが、詩人によって同じ作曲家でも曲の仕上がりの雰囲気も全然違うんですよね。以前ゲーテの歌曲集をバリトン歌手の方と作ったんですけど、詩人を選ぶ際に、いろんな詩人ごとに様々な作曲家の歌曲作品を集めて比較しました。そうすると詩人の持つ特徴から作曲家の作品の雰囲気やエネルギーが相似していることに気が付きました。例えばゲーテだったら力強くていきいきしている作品が多いし、ハイネだったら繊細だけど巧みにエネルギーが交互している作品が多いと感じます。それぞれに良さがあるので、私はどの詩人が好きって言いにくいですね。

 

―――やっぱり詩を単体で読むより、音楽がついている方が入りやすいですか?

私にとってはそうですね。私も当初は歌曲をCDで聴くとき、ドイツ語が分かりにくかったので日本の対訳と同時に聴いていたんですけど、それでも言葉の響きと音楽から自分の中ですごくイメージが湧いたんです。音楽があるから詩が分かりやすくなるという実感があるし、言葉に抵抗があって詩が苦手と思っていらっしゃる方にも、歌曲の世界を通して身近に感じていただけると思います。

 

―――海外よりも日本は歌曲に触れる機会が少ないと思うのですが、もっと身近に感じられたらいいなと思いますよね。言葉が難しいというのもあるんでしょうね。

先ほどドイツ語があまり分からなくてもCDを聴いたらイメージが湧いたというお話をしましたが、それはドイツ語の特徴から来ていると思います。私にとってはドイツ語そのものが詩的で、たとえば「Wasser(水)」という言葉は「水が流れている!」と響きから絵が浮かぶし、「Mond(月)」は満月が輝いている様子が頭に浮かぶんですよ(笑)
心を開いて言葉を聴いて「なんだかこれはやわらかいな」とか「エネルギーが流れているな」といろいろ感じることは、音楽を聴いてイメージが湧くのと似ているのではないかと思います。言葉も音楽のように、リラックスして感じてみるとそれだけで楽しめるものだと思います。

 

―――すごいですね!そんな風にみんなに伝えたいっていう思いがあるから、今までたくさんご活躍されてきたのだと思います。

後編につづく・・・

(2019年9月事業企画課インタビュー@大ホール・ホワイエにて)


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