きりく・ハンドベルアンサンブル インタビュー(2021.12.04京都コンサートホール クリスマス・コンサート)

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インタビュー

京都コンサートホールがお届けする、特別なコンサートシリーズ「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」。シリーズの最終公演である「京都コンサートホール クリスマス・コンサート」では、親しみあるクリスマス・ソングをはじめ、祈りや復活の気持ちが込められた作品の数々を、 京都コンサートホールの国内最大級のパイプオルガンとハンドベルの豊かな響きでお届けします。

公演に向けて、きりく・ハンドベルアンサンブル(以下「きりく」)の代表を務める、世界的なハンドベル奏者の大坪泰子さんにお話を伺いました。
ぜひ最後までご覧ください。

 

——この度は、インタビューにお答えいただきありがとうございます。
まずアンサンブルのメンバーについてお伺いいたします。メンバーの方々は皆さんどのようにハンドベルと出会われたのでしょうか。そしてどのように「きりく」に入られたのでしょうか。

大坪さん(以下敬称略):小中高時代に学校で始めた人がメンバーの約半分ですが、きりくで始めた人もいます。
いま一番若手のメンバーは、小さい頃から頻繁にきりくの公演に通ってくれていました。主に低音域を担当している福田義通は、私がこれまでグループを結成する度に参加してくれています。他のメンバーは、私のブログや打楽器協会の会報などでメンバー募集を知り、きりくに入ってきてくれました。

※きりくのメンバーは現在8名ですが、本公演では7名で演奏予定。

 

——きりくさんのこれまでの演奏活動とコロナ禍での活動について教えていただけますか。

大坪:これまでは毎年1〜2回の自主公演のほかに、国内公演や海外ツアー等を頻繁に行っていました。コロナ禍では、海外ツアーはできなくなった上、自主公演はキャンセルし、その他の公演数も激減しています。
楽器の特性上、集まらないと練習にならないのがコロナ禍での大きなネックとなりました。
昨年は、長年借り歩いていた練習場が一斉にクローズしてしまったため、自前で専用スタジオを作りました。高機能換気システムを入れた安全なスタジオは出来たものの、遠くから電車で通うメンバーも少なくないため、安全を考えるとやはり前ほど自由には集まれなくなりました。昨年以来、全く参加できなくなったメンバーもいます。

ただ、元々私たちは少人数で極度に制限された条件の中で、工夫しながら作品を作ってきました。何かに困れば新しい知恵と方法で動くだけで、むしろそうやって私たちは進歩していくものだと思っています。

——次に、きりくさんが使用されている「ハンドベル」という楽器について教えてください。一般の人がよく見るのは、10本くらいの色がついたハンドベルで、メロディーを奏でるくらいの規模かと思いますが、きりくさんの演奏会では全てのパートをハンドベルで演奏されると思います。どれくらいの本数を使われていて、一人あたりの担当本数はどれくらいなのでしょうか。

大坪:皆さんが「ハンドベル」と呼んだり想像しているものの殆どは、「ミュージックベル」か、ベル型の玩具なのではないでしょうか。
私達が演奏しているのは、「イングリッシュハンドベル」と呼ばれる楽器です。

きりくでは6オクターブ弱の音域を用いており、部分的には3セット使っています。重さは1音あたり500gから5kg位のものもあります。
使う数は曲によって違いますが、大体、1人6〜25個くらいを担当します。多い時には、全員で200個以上使う曲もあります。例えばピアノの鍵盤をバラして持って、自分の音だけ適切に奏でるような状態を想像してみたらわかりやすいと思います。
その他に、音叉型の「クワイアチャイム」という楽器も6オクターブ分使っていて、曲によっては併用しています。

※本公演で使用するベルの数は、約200個の予定です。

——きりくの皆さんが思うハンドベルの魅力はどんなところでしょうか。

大坪:一般とは違う発想や取り組みをしているので、私達の感覚が一般的ではないと思うのですが…倍音が豊かに響いているトランス的な状態が好きです。明るい曲よりは、暗くて深みのある曲が合うと思っています。

あとは、工夫次第で可能性が拡がるところでしょうか。
少人数でやっている事自体もそうですが、こんな事は出来ないだろうと決めつけず、どうやったら出来るかを試行錯誤しながら、新しい何かを発見していくことに喜びがあります。

 

——演奏会でお聴きするのがとても楽しみです。12月4日の「クリスマス・コンサート」で演奏してくださる曲について聴きどころを教えてください。

大坪:テーマが「祈り」だったので、楽器に合っていると思います。
ハンドベルは、時代で言えばバッハがいた頃に、イギリスの教会で生まれた楽器です。当時バッハの曲が演奏されるような事はありませんでしたが、時代を経てこうして出会ってみると、まるでオリジナルのように調和しているのが面白いです。
カッチーニのアヴェマリアとアメイジンググレイスは、今回「クリスマス・キャロルズ」を書いた山岸智秋さんの編曲によるものです。山岸さんは私の好みをよく知っていて、共通項も多いため、若い頃からタッグを組んで作品を作ってきています。

 

——大坪さんがおっしゃってくださったように、山岸智秋さんには、本コンサートのために「クリスマス・キャロルズ」を書いていただきました。山岸さんについてご紹介いただくとともに、今回の新曲に期待することなどをお話いただけますか。

大坪:山岸さんは、私が大学生の頃に教えていた高校のハンドベルクワイアの生徒でした。その後音大に進み、作曲編曲、ピアノ、各種合奏や合唱の指導、大学での教授活動等で活躍しています。
彼は私と音楽的な嗜好が似ているので、信頼してよく編曲を依頼します。私の細かい注文もよく汲んでくれますし、こちらで楽譜に少し手を加えたりする事にも寛容なのは、向こうも信用してくれているからではないかと思っています。
ただ、うちの人数では到底出来そうにない音数を書かれることもあり、毎回悲鳴を上げつつ仕上げながらもまた依頼する、ということをかれこれ30年来続けています。

今回の新作も、作品性の高いアレンジです。大量の音符を前にして、もう少し簡単だったらなと思いつつ、流石だなと思いながら音分けに取り組んでいます。
個性的な音使いをしながらも、素材としては古典的なクリスマスキャロルだけでメドレーになっているところも気に入っています。

 

大木麻理(C)Takashi Fujimoto

——今回共演する大木さんとは、以前(2019年12月)ミューザ川崎で共演されたと聞きました。今回の共演ではどのようなことを楽しみにされていますか?

大坪大木さんとは一度ご一緒しているので安心感があります。オルガンもハンドベルも教会生まれの楽器なので、共に演奏で祈れるのが嬉しいです。
どの曲も楽しみですが、今回はやはり、この公演の為に書かれた新作の「クリスマス・キャロルズ」に特別感があります。信頼できる共演者と編曲者で新しい作品を作れる希少な好機ですから、一回だけで終わらせるのは勿体ないくらいです。

 

——今回のコンサートには、「音楽」を通してコロナで疲れた方々を癒し、コロナに負けず音楽の力を信じて前に進みたい、というメッセージが込められています。「音楽の持つ力」は、ウィズコロナの現在、そしてアフターコロナでどのような役割を果たすと思いますか。

大坪:物理的に孤立しがちなコロナ禍での生活では、心の健康がQOL(クオリティ オブ ライフ)を左右します。音楽は直接心に刺激を与え、癒しや活力をもたらし、生き方にまで影響を与えると信じています。特に今後は、実演に触れて響きを浴びる体験の価値が見直されることと思います。
なんでもリモートで済むような生活習慣がついてきた今だからこそ、音楽を単なる情報として捉えるか、代替不可の体験として捉えるか、価値観の分かれるところではないでしょうか。
まだ厳しい状況下ではありますが、音楽ホール、実演家、そして聴衆の皆さまも、音楽体験の価値を諦めず、忘れず、共に乗り越えていければ嬉しいです。

 

 

——演奏会を楽しみにしている皆さまへ、一言お願いいたします。

大坪:大海の一滴のように僅かでも、たとえ一音でも響きを投じるからには何かに影響を与えていると信じ、演奏をしています。演奏会を楽しんでくださる皆さまお一人お一人のご安全、ご健康、お幸せを祈るとともに、その場を共有した全員から世界に向けた祈りが生まれることを期待しています。皆さまとご一緒できる事を心より楽しみにしております。

——お忙しい中ご協力いただきまして、誠にありがとうございました。
12月の公演を楽しみにしております!

(2021年9月事業企画課メール・インタビュー)

クァルテット澪標 東珠子さん&佐藤響さん インタビュー(2021.11.13オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~)

投稿日:
京都コンサートホール

11月13日(土)15時開演「オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~」では、ドイツの巨匠ピアニストであるゲルハルト・オピッツと京都ゆかりの若手奏者による弦楽四重奏団「クァルテット澪標」が共演します。

公演に向けて、クァルテット澪標の東珠子さん(ヴァイオリン)と佐藤響さん(チェロ)のお二人にお話を伺いました。
クァルテットについて、そして演奏されるピアノ五重奏曲や共演するオピッツさんについてもお話いただきました。

ぜひ最後までご覧ください!


――お忙しい中、インタビューにご協力いただき、ありがとうございます。クァルテット澪標のヴァイオリンを担当されている東珠子さんとチェロを担当されている佐藤響さんから今日はお話を伺います。
ヴァイオリンの大岡仁さんとヴィオラの牧野葵美さんは、先日それぞれお住まいのオーストリアとイギリスからご帰国されたばかりということで、現在隔離期間に入っていらっしゃいます(※インタビュー時10月末時点)
さて、まずは4人がどのように弦楽四重奏団を組まれたのかというお話を最初に伺いたいです。東さんと佐藤さんは同学年でいらっしゃいましたよね。

東珠子さん(以下、敬称略):はい、そうです。

佐藤響さん(以下、敬称略):同じ高校、大学※を卒業しました。(※現 京都市立京都堀川音楽高等学校、京都市立芸術大学)

――大岡さんと牧野さんは違う学校だったのですね。

:はい、二人は私たちよりも1学年上で、相愛大学に通っていました。
私たちの出会いは「京都フランス音楽アカデミー」でした。当時私たちは高校2年生で、オーボエクラスの先生が「室内楽をやろう」と言ってくださって。それで、私と佐藤さんで組んだのですが、その時にヴィオラの牧野さんがいて、一緒に室内楽をやったのです。それがすごく楽しくて。そのうちに「カルテットをやろう」ということになったのですが、「そうしたらヴァイオリンがもう1人必要だね」と言ったら牧野さんが「大岡君を誘ったらやってくれると思う」という話になりました。

佐藤:牧野さんと大岡君は同じ師匠※に習っていたのです(※小栗まち絵先生)。高校2年生の時に日本音楽コンクールで2位を獲った大岡君は当時、スーパー有名人で超多忙にしていましたので、僕たちとカルテットを組んでくれるのかな?と思っていたのですが「いいよ」と快諾してくれました。僕たちが高校3年生の春のことでした。

――学校という枠組みから離れて組まれたカルテットだったのですね。

:はい、いつもとは全く異なる環境で、音楽を通して皆、自分自身を見つめていた時期でした。

――なるほど、4人が音楽的な価値観がぴったりと合ったのですね。

佐藤:いえ、それが違うのですよ。最初はとても苦労しました。特に東さんが苦労していたかな。練習の帰り道、泣いていたこともあったね(笑)

――性格も音楽性も異なる4人が集まるわけですから、時に衝突も起きますよね。そういった部分はコンサートに行っても見えてこないので、個人的にはとても興味のある話です(笑)。

:大岡君と牧野さんって、私が今まで出会ったことのない演奏家だったんです。それがすごく刺激的で。年齢も私たちより1歳上だし、キャリアもずっとずっと上でしたし。そういうことも大きな理由の一つでしたが、やっぱり、それまではソロ中心で、室内楽の経験があまりなかったことが原因だったと思います。先生以外の人たちと、一つの曲を皆で一緒に勉強するわけでしょう。音楽を作る時も、先生とは全然違う視点で話をしてきます。
なので、自分でやりたいことがある時は、相手を説得するだけの「自分」を強く持たないといけないのですが、当時はそれがとても難しかったです。

佐藤:自分の考えていることを言語化できなかったんだよね。

:きっと、大岡君もそうでした。黙っちゃう。

――ということは、牧野さんが積極的に発言をしていたのですか?

佐藤:そうです(笑)。牧野さんはとてもロジカルなのです。

:だから、牧野さんを納得させるには、自分がなぜそう思うのかということを、まずは自分自身がよく理解しないといけないということに気付きました。

――そのようなことを高校生で気付けたということは、なかなか大きな経験だと思います。

:そうかもしれないですね。牧野さんには非常に鍛えられました(笑)。本当にストレートで、真面目で、まっすぐな人なのです。

佐藤:僕自身は、ちょっと違う苦しみを抱いていました。当時、僕は全然弾けなかった。それがとてもストレスだったのです。

:おそらく、それぞれが違う理由でとても苦しんでいた時期でした。だからこそ、お互いに興味を抱いたのかもしれないです。4人がそれぞれの相手を通して、自分自身を見つめたり、自分とは全く異なる世界に生きる相手を見ようとしたり。数年間かけて、アンサンブルのみならず人間関係も築いていたのだと思っています。

――その後、皆さんが大学生になった頃、若いカルテットの発掘と育成を目的としたカルテット振興プロジェクトである「プロジェクトQ」に関西代表として参加されたり、若手弦楽四重奏団としてのキャリアを積んでいかれました。
しかし、一旦、活動を休止されましたね。

:そうです。3年の活動を経た後、大岡君と牧野さんが「海外留学をする」ということになりました。
彼らの希望は前から聞いていたので覚悟はできていましたが、さすがに「活動中止」となるとショックでしたね。

――何年間、活動を中止されたのですか。

:9年です。ですが、その間もメンバー同士、連絡を取り合っていました。やっぱり、活動していた期間、とても楽しかったから。

――活動再開のきっかけは何だったのですか?

:私が大阪でリサイタルを開催したのですが、その時に一時帰国していた大岡君が聴きに来てくれたのです。
9年経って、それぞれががむしゃらに勉強する時期を終えて、就職が決まったり進路が決まったりしていました。
やっと、落ち着いて将来を考えることができたタイミングだったのです。
それで「そろそろ澪標、再開したいね」「ちょっと音を出してみようか」という話になりました。

佐藤:そんな流れで、2018年の夏に大阪と京都で自主公演を開催しました。再スタートです。

――9年を経て、一番最初に4人の音を合わされた時の印象は?

佐藤:女性が強くなっていて、びっくりしました!(笑)

――(笑)面白いですね。東さんは9年経って、ちゃんと自己主張ができるようになっていたのですね。

:はい(笑)

佐藤:東さんは4人の中で一番ポジティブで、ムードメーカーです。

――なるほど、それぞれ役割があるのですね。

:そうです。ノリで弾いちゃおう!というのが私。「いやいや冷静になろうよ」というのが残りの3人です(笑)
大岡くんは本番となるとバリバリ演奏するのですが、普段はぽーっとしています(笑)。本当に優しい人です。

佐藤:僕と牧野さんはめちゃくちゃネガティブなんですよね。

:ネガティブというよりも、2人は理論で考えていく人たちなのです。

――リーダーシップを取られるのは誰なのですか?

:その質問は難しいですね!澪標にリーダーはいないかもしれないです。

佐藤:はい、いないですね。それでうまくバランスが取れているカルテットなのです。

――今回、ドイツの巨匠、ゲルハルト・オピッツさんとブラームスのピアノ五重奏曲を演奏してくださいますね。どのような作品であると捉えていらっしゃいますか?

ピアノ五重奏曲を作曲した頃のブラームス(1866)

佐藤とてもブラームスらしい作品だなと思います。
ピアノカルテットと比較すると全然違うんですよね。ピアノカルテットの場合は、ピアニストも弦楽器奏者も1人1人が対等な立場にあると思うのですが、ピアノクインテットは違うのです。ピアノとカルテットが対峙するというか。とてもやりがいのある作品です。

:この作品はブラームスが比較的若い時に書いたもの(1864年作曲)なので、音楽的にはそこまで複雑ではないのですが、ブラームス青年期の瑞々しさ、シンプルさを表現できたらいいなと思います。

――オピッツさんと共演されることについてはいかがですか。

佐藤:僕だけではなく、みなさんにとって、オピッツさんって「本物中の本物」ですよね。日本のオーケストラメンバーの色々な方々が口を揃えて「オピッツさんはすごい」とリスペクトされているのです。

(C)HT/PCM

大岡君が弾いているボン・ベートーヴェン管弦楽団でもソリストとしてオピッツさんが来られたそうなのですが、やっぱり凄かったそうです。こんなに皆が素晴らしいと絶賛するピアニストと共演できる機会はなかなかないことなので、すごく楽しみにしています。

 

:実は、澪標で他の奏者と一緒に演奏するのは今回が初めてなのですよ。そして、初めて演奏する方がオピッツさんという(笑)
こんなすごい話はないと思って、喜んでオファーをお受けしました。
私たちはこれまで、音程について相当緻密に議論を重ね、和声を作ってきました。そこへピアノが入った時にどうなるか、未知数ですし、とても楽しみでもあります。私たちにとって、素晴らしい経験になるだろうと思っています。

佐藤:こうやって、超一流のピアニストと共演する機会を純粋に楽めるというのは、やっぱりこれまでそれぞれに経験を積み、自信をつけてきたからだと思います。それぞれに自分の「引き出し」は増やしてきましたから。今回はその引き出しを試すことができる、とっても良いチャンスだと思います。

――これまで経験を重ねて自信をつけたからこそ、今回のコンサートを楽しめる……本当に素晴らしいことだと思います。
オピッツさんもクァルテット澪標との共演をとても楽しみにされています。
京都コンサートホールでしか聴くことのできない、オール・ブラームス・プログラム。本番まであとわずかですが、私たちも11月13日を今から楽しみにしています!今日は色々なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。

(2021年10月 京都コンサートホール応接室にて
聞き手:高野裕子 京都コンサートホールプロデューサー)

 

《オピッツ・プレイズ・ブラームス with クァルテット澪標》の公演情報はコチラ

 

ピアニスト ゲルハルト・オピッツ 特別インタビュー(2021.11.13オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~)

投稿日:
京都コンサートホール

京都コンサートホールの特別シリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』の第3弾「オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~」(11/13)では、ドイツ・ピアニズムを受け継ぐ巨匠ピアニストのゲルハルト・オピッツ氏が、オール・ブラームス・プログラムを披露します。

オピッツ氏は、2020年に開催した特別シリーズ「ベートーヴェンの知られざる世界」にご出演いただく予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で出演は叶いませんでした。

今回、待望の京都公演に向けて、オピッツ氏へメールインタビューを行いました。
演奏していただくブラームスの作品や、特別な憧れがあるという京都についてお聞きしました。ぜひ最後までご覧ください。

(C)Concerto Winderstein

——この度はインタビューをお引き受けいただき、ありがとうございます。
昨年はご出演がかなわず大変残念でしたが、
今回改めてオピッツさんをお迎えできますこと、心より嬉しく思います。
さて、オピッツさんはこれまで日本各地で演奏されていらっしゃいますが、京都コンサートホールは3回目のご出演になるかと思います。1回目は2002年にヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮のNHK交響楽団と、2回目は2019年のマルク・アンドレーエ指揮の京都市交響楽団との共演でした。
京都コンサートホールの印象や過去の2回の演奏会での印象的なエピソードがあれば教えてください。

オピッツ氏:京都コンサートホールは、聴衆だけでなく演奏する側にとっても理想的なホールだと思います。ホールの持つ建築のコンセプトと優れた音響のおかげで、この場所で演奏することが本当に楽しいのです。
以前ベートーヴェンの協奏曲第3番とブラームスの協奏曲第1番を演奏しましたが、どちらも素晴らしい思い出です。ヴォルフガング・サヴァリッシュとマルク・アンドレーエという二人の偉大な指揮者とは80年代からのよき仲間、よき友人であり、私たちは何十年も多くの舞台を共にし、信頼し合うことができました。幸いなことにアンドレーエ氏は今も健在で音楽仲間や聴衆を魅了し続けていますが、サヴァリッシュ氏はもうここにはいません。本当に残念でなりません。

2019年1月 マルク・アンドレーエ指揮、京都市交響楽団との共演の様子(C)京都市交響楽団

★2019年のアンドレーエ氏&京都市交響楽団との共演の様子はこちら↓
京都市交響楽団 公式ブログ「公演終了!アンドレーエ&オピッツ「第630回定期演奏会」」

 

——今回の演奏会では、オール・ブラームス・プログラムを演奏していただきます。プログラム前半では、ブラームスの作曲人生において実り多き時期から晩年にかけてのソロ作品を選んでいただきました。選曲の意図と各曲の魅力を教えていただけますでしょうか。

オピッツ氏:1864年にブラームスが作曲した作品34の五重奏曲は若かりし頃のスタイルを踏襲しており、四楽章構成という大規模な作品です。これに呼応するものとして、ピアノの小品に集中して作曲を行った後期の成熟した作品を選びました。
2つのラプソディーは、古典的形式とラプソディーの自由さが統合された作品です。
続いて、ブラームスが“Klavierstücke”(ピアノ小品)と呼んだ最晩年の小品集の持つ魔法のような世界観へと歩みを進め(作品119)、“Fantasien”(幻想曲)と名付けた作品を演奏します(作品116)。
これらの作品の中にはドラマチックで煽情的なものもありますが、そのほとんどは熟考され詩的な美しさが強調された作品です。これこそがブラームスの絶頂期だと思います。

(C)HT/PCM

——後半プログラムの「ピアノ五重奏曲」では、京都ゆかりの若手音楽家による「クァルテット澪標」と共演なさいます。クァルテットのメンバーは現在それぞれ、ドイツ・ベルギー・イギリス・日本で活躍しています。共演する上で楽しみにされていることなどがありましたら教えてください。

オピッツ氏:クァルテット澪標の素晴らしい皆さまと、壮大な五重奏曲作品34で共演できることを楽しみにしています。彼らの演奏への熱烈な評判を耳にし、今回初めてご一緒できることになり、大変嬉しく思います。
この五重奏曲は室内楽曲の中でも特に重要な作品ですし、この曲を演奏することは5人の演奏家同士での知的で深い会話のように思っています。私たち5人は、ともに楽しい演奏を究極の目標として、この素晴らしい作品の魅力を聴衆の皆さまにお届けします。

クァルテット澪標

——オピッツさんは親日家でいらっしゃって、あるインタビュー記事で「とりわけ京都にはある種の憧れを感じています」と話されているのを目にしました。よろしければそのお話を聞かせていただけますでしょうか。

オピッツ氏:私にとっての京都は、日本だけでなく世界中のどの都市と比べても唯一無二の都市です。初めて訪れた1976年以来、いつもその街並みの美しさに感動し、魅了されています。一方に町があり、もう一方に広がるお寺や神社などの歴史的な風景、そして山や森、川などが驚くほど見事に調和しており、まるで完全な芸術作品のようです。千年以上の歴史に根差した伝統の美しさが、現代の生活に見事に溶け込んでいます。

 

——さて、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、世界を大きく変化させました。今回のコンサートを含む4つのコンサートシリーズ「The Power of Music~いまこそ、音楽の力~」は、「コロナに屈せず、“音楽の力”を信じて前に進もう」という思いで企画いたしました。「音楽の力」は、ウィズコロナそしてアフターコロナの状況で、どのような役割を果たす(果たしている)とオピッツさんは思いますか。

オピッツ氏:現在のパンデミックの状況によって、私たちが以前のように生活を楽しむことが難しくなっています。音楽はウイルスの脅威による影響や、それに付随する問題を解決することはできませんが、私たちの魂を勇気づけてくれるものです。辛い状況にある私たちの感情や思考を和らげてくれるもの、それが音楽だと思います。

(C)HT/PCM

——最後に、1年越しの演奏会を楽しみにしている皆さまへメッセージをお願いいたします。

オピッツ氏:クァルテット澪標と私は、ヨハネス・ブラームスの芸術的なメッセージに対する私たちの情熱を皆さまにお届けしたいと思います。ブラームスのファンが増えることを願っていますし、音楽愛好家の皆さまにもブラームスの新たな一面を見つけていただけたら幸いです。彼の精神が私たちを啓蒙し、導いてくれますように。

——お忙しい中ありがとうございました。京都でお会いできますことを楽しみにしております。

(2021年10月事業企画課メール・インタビュー)

「オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~」(11/13)公演情報・チケットの購入はこちら

特別寄稿「フレデリック・ショパン、愛と青春の譜を歌うとき」(「ショパン!ショパン!!ショパン!!!」11月20日)

投稿日:
京都コンサートホール

京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.2「ショパン!ショパン!!ショパン!!!」(11/20)。
音楽専門誌などで執筆されている青澤隆明氏に公演の魅力についてご寄稿いただきました。ぜひご覧ください!


フレデリック・ショパン、愛と青春の譜を歌うとき
青澤隆明(音楽評論)

 ショパン・コンクールの年がめぐってきた。昨年の予定がCovid-19の全世界的影響下で1年延期されたが、ショパンの命日をはさんで本選が行われる。そろそろ一世紀にも近づくワルシャワの大舞台で、古今東西の若者たちの青春もさまざまに輝いてきたことだろう。

 育ち盛りの若者にとって1年という時間はとても大きい。フレデリック・ショパンならば、1年のうちに2曲のピアノ協奏曲ほかを書き上げ、もう1曲 「華麗なるポロネーズ」に着手するだけの時間だ。20歳そこそこの青年だった1830年前後、ポーランドでの最後の時節の出来事である。

 ワルシャワでの告別演奏会で、ショパンは作曲したばかりのホ短調協奏曲を披露した。万感の思いだったろう。そこには、若者の希望や理想があり、純粋さがあり、恋慕も憧憬も、憂鬱も焦燥もあった。そして、なにより、未来があった。

 ショパンのオーケストラを用いた作品は6曲が完成されたが、いずれもピアノが主役で、作曲家自らが演奏した。ピアノはショパンの魂であった。鍵盤で織りなすポーランドの種々の民族舞曲は、愛する人々との絆でもあり、純化された愛国の精神でもある。それから、時を超え、世界中の人々の手で奏でられるようになった。

 そのうち今日までもっとも愛される3つの名品が、ひとつのコンサートで味わえる。しかも3人の若いピアニストの手による競演のかたちで。贅沢な話である。幅広く活躍する実力派デリック・イノウエが指揮をする。 京都コンサートホールと京都市交響楽団の意欲的な企画だ。

實川 風(c)Yuki Ohara
福間洸太朗(c)Marc Bouhiron
ニュウニュウ(c)Chris Lee

 

 

 

 

 

 

 三者三様のピアニストは、まさに男盛りともいうべき年頃の、それぞれに主張をもつ青年たちである。實川風が「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」、福間洸太朗がピアノ協奏曲第2番ヘ短調を、ニュウニュウは第1番ホ短調を弾く。つまり、ピアニストはそれぞれ若く個性豊かで、しかし作曲当時のショパンの年代は過ぎている。もし青春のさなかだとしても、時を振り返るだけの余裕が、心理的にも技術的にもあるはず。そして、音楽は見果てぬ愛だ。

 革命前夜のワルシャワを離れても、ショパンの心は愛するポーランドの人々とともにあった。協奏曲は故国で未来への展望を託した夢でもあり、生来リアリストのシビアな性格をもつショパンにして、そこではきわめて甘美な心情がナイーヴに語られている。そして、ポロネーズは言うまでもなくポーランドの誇りであり力である、しかも“ブリランテ”だ。“輝かしい”青春は、未来へと手を伸ばすピアニストの演奏でこそ、清く鮮やかに生きられるべきもの。

 こうして、ショパンの青春の譜を3曲続けて訪ねることは、聴き手にとっても、失われた、いや、決して失われるはずのない、若き愛と青春の旅立ちを謳うひとときとなるだろう。


青澤隆明(音楽評論)
1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。高校在学中からクラシックを中心に音楽専門誌などで執筆。新聞、一般誌、演奏会プログラムやCDへの寄稿、放送番組の構成・出演のほか、コンサートの企画制作も広く手がける。主な著書に『現代のピアニスト30-アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる―清水和音の思想』(音楽之友社)。


★京都コンサートホール×京都市交響楽団プロジェクトVol.2「ショパン!ショパン!!ショパン!!!」(11/20)の公演情報はこちら

【兵士の物語*出演学生特別インタビュー】<後編>

投稿日:
京都コンサートホール

京都コンサートホールでは、ストラヴィンスキーの没後50年に際し、彼が残した傑作のひとつ《兵士の物語》を上演します(10/16)。今回、演奏をつとめるのは、関西の音楽・芸術大学7校から集結した学生たち。各楽器の聴きどころ、公演への意気込みなどをメンバーにインタビューしました。
前編では、弦楽器・木管楽器を演奏する奏者4人をご紹介します。ぜひ最後までご覧ください!

<インタビュー内容>
① 《兵士の物語》の作品紹介と注目ポイントを教えてください。
② 第一線で活躍する指揮者の広上淳一氏・大蔵流狂言師の茂山あきら氏と、各大学から選ばれたメンバーが集結して共演することへの意気込みを教えてください。
③ この作品はいまから約100年前、第一次世界大戦やスペイン風邪のパンデミックで世界が苦境に陥っているなか誕生した作品です。現在わたしたちを取り巻く状況と非常に似通った作品背景を持つ《兵士の物語》ですが、コロナ禍でこの作品を演奏する意義を教えてください。

後編の一人目は、トランペットを担当する大阪芸術大学演奏学科4年生の川本志保さんです。川本さんは、大学で勉強する傍ら、堺市・スクールサポーターで学校の吹奏楽部を指導、地域のコンサートで依頼演奏もするなど幅広く活躍しています。「兵士の物語」で活躍の場が多いトランペット。川本さんの演奏にご注目ください!

川本志保(大阪芸術大学)

① 1918 年に発表された舞台作品で、管弦打楽器のアンサンブルが語り手と合わせて演奏するというような形を取っています。今回は、トランペットとコルネットを両方使い、クラリネットやヴァイオリンが演奏するような細やかなパッセージがあるのも、数ある難所の一部です。また、各楽器による様々なフレーズや変則的なリズムなどが複雑に掛け合わさって物語を彩っているので、そこを聴いていただきたいです。
② 今からすでに緊張しているのですが、プロの音楽家と一緒に仕事ができることは本当に凄い事なので、必死について行きたいです。他大学の学生の方々と共に演奏できる機会も昨年からは少なくなり、この機会は貴重だと思っているのでとても嬉しいです。
③ 未曾有の事態に巻き込まれた昨今、感染症が私達の生活にこんなに影響するとは思いもしませんでした。ですが、この作品あるいは音楽を通して約100 年前の世界の人々と同じく苦境を乗り越えて生きていける、という意義があると思います。

続いて二人目は、トロンボーンを演奏する京都市立芸術大学音楽部3年生の野口瑶介さんです。京都で生まれ、京都堀川音楽高校を卒業し、現在も京都で研鑽を積む野口さん。京都コンサートホールはとても思い入れのあるホールとのこと。これまで、日本クラシック音楽コンクールなどで多数上位入賞を重ね、現在は京都市交響楽団首席トロンボーン奏者の岡本哲氏に師事しています。トロンボーンの聴きどころを語っていただきました。

野口瑶介(京都市立芸術大学)

① 冒頭、トランペットとトロンボーンの軽快な旋律で物語が幕を開けます。トロンボーンの聴きどころは第2部「王の行進曲」。長く病に苦しむ王女を助けるべく、軍医を装って王の元へと向かう兵士ジョゼフの勇ましさが、トロンボーンの力強いメロディーで表現されます。
② 日本が誇るマエストロ、広上淳一さんと共演させていただけますことは大変光栄です。語り手に狂言師の茂山あきらさんといった、普段のクラシック音楽では味わうことのできない、異文化との融合も非常に楽しみにしています。大学の垣根を越えた学生7人によるアンサンブルで、共にこの難曲に挑みます。
③ 長期にわたる緊急事態宣言や外出自粛により、大勢の音楽家が演奏機会を失いました。幸いにも、まだ学生である私は、自身の音楽を見つめ直す機会となり、1ステップ成長することができました。演奏機会があるということ、聞いてくださる方々がいることの幸せを噛み締め、文化芸術に対する理解への感謝を忘れずに、音楽に取り組んでいきたいと思っています。

室内楽アンサンブル、最後のメンバーは、打楽器を担当する大阪教育大学大学院音楽研究コース2年生の清川大地さん。清川さんは、クラシック音楽だけでなく、マルチパーカッション(複数の打楽器のみで楽曲が構成され、ひとり演奏する分野のこと)と呼ばれる演奏も研究されています。独奏やオーケストラ、吹奏楽など様々な分野でも意欲的に活動する清川さん。ストラヴィンスキーの味わい深い音楽をうまく引き出してくれるでしょう。

清川大地(大阪教育大学大学院)

① この作品には、7種類の打楽器が用いられ、それらを所狭しと並べて、ひとりの奏者で演奏します。それぞれの楽器によって、素材や楽器の大きさ、つくりや奏法も違うため、同じ力で叩いても発せられる音量が異なります。それらをひとつのフレーズに聴こえさせるには、繊細なタッチや、適切な力のコントロールなど、高度な技術が求められるといえます。
② この演奏会に大学を代表して出演させていただけること、大変嬉しく存じております。学生という身分に甘んずることなく、第一線でご活躍されている広上さんや茂山さんと同じ土俵に立つんだという意気込みで、責任と覚悟を持って挑みたいと考えます。また、このプロジェクトを通して、他大学の学生との繋がりを実感しています。ひとつの舞台を作り上げる仲間として、また、同じ職業を志す同志として、この繋がりは大切にしていきたいです。
③ 現在と似た境遇の時代を生きたストラヴィンスキーは、世界をどのように観ていたのか。私はそれを、作品に滲み出た独特で不気味とも言えるテイストから想像します。どこか暗い夢を見ているかのような世界観のこの音楽で、何を伝えたかったのか。夢の中の実在しない奇妙な世界で起きているような、各時代のパンデミック。作曲者自身も、現実とは思い難い、そんな苦悩を感じていたのではないでしょうか。作品の背景を知ったり、それらを学ぼうとする姿勢自体が、大変意味のあることだと私は考えます。

以上、前編と後編にわたり、「京都コンサートホール presents 兵士の物語」に出演する室内楽アンサンブル7名をご紹介しました。関西の音楽・芸術大学7校から選ばれたメンバーが集結し演奏する機会はなかなかありません。10月16日はぜひ、京都コンサートホールまで足をお運びください!

《兵士の物語》公演情報はコチラ

【兵士の物語*出演学生特別インタビュー】<前編>

投稿日:
京都コンサートホール

京都コンサートホールでは、ストラヴィンスキーの没後50年に際し、彼が残した傑作のひとつ《兵士の物語》を上演します(10/16)。今回、演奏をつとめるのは、関西の音楽・芸術大学7校から集結した学生たち。各楽器の聴きどころ、公演への意気込みなどをメンバーにインタビューしました。
前編では、弦楽器・木管楽器を演奏する奏者4人をご紹介します。ぜひ最後までご覧ください!

<インタビュー内容>
① 《兵士の物語》の作品紹介と注目ポイントを教えてください。
② 第一線で活躍する指揮者の広上淳一氏・大蔵流狂言師の茂山あきら氏と、各大学から選ばれたメンバーが集結して共演することへの意気込みを教えてください。
③ この作品はいまから約100年前、第一次世界大戦やスペイン風邪のパンデミックで世界が苦境に陥っているなか誕生した作品です。現在わたしたちを取り巻く状況と非常に似通った作品背景を持つ《兵士の物語》ですが、コロナ禍でこの作品を演奏する意義を教えてください。

まず一人目は、ヴァイオリンを担当する相愛大学大学院音楽研究科2年の芝内もゆるさん。芝内さんは、大学院でヴァイオリンとヴィオラを専攻し、今年の秋には大阪のザ・フェニックスホールで「ヴァイオリン・ヴィオラリサイタル」(10/3)を開催するなど、精力的な活動をなさっています。2つの楽器の特性や違いを研究することにより相乗作用が生まれ、新しい発見の日々だそうです。ヴァイオリンが主軸となる「兵士の物語」。ヴァイオリンの多彩さを存分に引き出す、ストラヴィンスキーならではのリズムや音型、そして芝内さんの演奏に期待が高まります。公演にかける想いを伺いました。

芝内もゆる(相愛大学大学院)

① 兵士の物語には、たとえお金に恵まれていたとしても心は空虚であり、音楽は人の心を満たす力を持っているというメッセージが込められています。ヴァイオリン奏者からみた本作の注目ポイントは、やはり第2 部の”3 つの舞曲”ではないでしょうか。悪魔が踊り狂う様子を、ヴァイオリンによる技巧的な演奏で表現します。
② 広上さんに茂山さんといった、どこか遠い存在に感じていた素晴らしい方々と共演できるということで、高揚感と緊張感で今から胸がいっぱいです。また他大学の皆さんとのアンサンブルは、同じ関西に居てもなかなか機会がなかったのでとても楽しみです。今回は全員が異なる楽器ということもあり、それぞれの良い個性がぶつかり合う面白いリハーサルになると思っています。
③ 新型コロナウイルスの出現によって、芸術の存在意義について考えさせられる場面が、これまでに沢山あったかと思います。様々な分野で苦渋の決断を迫られるなか、音楽、そして芸術分野の存在意義を題材にしたこの作品と向き合うことができるのは、音楽家を志す私にとって大変意義深い経験になると思います。

続いて二人目は、コントラバスを演奏する同志社女子大学学芸音楽部音楽科(2021年3月卒業)の才野紀香さんです。才野さんは中学校の吹奏楽部でコントラバスに出会ったそうです。大学在学中は、当ホールで開催される「関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル」に出演、今年の4月には岡山県新人演奏会に出演するなど活躍しています。「兵士の物語」でたびたび複雑な変拍子が出てきますが、コントラバスは皆のリズム感を支える重要な役割を担っています。作品の聴きどころを教えていただきました。

才野紀香(同志社女子大学卒)

① この作品は少人数・低予算、かつ狭い場所でも興行できる作品として作られました。コントラバスのパートは、兵士や悪魔の足取りを表現されているようにも聴こえます。複雑な変拍子や、少人数だからこそ表現のできる兵士の表情にも是非ご注目いただきたいです。
② この演奏会に出演させていただける事、とても嬉しく思っています。共演する方々と共に、いい作品を作りあげられることを楽しみにしています。
③ 当時は、パンデミックにより作品を各地で演奏することができなかったそうです。今この状況の中で演奏するに当たって、このコロナのパンデミックに打ち勝つという願いを込めたいです。

続いては、木管楽器です。クラリネットを担当するのは神戸女学院大学音楽部4年生の久保田彩乃さん。久保田さんは、中学校でクラリネットを始め、3年連続「全日本吹奏楽コンクール」に出場。高校在学時にはコンサートミストレスを務めていました。現在は大学でさらなる研鑽を積む傍ら、音楽教室の講師もなさっています。この作品では、冒頭から技巧的なクラリネットが多く登場します。久保田さんのソロ部分にもぜひご注目ください!

久保田彩乃(神戸女学院大学)

① この作品では、クラリネットはA 管とB♭管の二種類の楽器を使って演奏します。A 管はB♭管に比べて管の長さが長いため、特有の深みのある音色がします。クラリネットが活躍する曲(パストラルや小さなコンサート等)で、二種類の楽器の違いをお楽しみください。
② 「兵士の物語」をこの豪華なメンバーでできることに幸せを感じています。広上さんの指揮で演奏することも初めてなので楽しみです。このメンバーでの最高のパフォーマンスをお届けしたいです。
③ コロナ禍でも足を運んでくださるお客様に、勇気と感動を与えられることが私たちのできる精一杯だと考えています。「兵士の物語」とこの今の状況を思い合わせながら演奏します。

インタビュー前編、最後はファゴットを演奏する大阪音楽大学大学院音楽研究科1年生の浜脇穂充さんです。浜脇さんは、これまでザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団とモーツァルトのファゴット協奏曲を共演、大学卒業時には卒業演奏会に出演・優秀賞を受賞するなど活躍されてきました。今年3月にはソロ・リサイタルを開催されるなど、ソロ奏者としても精力的に活動しています。この公演にかける学生たちそれぞれの意気込みを、ぜひ最後までご覧ください!

浜脇穂充(大阪音楽大学大学院)

① 本作は初演当時、多くの芸術家が経済的困窮にあった時代背景から、そんな状況でも上演できるというコンセプトのもとに誕生しました。「3つの舞曲」や「悪魔の踊り」などで度々登場するファゴットの技巧的なパッセージに、是非ご注目いただきたいです。
② 今回の出演オファーをいただき、広上先生や茂山さんはもちろん、関西で活躍する同世代の名プレイヤーたちとご一緒できることをとても光栄に思っています。今この時代の若手演奏家だからこそ作り出せる演奏の熱量を武器に、本作と向き合っていければと思います。
③ 本公演の開催が、現在のこの膠着状態を打開するためのひとつのエネルギーになればと考えています。目に見えないものと闘う中で、人々の心に寄り添えるような舞台を作ると同時に、苦しいときに何かができるプレイヤーでありたいと思っています。

以上、今回は弦楽器・木管楽器を担当する4人にお話を伺いました。後編では、金管楽器と打楽器の3人をご紹介します。

▶《兵士の物語》公演情報はコチラ
https://www.kyotoconcerthall.org/powerofmusic2021/#soldat

伊東信宏さん・三ッ石潤司さん・三輪郁さん オンライン・インタビュー(2021.10.02ラヴェルが幻視したワルツ)

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

10月2日(土)15時開催「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)。出演者の伊東信宏さん(監修・レクチャー)、三ッ石潤司さん(ピアノ・作曲)、三輪郁さん(ピアノ)にオンライン・インタビューを実施しました。

お三方共に旧知の仲でいらっしゃるということで、非常に濃い内容のお話を伺うことができました。ぜひ最後までご覧ください。

――今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。まずは監修してくださった伊東さん、本公演のコンセプトについて教えていただけますでしょうか。

伊東信宏(監修・レクチャー)

伊東信宏さん(以下敬称略):コンセプトの中心にあるのは、ラヴェルの《ラ・ヴァルス》という曲です。
    コロナ禍が始まった頃、フランソワ=グザヴィエ・ロトが指揮する《ラ・ヴァルス》の映像がYouTubeにアップされたのですが、それを観てピンとくるものがありました。
    ラヴェルが《ラ・ヴァルス》を作曲したのはスペイン風邪のパンデミック下、今からちょうど100年前のことです。コロナ禍の今こそ、この作品を演奏すべきなのではないか、と思うようになりました。
    ラヴェルという人は、非常にシャイな人で、本音を言いたいときでも誰かのふりをしてしか言えないタイプ。《ラ・ヴァルス》も“ウィンナ・ワルツのふりをして”、自分の表現したいことを表現している曲なのだろうと昔から思っていました。
    《ラ・ヴァルス》の中には、ウィンナ・ワルツの断片みたいなものがたくさん出てきますが、それらはくっきりとは見えてこず、全部に紗がかかったかのように聞こえます。
    そういった「ウィンナ・ワルツの断片」を寄せ集めて、「紗幕の向こうにあるワルツ」を再構成してみたくなりました。つまり、《ラ・ヴァルス》から「本物のウィンナ・ワルツ」を仕立てるというような事をしたら面白いんじゃないかなと思ったのです。
    どなたにお願いしようかと考えた時、すぐに三ッ石さんのお顔が思い浮かびました。三ッ石さんはウィーンに長年住まれておりましたし、「ウィーンのインサイダー」とも言える人です。三ッ石さん自身がちょっとラヴェルに似たシャイなところがあって、でもこういう形の曲なら乗ってくださると思ってお願いしてみたら、快諾してくださいました。

三ッ石潤司さん(以下敬称略):即答しましたよ、やります!と。

伊東:快諾してくださって、とても嬉しかったです。三ッ石さんはピアノの名手でもありますので、新作委嘱と一緒に《ラ・ヴァルス》の演奏もお願いしました。この作品はピアノ・デュオですから、ピアニストが2名必要です。そうなると、やはりウィーンに長年住まれている三輪郁さんにお願いするしかないなと思い、打診しました。三輪さんにもご快諾いただき、よかったです。

三ッ石:三輪さんには僕の弾けないところを全部カバーしてもらおうと思っています(笑)

三輪郁さん(以下敬称略):いやいや、それはこちらのセリフです(笑)

伊東:こうなったらせっかくなので、音楽会として単純にウィンナ・ワルツを楽しんでもらうような面も必要だと思い、シェーンベルクとウェーベルンが室内楽版に編曲した、ヨハン・シュトラウスII世のウィンナ・ワルツなどもプログラミングしました。

――三ッ石さんの委嘱作品《Reigen(輪舞)―― La Valse の原像》について教えてくださいますか。

三ッ石潤司(ピアノ・作曲)

三ッ石:僕はもともとパロディという精神がすごく好きなんです。
    そもそも作曲っていうのは、最初は模倣から入るものだと思います。ですので、「様式を理解する」ということと、「それを模倣して曲を書く」ということは、作曲家としても演奏家としてもすごく重要なことなのではないかと考えています。
    作曲家としてパロディを書くということは、とても面白いことです。「どーだ!良く似ているだろう」ってドヤ顔もできるしね(笑)。
    だから今回、伊東さんから委嘱作品のお話をいただいた時、「面白そうだな」と思いました。もちろん、「いいものができるかな」と不安にはなりましたが。

――ラヴェルの《ラ・ヴァルス》でも、三ッ石さんの《Reigen(輪舞)――La Valseの原像》でも要になる「ウィンナ・ワルツ」について教えてくださいますか。

三輪:ウィンナ・ワルツの最大の特徴は、「ウン・チャッ・チャ」というように3拍が均等に演奏されず、「ウ・チャッッ・チャ」というように2拍目が通常より早いタイミングで入るんですよね。
    1980年代の終わり頃にウィーンで勉強していたのですが、実際に現地の舞踏会に呼ばれたことがありました。綺麗なドレスを着て壁の花になっていたら、地元の知らない青年がやってきて、私の手を取って一緒に踊ってくれました。周りの人たちの動きを真似ながらステップを踏んでいると、2拍目の間にドレスがひるがえることが分かったり、あるいは、それまで右回りで踊っていたのに左回りに変わった瞬間に「間」が誕生することが分かったり、だんだん回転のスピードが増していく等といったことを体感できました。ウィンナ・ワルツ特有のリズムは、舞踏会の場で必然的にそうなったのだということが分かりました。
    あともう一つ、ウィンナ・ワルツの拍節感に関する体験談があります。
    私たちにとっては少し早いタイミングに感じられる2拍目ですが、ウィーンの音楽家たちは「普通に弾いている」らしいのです。彼らと共演する時、2拍目のダウンボウ(上から下に弓を下ろす)や3拍目のアップボウ(下から上に弓を上げる)で自然と勢いが出たり、弓の動きが突き上げられたりするのですが、そこにワルツの回転が加わり、ウィンナ・ワルツ独特のテンポ感や抑揚が生まれていました。その自然な動きの中からウィンナ・ワルツの拍節感が生まれていたのです。

三ッ石:三輪さんはすごく丁寧にウィーン人の3拍子の説明をしてくれましたが、実はウィーンの人たちはそう言いながらも違うことを考えているのではないかなと思ったりもします。確かに理論的にはそうなのですが、彼らはおそらく理論では生きていない(笑)。そこがまたウィーンの面白さじゃないかなと思います。

――それでは続いて、コンサートのメインである《ラ・ヴァルス》についてお伺いします。今回はピアノ2台版で演奏していただきますが、ピアニストからみた《ラ・ヴァルス》とはどんな曲ですか?

三輪郁(ピアノ)

三輪:《ラ・ヴァルス》は、私にとってずっと憧れの曲でした。
だけど、絶対弾けないと思っていて、これまでずっと遠ざけていた曲なんですよね。
    忘れもしないのですが、三ッ石さんにピアノを始めて聴いてもらった時に「音色的にラヴェル。ドビュッシーっていうかラヴェルかもね。」と言われた事がありました。

三ッ石:え、そうなの。

三輪:その当時、自分にはどちらかというとドビュッシーの方が合っていると思っていました。でも、三ッ石さんからそう言われたので、ラヴェルを何曲か弾いてみました。ラヴェルの世界って、スペイン的な要素がありますよね。モヤッとした響きの中にきらきら感を感じたり、陰影みたいなものを感じたり。そういったものをお洒落に表現できるといいのかな、とは考えていました。私の父はトロンボーン奏者なのですが、オーケストラで奏でられるラヴェルの音楽を聴いたら、もう圧倒されちゃって。それをコンパクトにまとめたピアノの世界で、それも一人で全部やるなんて、そりゃ無理よって思っていましたが、「オーケストラみたいな音で、ラヴェルのピアノ作品を弾けたらいいな」とはずっと思っていました。
    だから今回、この演奏会のお話をいただいた時は、ものすごく嬉しくって。すごくワクワクしています。しかも、今回パートナーとして、三ッ石さんと一緒にできるっていうのは、もうめちゃめちゃ楽しみです。

三ッ石:僕がまだ大学生の頃、アルゲリッチが弾く《夜のガスパール》の録音を聴いた時に、「こんな事がピアノでできるんだ」と驚きました。あまりに驚いたので、実際に楽譜を買ってみて弾いてみたのですが、「なるほどこんなふうになっているのか」という箇所がたくさんありました。おそらくアルゲリッチは、ただシンプルに演奏しているのではなかったのだと思います。一種の「手品」ですよね。手品として成立するくらいの腕前が、ラヴェルのピアノ作品には必要なんです。
    ラヴェルのピアノ音楽は弾きやすくはないのですが、弾けるようには書いてある。そこがラヴェルのずるいところです。「これ弾けないとだめでしょ?」という、ギリギリのラインで書かれているので、僕らはそれに翻弄されるというか……。どうしても完璧に弾かないとまずいな、という気分にさせられますね。

――それでは最後に、公演にお越しくださるお客様へメッセージをお願いします。

伊東:まずウィンナ・ワルツの楽しさ、そしてラヴェルの魅力が伝わればと思います。それをお客様が色々な角度で楽しんでいただけると嬉しいです。色んな楽しみ方をしていただければ、と思います。

三ッ石:今回、プログラミングされている作品すべて、サービス精神旺盛な曲ばかりです。難しいことですが、表面的には楽しい曲ではあるけれど、その裏にどこか一抹の腐敗みたいなものを見せることができればいいなと思います。

三輪:変幻自在に変わっていく響きの面白さ、あとは色合いを楽しんでいただきたいです。ウィーンの自由さの中には、たくさんの色合いが存在します。例えばウィーンのオペラ座では、歌い手によって伴奏の仕方を変えています。そういうことを毎日やっているような人たちがいる国なので、その日・その時・どう弾きたいか、舞台上でいきなり変わるかもしれません。ウィーンにはそういった面白さがあります。
    今回のコンサートでは、そういった面白いことを仕掛けられる作品がたくさんプログラミングされています。舞台の演奏者が楽しんでいる空気感がお客様に波及するくらい、楽しいステージになるといいなと思います。

伊東:京都のお客様ですから、きっとそういう演奏を楽しんでくださる方も多いんじゃないかなと思います。

――興味深いお話をたくさんお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
我々もコンサート当日を楽しみにしております。

 

 

洛和会ヘルスケアシステム 特別インタビュー(「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」開催に寄せて)

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

京都コンサートホールがお送りする特別な4公演のシリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』。
本シリーズは、新型コロナウイルス感染症で大変な今だからこそ、音楽の力を信じて前に進みたい――そんな思いを込めて企画いたしました。

いよいよ10月2日「ラヴェルが幻視したワルツ」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)からシリーズがはじまります。

開催に向けて、本シリーズのサポーターである洛和会ヘルスケアシステム様に、メールインタビューを行いました。お答えくださったのは、12月4日「クリスマス・コンサート」(大ホール)のプレコンサートに出演される、和田義孝さん(洛和会京都音楽療法研究センター次長・音楽療法士)です。

ぜひご覧ください。

――長年、京都で「医療」「介護」「健康・保育」「教育・研究」の4本柱で人々の暮らしを守ってこられた洛和会ヘルスケアシステム様ですが、1990年代から「音楽療法」を積極的に取り入れられています。医療の現場から見た「音楽の力」について教えていただけますでしょうか。

和田義孝さん

和田義孝さん:みなさんも音楽を聴いて自然に足や体が動いたことや、ひと昔前の音楽を耳にするとそれを聴いていた時の状況や情景を思い出したご経験などおありかと思います。いずれも音楽が働きかける力によるものだと考えます。
医療現場では、音楽療法士がその力を患者さんのニーズに応じて利用した音楽療法を行っております。病気により生きる意欲を失われた患者さんが音楽療法を通して新しい楽器と出会い、楽器の演奏を通して少しずつ自信や意欲を取り戻されたこともありました。またリハビリスタッフと連携して、好きな音楽を歌唱、鑑賞しながらリハビリを行うこともあります。このように「音楽の力」はさまざまな形で医療現場において活用されています。

 

――洛和会ヘルスケアシステム様が応援してくださる本シリーズ『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』では、コロナ禍だからこそお客様に聴いていただきたい作品を集めています。音楽を通して、アフター・コロナをお客様とシミュレーションしてみようという試みです。
洛和会ヘルスケアシステム様の当シリーズに対する想いや、ご出演いただく「クリスマス・コンサート」のプレコンサートへの意気込みを教えていただけますでしょうか。

和田義孝さん:コロナ禍であっても新しい音楽は常に生まれ続けています。この1年間で、リモートでの多重録音による音楽制作、オンラインを活用した音楽配信など、新しい音楽制作や演奏形態が生まれました。音楽が私たちの生活の中に無くてはならない存在だからだと思います。過去にも世界でこのような危機的な状況が幾度と起こりましたが、音楽は絶えませんでした。そのような状況は作曲家や作品にも何らかの影響を与えていると思います。
『The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~』では、4つのコンサートを通して過去を振り返り、そしてアフター・コロナの世界を考えるきっかけとなる大変興味深いプログラムだと思います。
シリーズ最後のクリスマス・コンサートでは、洛和会京都音楽療法研究センターがプレコンサートに出演させていただくことになりました。音楽療法で使用している楽器なども取り入れて、当センターならではの楽しいプログラムにできればと考えております。

※プレコンサートは、当日14:15よりステージ上で予定(クリスマス・コンサートのチケットをお持ちの方のみご覧いただけます)。

——最後に、このコンサート・シリーズにお越しになられるお客様へ、一言メッセージをいただけますでしょうか。

和田義孝さん:コンサートホールで聴く生の音楽は、耳で聴くだけではなく、目で演奏者の様子を見たり、体で音の振動を感じたり、演奏者や指揮者の緊張感を一緒に味わったりと、五感で楽しむことができます。クラシック音楽に対して堅苦しいイメージを持っている方もいらっしゃるかと思いますが、気軽にコンサートホールにお越しいただき、音楽のいろいろな楽しみ方や、新しい音楽との触れ合いを体験していただけたらと思います。

* * *

「The Power of Music~いまこそ、音楽の力を~」特設ページ

ラヴェルが幻視したワルツ(10/2)
京都コンサートホール presents 兵士の物語(10/16)
オピッツ・プレイズ・ブラームス~withクァルテット澪標~(11/13)
京都コンサートホール クリスマス・コンサート(12/4) ※プレコンサート(和田義孝さんご出演)

特別寄稿「ラ・ヴァルス」に映る旧世界(「ラヴェルが幻視したワルツ」)

投稿日:
京都コンサートホール

音楽家が見た世界をウインナ・ワルツであぶり出す「ラヴェルが幻視したワルツ」(10/2開催)。
今回の公演を監修していただき、コンサート当日にはレクチャーしていただく、音楽学者の伊東信宏(大阪大学大学院教授)さんに、本公演のプログラムの要であるラヴェルの《ラ・ヴァルス》についてご寄稿いただきました。

「ラ・ヴァルス」に映る旧世界/伊東信宏

ラヴェルの「ラ・ヴァルス」というのは、捉えがたい曲です。「ウィンナ・ワルツ」へのオマージュだというだけあって、そこここからワルツの断片のようなものが聞こえてきます。それは時としてふるいつきたくなるほど魅力的に立ち上るのですが、それが全面的に展開されることはなく、奥の方でチラチラ見え隠れするだけです。そして、あの穏やかで甘い「ウィンナ・ワルツ」に基づいているにしては、「ラ・ヴァルス」にはどこか不穏なものが漂っています。特に後半、ワルツの回転は止まらなくなり、暴走を始めて悲鳴をあげ、最後には断ち切られるように終わります。どう見ても、どう聴いても、古き良き時代への賛歌などではありません。

そもそもこの曲は、はじめはあまり評判が良くありませんでした。当初は、ロシア・バレエ団の総帥ディアギレフがラヴェルに委嘱したバレエ音楽だったのですが、出来上がった曲を聴いたディアギレフは「これは傑作だがバレエじゃない、バレエの肖像画だ」と言ってこの音楽のバレエ化を断り、ラヴェルはディアギレフと仲違いすることになりました。同じ場に居て、このやり取りを聞いていたストラヴィンスキーは何も言わなかった、と伝えられます。

だが、時代が移り、1981年にカール・ショースキーが書いた闊達な書物『世紀末ウィーン』(邦訳の出版は1982年で、その後の「ウィーン世紀末」ブームの先駆けになった)では、この曲は冒頭に取り上げられて「19世紀世界の非業の死」を象徴する作品という役割を与えられています。私は曲を詳しく知る前からむしろこの評言が頭にあって、なるほどそういう曲なのか、と思ってはいたのですが、実のところあまり得心はゆきませんでした。最初に述べたように、実際の音楽を聴いてみると、魅力的なワルツの断片と不吉な加速についてラヴェルが本当のところ何を考えていたのか、感覚的に理解できなかったのです。

2020年にコロナ禍で家に閉じこもるようになってしばらくして、クサヴィエ・ロトが指揮する管弦楽版「ラ・ヴァルス」の映像を観て、ようやくピンと来るところがありました。—過去と現在との間に決定的な線を引かざるを得ない出来事が起こり、現在から見える過去が輝かしく、麗しく映る。と同時に、あの狂騒ぶりはやはりどこかおかしかったのではないか、という気もしてくる—ラヴェルは「ラ・ヴァルス」にそんな感覚を描こうとしたのではないでしょうか。

私にとっては、コロナ禍がその過去と現在との決定的な分割線となりました。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」にとっては、第一次大戦(1914-18年)、ロシア革命(1917年)、スペイン風邪の流行(1918年から20年)、そして母の死(1917年1月)といったことがその分割線になったと思われます。ラヴェルは、母とヴァカンスを過ごしている時に第一次大戦勃発を知り、軍隊に志願しました。最初は体重が足りず入隊できなかったのですが、運転免許を取り輸送兵として志願し直して、実際に前線との輸送の任務に就いたのは1916年3月から翌年7月までです。激戦地ヴェルダンへの物資輸送という危険な任務で、多くの悲惨で不気味な光景を目にした、と伝えられています。ラヴェルの母は、この頃次第に弱っていったのですが、1917年1月に亡くなります。幼い頃から特別な愛情で結ばれていた母を失い、ラヴェルは葬儀で憔悴しきった姿を見せていた、といいます。

「ラ・ヴァルス」が書かれていたのは、まさにこの前後のことです。「ヨハン・シュトラウスへの賛歌」、ないし交響詩「ウィーン」という曲が1906年頃から構想されていて、これらが「ラ・ヴァルス」の前身と考えられていますが、本格的に作曲に取り掛かったのは1919年12月だったようです。前述のような様々な分割線の後、ラヴェルはさらに自身の胸の手術などもあって、創作意欲を取り戻すのに時間がかかったのですが、「ラ・ヴァルス」は復帰後始めての大作だったと言えます。最初にピアノ独奏版、2台ピアノ版が書かれ、管弦楽版が完成したのは1920年4月、先ほど述べたディアギレフなどへの試演会が行われたのは、同年5月のことでした。

そんなことを考えると、ラヴェルが「ラ・ヴァルス」で示した「旧世界」(「1855年頃のウィーン」と作曲者自身は書いています)への思いを、約100年後の我々がコロナ以前の世界に抱く思いと重ね合わせることはそれほど乱暴ではないのではないか、と思われます。我々と同じように、ラヴェルも「あの頃」を懐かしく、取り戻したく感じており、そして同時に現在から振り返ると「あの頃」がやはりどこか狂っていたと感じていたのではないでしょうか。そうだとすれば、「ポスト・コロナ」ないし「ウィズ・コロナ」の演奏会がまず真っ先に取り上げるべきなのは、この「ラ・ヴァルス」だと私は考えました。

三輪郁©Ryusei Kojima
三ッ石潤司

「ラ・ヴァルス」を聴き、ラヴェルが抱いた「旧世界」への複雑な感情に耳を澄ますこと。我々が失ったものを追悼し、そしてそれが暴走しはじめた地点を確かめること。10月2日の演奏会「ラヴェルが幻視したワルツ」では、そのような「ラ・ヴァルス」の2台ピアノ版を中心に据え、加えて「ラ・ヴァルス」が撒き散らす魅力的なワルツの断片を、実際の「ウィンナ・ワルツ」として仕立て直す作品を三ッ石潤司さんに委嘱初演します。三ッ石さんは長くウィーン音大で教えていた、ウィーンを内側から知る作曲家で、またこのようなパスティッシュ(模作)の名手でもあります。さらにラヴェルと同じ頃、ウィンナ・ワルツを別の角度から仕立て直していたシェーンベルクやウェーベルンの編曲で、ウィンナ・ワルツそれ自体も聴いてみる、というような趣向を凝らしました。演奏には三ッ石さんご自身のピアノの他に、やはりほとんどウィーン・ネイティヴとも言える三輪郁さん、そして谷本華子さんをはじめとする、筆者が最も信頼する演奏家たちが揃いました。毎日、感染者数を横目で見ながら、10月を心待ちにしている日々です。

 

 

 

伊東信宏(いとう・のぶひろ)

1960年京都市生まれ。大阪大学文学部、同大学院を経て、ハンガリー、リスト音楽大学などに留学。大阪教育大学助教授などを経て、現在大阪大学大学院教授(音楽学)。著書に『バルトーク』(中公新書、1997年)、『中東欧音楽の回路:ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店、2009年、サントリー学芸賞)、『東欧音楽綺譚』(音楽之友社、2018年)、『東欧音楽夜話』(音楽之友社、2021年)など。ほかに訳書『月下の犯罪』(講談社選書メチエ、2019年)など。東欧演歌研究会主宰。

公演情報

Powe of Music 特設ページ

【ストラヴィンスキー没後50年記念】音楽学者 岡田暁生インタビュー<後編>

投稿日:
京都コンサートホール

京都コンサートホールでは、ストラヴィンスキーの没後50年に際し、彼が残した傑作のひとつである《兵士の物語》(10/16)を上演します。また、関連講座として「ストラヴィンスキー没後50年記念レクチャー」も開催します。
レクチャーに先がけ、講師をしていただく京都大学人文学研究所教授の音楽学者 岡田暁生氏にインタビューを実施しました。後編では、《兵士の物語》の内容について興味深いお話を伺いました。
ぜひ最後までご覧ください!(聞き手:高野 裕子 京都コンサートホール プロデューサー)

▶前編はコチラ
https://www.kyotoconcerthall.org/blog/archives/2078

―――それではいよいよ本題の、ストラヴィンスキー作曲《兵士の物語》について教えてください。

この作品は、ストラヴィンスキーの亡命時代、第一次世界大戦最末期に書かれた作品です。その前年にロシア革命が起きて、ストラヴィンスキーは故郷に帰れなくなってしまったのですが、そのことを作品に投影していると思います。さらに言えば、スペイン風邪が猛威を振るい始めたのもちょうどこの頃。つまり、現在と状況が全く同じです。今年、京都コンサートホールが《兵士の物語》を選んだのは深い理由があると思います。マーラーなどの大きな編成で演奏される作品だったら厳しいけれど、《兵士の物語》だったら奏者間の距離も十分に取ることができるから大丈夫。あと、編成が小さいので経済的にも助かる。だから、この作品はいまにふさわしいんですよね。

―――なぜストラヴィンスキーは当時、この編成(ヴァイオリン・コントラバス・クラリネット・ファゴット・トランペット・トロンボーン・打楽器)で作品を書いたのでしょうか。

この時代、当時の作曲家にとって一番お金になったのは、まずはオペラ、次に交響曲。ですが戦禍にあった当時、新作なんてとんでもないという話だったし、オーケストラの楽員もみんな兵隊に駆り出された。そこにスペイン風邪が猛威をふるいはじめるわけでしょう?音楽家やオーケストラを集めるのにも一苦労したし、大体、誰がお金を出すのだという時代だった。コンサートホール、オペラ劇場が頼っていた、ゴージャスなブルジョワ階級をあてにできなくなった時、お金に困っていたストラヴィンスキーはスイス人のパトロンだったヴェルナー・ラインハルトの援助を受けて《兵士の物語》を作曲しました。オペラ劇場みたいに大金が集まってくるわけではなかったため、このような小さな編成の作品になったのです。

――さきほど、ストラヴィンスキーはこの作品に自身を投影したとおっしゃいましたね。

これは戦時休暇の話で、兵士は休暇をもらって故郷へ帰っていきます。当時の従軍兵士にとって何より辛かったのは、戦時休暇だったようです。なぜかというと、第一次世界大戦はまだ空爆などが盛んではなかった頃だったので、故郷に帰ると戦前と変わらない生活が待っていたんです。だけど、一方で自分たちは、戦場で異様な体験を重ねている。戦場と故郷とのギャップが耐え難いものだったのです。《兵士の物語》には、どこかで聴いたことがあるようなコラールやマーチなどが登場します。教会に入ればコラールが歌われているし、街の祭りではマーチが鳴り響き、ワルツが演奏されている。すべて日常生活の中で鳴っている音楽なんだけれど、なんだか変――これぞ、シュールレアリスムですね。コロナが起こってからのコンサート風景にも同様のことが言えます。コンサートに行くとコロナ以前と同じ風景が展開されているが、何かが違うという感覚です。

―――この作品のなかでストラヴィンスキーは「“幸せ”とは何か?」と問いかけています。

作品の途中、兵士が王女様と出会うシーンがあり、そこで非常に美しい「コラール」が流れるのですが、それが唯一の“幸せ”でしょうね。あの音楽だけが異様に美しいのです。ご存知の通り、ストラヴィンスキーはオーケストレーションの名手だったリムスキー=コルサコフの弟子でしたから、美しくゴージャスなサウンドを書くという点では師匠並みで、音楽史上最もオーケストレーションが巧みだった人物の一人です。しかし、《兵士の物語》の中で、感覚的に「あぁ美しい」と感じるのは唯一、あの一瞬だけ。それも幻覚なので、いずれ消えてしまうのですよ。

―――兵士と王女様が結婚し、幸せになって、はいお終い・・・と思いきや、最後の最後で悪魔が再登場し、2人の仲を引き裂きます。なぜあのシーンで、兵士は悪魔に抵抗しなかったのでしょうか。

それは演奏家の解釈によるでしょうね。でも、ストラヴィンスキーは非常にニヒルでクール、感情移入ゼロの人で、特に音楽に感情移入するのが大嫌いだったようです。ストラヴィンスキーは、リズムの解放を行い、音楽の終わりを見極めた人物だったとお話しましたが、それらを言い換えると「ロマン派と決定的に縁を切った最初の人だった」ということです。ロマン派的感性やロマン派的な音楽観というものを徹底的に排除し、「音楽=感動するもの」という、それまでの公式を決定的に否定したのです。これはとても大きいですね。

―――聴衆は「音楽」に「感動」を求めるのが常だと思うのですが。

《兵士の物語》を普通に聴いたら、訳が分からないと思いますね。
私は中学2年生の時、ストラヴィンスキーの三大バレエにはまりました。毎日、春の祭典からペトルーシュカまで、一通り聴かなければ何も他のことができなくなるくらい。そしてクラシック音楽好きだった父親に、ストラヴィンスキーの他の作品を尋ねた際、《兵士の物語》や《プルチネッラ》を薦めてくれました。当時、レコードは高価なものだったので、父親に買ってもらってそれらの作品を聴きました。でも、何にも分からなかった。訳が分からなかったのです。いまはその意味がよく分かるのですが、三大バレエは音楽の中に思い入れができる、感情移入ができる作品です。でも、この《兵士の物語》はそうさせてくれない。感情移入しそうになるところで、ストラヴィンスキーは全て外しにかかるのです。だから、感動しないからといって心配する必要はありません。

―――なぜストラヴィンスキーが「綺麗」でもなく「楽しい」わけでもない音楽を書いたか、その点を考えながら鑑賞すると聞こえ方も変わってくるかもしれませんね。

第一次世界大戦が始まる前のヨーロッパ、特にブルジョワ階級の人たちは、ゴージャスなロマン派の音楽に感情移入していました。しかし、第一次世界大戦により、そういうものを成立させていた世界がズタズタになったわけですよね。私たちもそう、コロナの出現により、それまで成立していた世界がズタズタになりました。そういった意味では、いまこそ《兵士の物語》に共感できるのではないかと思います。
現在、多くの人々の中で、「ホール=楽しそう」というイメージがびっくりするくらいイコールになっているように感じますが、私は音楽って「楽しい」ばかりではないと考えています。「音楽=感動=楽しい」というのがステレオタイプのようになり過ぎている気がします。

―――《兵士の物語》をプログラミングしたのは去年、コロナのパンデミックの最中でした。先行きがなかなか見通せない中で行き詰まった時、ちょうど100年前に起きたスペイン風邪のパンデミック下に書かれた作品に注目してみたのです。これらの作品をいま演奏することで、我々はこれから先をどう考えるのかというヒントになるかなと思いました。つまり、先人が残した作品を通して、アフターコロナをシミュレーションしてみたかったのです。しかし、それから半年ほど経ち、自分の意識も変わり始めました。この先、どうなるのだろう?何があるのだろう?と。アフターコロナの世界について、先生はどう考えていらっしゃいますか?

私はあの本(「音楽の危機――《第九》が歌えなくなった日」)を出すにあたって、この先どうなるかについて、具体的に細かくシミュレーションしました。例えば人気アイドルグループのような何万人も収容する公演はどうか、あるいは宝塚のような1,000人~1,500人規模だが熱狂的なファンがいる公演はどうか、またクラシックのようにコアなファンが意外とあまりいない社交的感覚を持つ公演はどうか、もしくはライブハウスでの公演はどうか。はたまた、コロナがあっという間に収束したらどうなるだろうか、とかね。
とある教え子に「ワクチン接種が早急に進むと、ベルリン・フィルやウィーン・フィルが次々と来日する世界は戻ってくるだろうか?」と聞いたら、「そういう世界は意外と早く戻ると思います。少なくとも東京はすぐに戻ってくるでしょう。ただ、このダメージは多方面において相当なものだと思います。その影響は、10年後15年後に初めてはっきりと目に見えてくるもので、そうなった時に“この現象はいつから始まったのだろう”と記憶をたどると、“ああ、あのコロナの時から始まっているのだ”と気がつくものではないでしょうか。」と言われました。これには「あぁなるほど」と思いましたね。

―――いま我々もコロナの影響を受けています。コロナ前に見られたようなホールの賑わいを取り戻すことができません。

ホールに聴衆を取り戻そうとする時、安易な話題性に頼ってはいけないと思います。そもそも、コロナ前から日本のクラシック業界というのは、話題作りに頼り過ぎていたかもしれない。話題で粉飾してみても、話題だから行っているという人が大半で、そういう人たちってあっという間に別の話題にいってしまう。まあ、そういったことも必要でしょうけど、一度聴いても「二度目はいらない」という人々もいる。確率で言えば、もう一度聴きたいと思う人は1割くらいでしょう。やっぱり、音楽を聴きに来た人に「これはまた来よう」と思わせるようなコンテンツがないと、聴衆が一時的に戻ったとしてもその時だけの話題性で終わると思います。単なる話題作りでは、所詮メッキが剥げやすいでしょう。

―――そういったことが、今回のコロナであぶりだされてきたと思います。これからホールがどういう音楽を作っていくかということも見えてきているような気がします。そして、お客様がそれをどう感じ、その後もホールに継続して来てくださるか。お客さんの審美眼を養うのも、我々ホールの役割のひとつだと思います。

今日は貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

(2021年7月  京都コンサートホール  カフェ・コンチェルトにて)

 

▶【ストラヴィンスキー没後50年記念レクチャー】詳細はコチラ

https://www.kyotoconcerthall.org/powerofmusic2021/#lecture

▶【京都コンサートホール presents 兵士の物語】公演詳細はコチラ

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