フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー①

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アンサンブルホールムラタ

10月5日開催『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)にご出演される、フォルテピアノ奏者の川口成彦さん。
川口さんといえば、昨年末にNHKで「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」の模様が放映され、大きな話題となりました。

今回の京都公演は、川口さんにとって関西初となるフォルテピアノ・リサイタルとなります!プログラムはもちろんオール・ショパンです。
メイン曲として、後世の作曲家たちに多大な影響を与えた《24の前奏曲》作品28を据えたほか、男装の女流作家ジョルジュ・サンドと過ごしたマヨルカ島及びノアンでショパンが作曲した傑作の数々をプログラミングしています。
使用楽器は1843年製のプレイエルです。

この記念すべき京都公演に向けて、川口成彦さんに特別インタビューを敢行しました。第2位を受賞された「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」のお話はもちろん、オランダでの生活やフォルテピアノなどに関する興味深い話をたくさん聞かせてくださいました。全3回にわたってお送りします!

 


――川口さんこんにちは。今日はお忙しい中、ありがとうございます。
川口さんには色々なことをお尋ねしてみたいのですが、まずは音楽を始められたきっかけについて教えてくださますか。

川口成彦さん(以下敬称略):もともとピアノは大好きで、小さい頃から弾いていたんです。でも、古楽器(フォルテピアノ)に触れたのは、東京芸術大学の楽理科に在学していた時です。
その時に、フォルテピアノ、つまり昔のピアノがあって学べるというのを知って、古楽器を始めることになりました。

なぜ、こんなにのめり込んだのかというと、それまでは「ハイドン」とか「モーツァルト」が書いた音楽に対して、距離を感じていたんです。
嫌いではないけど、好きではなかった、という感じかな。学部生だった頃は、ラフマニノフやスクリャービンとか、そういった作曲家が好きでたくさん弾いてたんですけど、モーツァルトやハイドンはどういうわけか、しっくりこなかったのです。

ところが、フォルテピアノで初めてハイドンのソナタを弾いたとき、目から鱗でした。今まで自分がハイドンの作品に対して疑問に感じていたことが、フォルテピアノという楽器を通してみると解決したのです。
その時に「あ、古典時代の作品を好きになるチャンスだ!」と思ったのがきっかけで、それからはフォルテピアノにどんどんのめりこんでいきました。

同じ大学の古楽科修士課程に進学したあとは、アムステルダム音楽院修士課程で2年間フォルテピアノを学んで、2017年に修了しました。
フォルテピアノを学び始めたきっかけは古典派の音楽でしたけど、そのあとシューベルトに広がっていき、今ではショパンとか、ブラームス、シューマンもフォルテピアノで演奏しています。
20世紀のドビュッシーなども、当時の楽器で演奏するようになりました。
いまは自分の興味ややりたいことが膨らんでいる時期だなと感じます。

――なるほど。当時の楽器に触れると、作曲家が本当に言いたかったことにまで触れられる…という感じでしょうか。
ところで、学部生の頃の専攻は「楽理科」だと仰っていましたね。何か音楽で追求したいことがあって、楽理科を選択されたのでしょうか?

川口:明確な研究テーマがあって楽理科に進学したかったわけではなく、僕はやっぱり演奏がしたかったんだなぁと思います。
ただ、僕の通っていた中学・高校は進学校で、たくさん勉強をしなければいけなかったので、ピアノを練習する時間がなかなか取れなかったんです。
でもどうしてもピアノを弾きたくて「どうしよう」と迷っていたときに、音楽を学問として深める「楽理科」という存在を知りました。
調べてみると、楽理科の卒業生には小林道夫先生(※チェンバロ、ピアノ、室内楽、指揮など活動が多方面にわたる第一人者)や武久源造先生(※鍵盤楽器奏者。特にバロック時代を得意とする)、それにジャズ・ピアニストになられた方もいらっしゃいました。
そういった大先輩の存在が、楽理科への進学を勇気付けてくれました。楽理科に入ってもピアノができる――だから、研究のためというよりも、ピアノ演奏を深めるために東京藝術大学の楽理科に進学したと言えますね。

――「演奏すること」と「研究すること」って通じていますよね。特に、古楽器奏者は半分研究者のようなところがあると思います。

川口:そうですね。やはり古楽器で演奏する理由のひとつに、「オーセンティックなものを追求する」ということがあると思います。
「当時、どう演奏されていたのか」ということを追求するうえで、アカデミックなものが必要になってくるんですよね。
だから、研究者になりたいというよりも、演奏を追求しているうちに、自然と研究している、というのが正直なところかもしれません。
とは言っても、こういった考えは古楽器奏者だけではなく、モダンの楽器を演奏する方々も持っていると思います。

――ちょっと話を戻しましょう。川口さんは東京藝大の修士課程を修められたあと、オランダに渡られていますね。なぜオランダを選ばれたのですか?

川口:それは、オランダと古楽の結びつきが深かったからです。
例えば、古楽オーケストラとして歴史を誇る18世紀オーケストラ(※オランダ出身のリコーダー奏者フランス・ブリュッヘンが創立。世界中から一流の古楽奏者が集まり、主に17~18世紀のレパートリーを得意とする)があったり、著名な鍵盤楽器奏者だったグスタフ・レオンハルト (1928-2012) もオランダ出身でした。また、チェロ奏者のアンナー・ビルスマさん(※オランダのチェロ奏者。バロック・チェロの名手として知られている)もオランダに住んでいらっしゃいます。
このような、古楽の歴史溢れる国だったので、最初からオランダで古楽を学ぶということはなんとなく希望として持っていたんです。

でも、だからといって「よし、留学しよう!」とすぐには思えなかった。
なぜなら、日本で師事した小倉貴久子先生(※日本を代表するフォルテピアノ奏者。1995年ブルージュ国際古楽コンクール フォルテピアノ部門の覇者)との関係がとても素晴らしいものだったからです。たぶん、小倉先生に師事しなければ、ここまで古楽にのめりこまなかったかもしれない。
だからこそ留学するなら、それ以上のものを――という想いがあったのです。

2015年にオランダで開催されたサマーセミナーに参加した時、当時アムステルダム音楽院の教授をされていたリチャード・エガー先生(※イギリス出身の鍵盤楽器奏者・指揮者。グスタフ・レオンハルトの弟子)に師事する機会を得たのですが、彼のレッスンはとても楽しいものでした。
何が楽しかったかというと、フォルテピアノのテクニックというよりも、彼自身が指揮者なので音楽を広く捉えることが出来た点でした。
自分が日本で学んだことをベースに、もっともっと自分が広く開けていけるようなイメージを持てたんです。

そう決めてオランダにやってきたのですが、実際、オランダで得ることが出来たものはたくさんあります。
まず第一に、一流の奏者に囲まれて、素晴らしい演奏家が身近にいてくれたこと。
彼らと一緒に演奏し、そこから学ぶことは多々ありました。レッスンでは得られない、貴重な体験です。
それから、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の団員さんとたくさん知り合えたことは自分にとって最も大きな出来事でした。

そのきっかけを作ってくれたのがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でティンパニを担当している日本人奏者でした。彼はアムステルダム出会った、大切な親友です。

そして彼とは絶対に一生忘れない思い出が出来ました。それはバルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》を一緒に録音してLPを製作したことです。
まだ彼が学生だった頃に「バルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》いつかやろうよ!」って冗談で言ってたんですけど、なんと本当にやることになったんです。
しかも話も夢も膨らんで「録音しよう!」、「CDではなくてLP作っちゃおう!」と大きく展開していきました。そんな中、彼がコンセルトヘボウの首席ティンパニの席を射止めてしまうという素晴らしい出来事もありました。

――えっ?すごいですね。バルトーク!

川口:そうなんです。最初は冗談だったんですけど、どんどん真剣になっていって。
でも結果的に、この経験が僕の音楽人生を大きく変えることになりました。

――なぜ?

川口:僕、それまでいわゆる「古楽」のアカデミックな部分にこだわりすぎていたんですよね。「音楽」をやりたい中、「古楽」というものに出会ってから学んだことばかりに気を取られていました。
何でもそうかもしれませんが、専門的になりすぎると頭の思考が柔軟でなくなり、重要なことを見落としやすくなります。 でもそういった狭い視野が、モダン楽器で活躍されている方やモダンオーケストラの団員との出会いに恵まれ、どんどん広くなっていったのです。
そし て、違う目線から自分の音楽を再び捉えることになりました。それが、自分にとって本当に大きな出来事だったのです。

結局、1年かけてバルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》を演奏したのですが、この作品に挑戦するためにこれまでの人生で一番労力を使いました。
この作品ではフォルテピアノではなくモダンピアノを演奏しているのですが、逆にこの作品を演奏したおかげで、古楽器奏者として足りないものが全部浮き彫りになりました。
アンサンブル能力も欠けていましたし、自分のリズム感覚も浮き彫りになっていきました。

――バルトークだから、余計にはっきりと見えたのでしょうね。

川口:そうなんです。あの作品は、当時の僕にとって非常に大切なものが凝縮されていました。

――実現してよかったですね。

川口:そう、僕はオランダでの人との出会いに恵まれたのです。
アムステルダムに飛び込んでいった先にいた人々は、非常に意識の高い人々でした。自分が到底追いつけない次元の人たちです。そういった人たちを見て、自分もそうなりたい…、そう思って必死で頑張ったのが良かったと思います。

――演奏家としての幅も広がったし、一人の人間としての視野も広がったっていうことですね。
このように、視野がどんどん広がっていった矢先に受けられたのが「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」でしたね。このコンクールでは第2位を受賞されて、日本のみならず世界中で話題となりました。
それでは次に、このコンクールのお話を伺ってみたいと思います。

▶フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー②へ続く…

(2018年11月20日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都コンサートホール 大ホールホワイエ)

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