フォーレに捧ぐ特別インタビュー④ 田原綾子さんインタビュー(後編)

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アンサンブルホールムラタ

11月10日(日)開催「フォーレに捧ぐ――北村朋幹×エール弦楽四重奏団」では、国内外で活躍する若手トップ奏者たちが、フォーレの傑作を披露します。

公演に向けて、エール弦楽四重奏団(以下「エールQ」)のヴィオラ奏者である田原綾子さんへのインタビューを敢行。前編では、田原さんとヴィオラの出会い、そしてフォーレについてお話いただきました。後編では、共演するエールQと北村さんについて伺いました。

――これまで、田原さんご自身のこと、そして今回演奏していただくフォーレについてお話伺いましたが、今度はエールQについてお聞きします。

エールQのメンバーは、皆それぞれソリストとして活躍し、住んでいる場所も違うため、集まる機会は少ないと思います。メンバー3人についてご紹介いただけますか?

田原:えー、なんだか改めてだと恥ずかしいですねー(笑)

まず山根君は、たしか、私が小学校6年生の時、河口湖でのセミナーで初めて出会いました。やんちゃで、憎めない感じの男の子だったのですが、当時から天才肌で、私とは全然違うところにいる人だなぁと思っていました。すごく華があって、「こういう人いるんだなあ」って出会った瞬間に思っちゃいました。私は本当に不器用な人間なので(笑)。

昔からとても恵まれた環境にいさせてもらっていたのですけど、ぱっと弾ける方ではなく、ちゃんと練習しないと弾けないタイプでしたので、山根君は本当に凄いなと思っていました。何より山根君の持っている、音楽に対する愛情や想いなどは、彼にしかない強さや鋭さだと思います。私たちにとって、山根君は大切なヴァイオリニストです。

――同じ弦楽器奏者でもいろんなタイプの方がいますね。毛利さんはどうでしょうか。

田原:毛利さんは通っていた音楽教室が同じで、弦楽アンサンブルで同じクラスになって以来ずっと一緒で、本当に大事な友人です。彼女とはよく一緒に弾いていて、なんと言いますか、もうカルテットのメンバーは全員そうなんですけど、家族みたいな感覚です。演奏していても普通に一緒にいても、考えていることがなんとなく分かります。まぁ向こうがどう思っているか分からないですけどね(笑)。

多分彼女には、私の思っていることは全部バレていると思います。よく「分かりやすい」って言われていますし。一緒にいて本当に居心地が良いです。実家も割と近くにあるのですが、そういったところも含めて、何でも話せる仲だと思っています。毛利さんはすごく大人で、常に上を目指している人なので、彼女がいてくれていたからこそ、私は今まで頑張ってこれたんだと思います。

――何でも話せる存在って大事ですし、そういうところは演奏にも出ますよね。

田原:チェロの上野君は、エールQで初めて出会いました。彼は昔から有名な存在で、名前はもちろん知っていたので、まさか一緒に弾くことになるとは思いもしませんでした。私は彼のファンでもあるので、一緒に弾くだけで嬉しいですし、音の受け渡しをしただけでちょっと嬉しくなっちゃいます(笑)。
そういう話を山根君にすると「なんで上野には甘いんだ、僕には全然優しくしてくれない」って言われちゃうんですけど、しょうがないですよね、そういうものなんです(笑)。

上野君はもともと無口なタイプなんです。例えば4人で弾いていて「ここの部分はどう弾く?」ってなった時は、だいたい山根君が「こう思うんだけど、どうかな?」と言ってやってみます。だた、みんなで行き詰まった時に上野君が「ここはこうしてみようか」とパッと提案すると、すんなりまとまることがあるんです。女性同士もそうなのですが、山根君と上野君も非常に信頼し合っているのがよく分かります。

本当にかけがいのない、良い仲間に出会えたと思っています。彼らがいなかったら、私はヴィオラを弾いていなかったでしょうから。

――聞いているだけでも楽しそうですね。田原さんにとってエールQはヴィオラの原点でもありますよね。

田原:そうなんです。なのでメンバーには頭が上がらないですね。

(C)Hideki Shiozawa

――以前、エールQの公開リハーサルを見学したことがあったのですが、本当に楽しんで演奏している様子が伝わってきました。今度演奏されるフォーレのピアノ五重奏曲は、それぞれに高度な技術が求められますが、それ以上にお互いの音楽性や方向性といったものを合わせる必要がありますよね。ですので、田原さんがメンバーについてお話される内容を伺って、今回のプログラムはエールQにぴったりだなとあらためて思いました。

田原:本当にそう思います。いま、みんなで集まる機会ってなかなかなくて、久しぶりにメンバーに会うとそれぞれの変化が手に取るように分かります。
ただ、不思議なのですが、そうやって久しぶりに会って一緒に演奏しても、「あぁ、この感触・・・!」ってなるんですよね。
こんなふうに思える人たちがいるっていうのはありがたいことだと思います。カルテットの活動を続けるのって本当に難しいのですよ。よくメンバーチェンジもしますしね。

前に毛利さんと「私たちはカルテットという名前だけど、多分『カルテット』じゃなくて『ファミリー』なんじゃないかな」という話をしたことがありました。すぐに恥ずかしくなって「自分たちでなに言っちゃってるんだろうね」ってなったんですけど(笑)。
「カルテットを組んでいるから」と言って、無理に集まるのも「少し違うね」という話もしていました。目の前のことだけではなく、ずっと繋がっていられるように長い目で見るというか。それに、私たちはたとえ半年ぶりでも昨日も会った感じで、自然に集まることが出来るので。

今回、エールQとして弾かせていただくのは、なかなか久しぶりな感じがするのですが、メンバーみんながベストコンディションで集まることが出来たら良いなと思っています。

――エールQは、「組んでいないから解散のない」カルテットだと耳にしたことがあります。

田原:はい。「組みましょう」と言って組んだカルテットではなく、「気が付いたら集まっていた」カルテットです(笑)。メンバー全員が、エールQで室内楽を始めました。私たちの原点ですよね。友達と一緒に音楽を作るのも初めてでしたし、長いリハーサルもこなして、そのあとはみんなでご飯を食べに行って・・・。いわゆる「青春の1ページ」と言っても良いと思います。高校生の時の話です。
いまは少し年を重ねてきて、それぞれが色々なことに取り組み始めてきたので、「仕事」というものがどのようなものか分かってきた気がします。だからこそ、エールQは本当に純粋に音楽でつながっている仲だということをあらためて感じるんです。
こういう仲間は欲しくても出来るものではないし、巡り合わせですよね。本当に運が良かったんだなと思います。

――たしかに、最初に室内楽をやろうと言ったメンバーでずっと一緒にできるって幸せですよね。なかなか珍しいですよね。

田原:そうですね、本当に「ご縁」だと思います。あと、多分どのカルテットもそうなんじゃないかなと思うんですけど、メンバーそれぞれが大事にしている本質的なものが非常に近いというか、そこも良かったんだろうなと思っています。

カルテットって面白くって、例えば、4人いるうちの3人が同じメンバーだったとしても、たった一人が入れ替わっただけで全く別のグループの音になってしまいます。それくらい、カルテットは繊細で面白いもので、奥深い世界だと思います。そこにピアニストが入ると、4人だけで出来上がっている世界を広げてくれる。きっと北村くんなら、さらに広げてくれるような気がするので今から本番がすごく楽しみです。


共演する北村朋幹さんについて


――今回共演するピアニストの北村朋幹さんとは以前からお知り合いでしたか?

田原:北村君と私は以前、それこそフォーレの《ピアノ五重奏曲第2番》を一緒に弾いたことがあります。さらに、エールQと北村君の組み合わせでは、ブラームスの《ピアノ五重奏曲》を演奏したことがあります。北村君の演奏を聞かせてもらったり、一緒に弾いていると、あんなに命を削って音楽に向き合っている人はいないだろうと思います。すごく自分に厳しい人なので、『(自分の甘さに反省しつつ)ごめんね、いつもありがとう』と思いながらいつも弾くんですけど(笑)。
北村君はとてもリハーサルを大切にしているのですが、私もその考え方には共感しているので、一緒に演奏出来ることがとても嬉しいです。

――一緒に演奏していて、やはり刺激を受けますか?

田原:そうですね。自分一人で演奏していると、自分の中で完結してしまう。例えば、感じ方であったり音楽の捉え方であったり、自身で経験したこと以上のものは広がらないのですが、他の人と一緒に演奏すると「あぁ、こういう考え方もあるのか」と刺激を受けます。
特に私は、エールQを組んだ当初は、ヴィオラも初心者でしたし、何もかもが初めてだったので、刺激を受けてばかりでした。ヴィオラに転向した後は、様々な人と出会い、これまでよりも一層色んな刺激を受けています。自分以外の人から新しいことを知ることになるので、視野が広がるような感じです。

――演奏する時の「相性」も関係しますか?

田原:相性はありますね。不思議なもので、演奏の相性は本当に人間関係と一緒だと思います。
少し喋ると「この人とはちょっと話しにくいな」、「噛み合いにくいな」って思ってしまうことがありますよね。人それぞれタイプや性格が違うから当然のことなのですが、演奏する時にもきっとそれがあると思うんです。
ヴィオラって相手とシンクロさせることが多い楽器なので、一緒に演奏しているとその人の本質を感じやすい気がします。もちろん大変なことはあるのですが、それゆえに室内楽ってすごいなぁ、音楽って素晴らしいなぁと思います。演奏している最中に「楽しいな」と思える出会いがあると幸せですし、本番で良いものが生まれると「音楽をやっていて良かった」と心底思います。

ピアニストの北村君の場合で言うと、彼がメロディーを弾いている上で私が演奏する時、あるいは同じ旋律やハーモニーを彼のピアノに重ねた時に、とっても幸せな気持ちになります。またそういう気持ちを味わうことが出来るんだと思うととても楽しみです。


今回の演奏会に向けて


――今回の演奏会に向けての抱負をお聞かせください。

田原:個人的にはエールQ&北村君と一緒にこのホールで演奏させていただける、それだけで何よりも嬉しいというのが正直な気持ちです。大切で特別なメンバーたちと長い時間、この素敵なホールで弾けるというのは本当に幸せなことですし、みんなの背中を追いかけて頑張ってきて本当に良かったなと思いますね。

――最後に聴衆の皆さまへメッセージをお願いします。

田原:普段なかなか耳にできないプログラムを私たち5人の演奏で聴いていただき、「芸術の秋」・「音楽の秋」の日曜のひと時を過ごしていただけたらいいなと思います。そしてたくさんの方に聞きに来ていただけましたら嬉しいです。

(2019年4月アンサンブルホールムラタにて)


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特別インタビュー①「北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)」

特別インタビュー②「北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)」

特別インタビュー③「田原綾子さんインタビュー(前編)」

10月5日開催!京都コンサートホール✕ニュイ・ブランシュKYOTO2019

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インタビュー

“ニュイ・ブランシュ(白夜祭)”とは、パリ市が毎秋行う一夜限りの現代アートの祭典。
今年も市内各所で、“ニュイ・ブランシュKYOTO”が盛大に開催されます。
毎年設定されるテーマに沿って現代アートが繰り広げられるのですが、今年のテーマは「Dialogue」。フランス語で「対話」を意味します。
京都コンサートホールでは、今となっては貴重な存在となった「ミニ・ピアノ」2台を使って、様々な「ディアローグ」を表現します。

9月某日、出演者のお二人、ピアニストの砂原悟さん・田中咲絵さんによるリハーサルが京都市立芸術大学で実施されると聞き、練習風景を覗きに行きました。

初めて目にするミニ・ピアノは想像以上に小さく、どこか懐かしい音色を持つ楽器でした。例えるなら、むかし幼い頃に訪れた異国で聴いたことがあるような、ないような――ミニ・ピアノの音はそんな不思議な魅力を放っていました。

ミニ・ピアノ

「ミニ・ピアノ」とは、現代ピアノよりも小さなサイズのアップライト・ピアノのことで、戦後の物資が揃わなかった時代に、当時の河合楽器が楽器製作への情熱を注ぎ込んで出来上がった楽器です。
現在「ミニ・ピアノ」を見かける機会は滅多にありませんが、そのような激動の時代に生み出され、生き抜いた楽器であると知り、小さい楽器ながらその存在感に圧倒されてしまいました。

ニュイ・ブランシュ当日に演奏されるプログラムには、さまざまな国・時代・スタイルの作品が並びます。

ラヴェル:《クープランの墓》より第2番〈フーガ〉
ドビュッシー:《6つの古代のエピグラフ》より第1, 4, 5, 6番
マショー:《ノートルダム・ミサ》より〈キリエ〉
リュリ:オペラ《アルミード》より〈パッサカーユ〉
ライヒ:《ピアノ・フェイズ》
藤枝守:《植物文様クラヴィーア曲集》第13集より D, B  第28集よりD

この日のリハーサルでは、マショーの《ノートルダム・ミサ》より〈キリエ〉や、リュリの《アルミード》より〈パッサカーユ〉、ライヒの《ピアノ・フェイズ》などが演奏されました。

マショーとミニ・ピアノ

いずれの曲もまるでミニ・ピアノのために書かれた作品かのように美しく響き、思わずその世界観に引き込まれてしまいました。そこで砂原さんに、今回のプログラムはどのように選曲されたのか、尋ねてみました。

「ミニ・ピアノが2台並ぶ機会なんて、そうそうないですよね。
だから、2台で演奏したときに綺麗に響く曲、響きがぴったり合う曲を選びたかったんです。そこでぱっと思いついたのが、ドビュッシーの《エピグラフ》。
弾いてみたらやっぱり良かった。いい感じで響いてくれました。

藤枝さんの《植物文様クラヴィーア曲集》(※植物研究家でありメディアアーティストの銅金裕司が考案した「プラントロン」という装置との出会いから生まれた曲集。装置から採取された植物の葉表面の電位変化のデータに内包された音楽的な価値に着目しながら、コンピュータ・プログラムによって、この電位変化のデータをメロディックなパターンに読みかえるという手法が一貫して行われ、作曲されている)はいつも僕はソロで弾いているんですけど、最近になって台湾のお茶のデータで作られた曲集が出版されました。その曲集に収録されている作品は、これまで出版された作品よりも音の数が多いのです。もちろん1台でも演奏出来るんですけど、同じ音が重複している箇所がある。
例えばソプラノもアルトも同じ音で演奏する箇所がありますが、それを1台で演奏すると、ただの1音になってしまう。ただ、2台で弾くとその同じ音がちゃんと2声になるのです。
そういうところが2台のピアノで演奏すると良いんじゃないかなって思いました。

あとはやっぱり、音域かな。現代のピアノよりも狭いので、そういう音域のものをプログラムに並べてみました。

藤枝守:植物文様クラヴィーア曲集第28集より Dパターン

ライヒの《ピアノ・フェイズ》に関しては、最初に2台のミニ・ピアノが12音の音列を演奏しますが、少しずつこの音列がずれていきます。色合いが少しずつ変化していくような音やリズムの移り変わりに注目して聴いていただきたいです」。

ライヒ《ピアノ・フェイズ》から 基本となる12音の音列

また、共演者の田中さんは、この演奏会の反響の大きさを教えてくださいました。

「チラシや情報を見た人から“見たよ!すごく面白そう”とたくさん反響をいただいています。このコンサートに対しての皆さんの興味の示し方が、いつも私たちが出演しているようなピアノの演奏会に対しての反応とは全く違うんですよね。“ミニ・ピアノっていう楽器があるんだ~!どんな音が鳴るの?”って、楽器自体に興味を持ってくださっている方が多いみたいです。
ピアノ以外の楽器の人たちや、音楽以外の分野が専門の方からも“見てみたい”という声をたくさん頂いたことも印象的でした。興味を持ってくださった方たちに、良い演奏をお届けできたら良いなと思います」。

砂原さんも次のように語ってくださいました。

「ミニ・ピアノみたいなものって、たぶんご存知ない人が多いでしょう。ミニ・ピアノの音を聞いてみて、新しい体験をしていただけると思う。
今まで聞いたことのない音を聞かれると思いますので、どういう反応がかえってくるのかこちらは楽しみですね」。

京都コンサートホール✕ニュイ・ブランシュKYOTO2019「ディアローグ――ミニ・ピアノが投影する“対話”」は、10月5日(土)20時開演、入場無料です。
京都コンサートホールにとっても貴重なコンサートになると思われるミニ・ピアノによる公演をどうぞお見逃しなく。
Nuit Blanche Kyoto 2019 公式ページ

(2019年9月12日、京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都市立芸術大学)

フォーレに捧ぐ特別インタビュー③ 田原綾子さんインタビュー(前編)

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アンサンブルホールムラタ

いま旬の若き日本のトップ・プレイヤーたちが一堂に会し、京都でフォーレの名曲ピアノ五重奏に挑むコンサート(2019年11月10日(日)京都コンサートホールアンサンブルホールムラタ)。

本ブログで、北村さんとエール弦楽四重奏団(以降、エールQ)の山根さんへのインタビューをお届けしましたが、今回はエールQのヴィオラ奏者、田原綾子さんにお話を伺うことが出来ました。

前回のインタビューで山根さんと北村さんが「田原さんはフレンドリーで、温かさなどを感じる人」とお話されていましたが、お会いしてみるとその言葉通り、本当に気さくでとてもチャーミングな方でした!


――こんにちは!お忙しい中、京都コンサートホールまでお越しいただき、ありがとうございます。さて、関西では過去に何度か演奏されていますが、京都での演奏は初めてですか?

田原さん(以下敬称略)実は京都コンサートホールは初めてで、来たのも今回が初めてです。同じ京都にあるバロックザールとアルティでは演奏したことがあるんですけどね。私の祖父母が京都在住なので、京都にはよく来ます。

――そうなんですね!京都のどちらですか?

田原:宇治です。また、毎年3月に京都で開催される「京都フランス音楽アカデミー」に参加していたのですが、祖父母の家から通っていましたので、年に1回は京都に来るという感じでした。

――ということは、いま師事されているブルーノ・パスキエ先生とは、京都フランス音楽アカデミーがきっかけで出会われたのですね。

田原:そうです。パスキエ先生に師事したくてパリのエコール・ノルマル音楽院へ行きました(※現在も在学中)。


ヴィオラとの出会い、ヴィオラの魅力


――よく尋ねられることだとは思いますが、改めてヴィオラとの出会いについて、そして田原さんが感じるヴィオラの魅力を教えてくださいますか。

田原:もともとヴァイオリンを5歳から弾いていて、「桐朋学園大学音楽学部附属 子供のための音楽教室」の鎌倉教室に小学校の時からずっと在籍していました。
高校では桐朋女子高等学校のヴァイオリン科に入りまして、ヴァイオリンを一生懸命弾いていたんですが、ちょっと息苦しいところがあったりしまして…。
もちろんヴァイオリンが好きで、音楽が好きで桐朋の高校に入ったんですけどね。

音楽教室に在籍していた頃からずっと、室内楽で色々な人と一緒に演奏するのが楽しくて、桐朋の高校に入ったら室内楽をやりたいと思っていましたので、高校2年生の時に、カルテットを組むことにしました。それが、いまのエールQです。
エールQを組むときに初めてヴィオラを触りました。それまではヴィオラとは縁がなかったのです。でもなんとなくヴィオラという楽器に
興味はあったのです。
「ヴィオラを弾いてみたいなぁ」と思っていたので、その時に「山根くんと毛利さんはヴァイオリンで、私はヴィオラ弾く!」って言いました。
「ヴィオラとの出会い」はこの時ですね。

――カルテットを始めた時に、ヴィオラへ転向したのですね。

田原:はい、カルテットを始めると同時にヴィオラを始めました。
当時は独学だったので、メンバーの足を引っ張ってしまっていたと思います。
思うように演奏出来なかったことがあまりに悔しかったので、当時師事していた藤原浜雄先生(※国際的に活躍する名ヴァイオリニスト)に「ヴィオラをしっかり習いたい」と相談しまして、岡田伸夫先生(※ヴィオリスト、著名な海外オーケストラのヴィオラ奏者を歴任)を紹介してもらい、高校3年生の時にヴィオラを習うようになりました。なので、実質的にヴィオラをちゃんと始めたのは高校
3年生、18歳の時です。

――エールQで始めた時は自己流だったということに驚きました。

田原:最初は見よう見まねでやっていたのですが、やっぱりヴィオラ弾きが出すヴィオラの音と、自分の弾いている「大きなヴァイオリンを弾いている」音とは全然違いました。どうしたらいいんだろうと思い、色々な方々からアドバイスをいただいたり、演奏会を聴きに行ったりしたのですが、どうしてもわからなかったんです。
岡田先生の下では、本当に基礎から始めました。最初は楽器の
構え方や解放弦だけ弾いていまして、「あぁ、こういう風にヴィオラの音を出していくんだな」と学び始めました。

――そういう時間を積み重ねていくうちに、ヴィオラという楽器にどんどん魅入られていかれたのでしょうね。

田原:ヴィオラの魅力は、ヴァイオリンとは違って、何より音色が暖かくて、深みがあるんです。
ヴァイオリンの華やかな音色とか、チェロの包容力のある音の響きなどももちろん大好きで素晴らしいんですけど、ヴィオラは旋律を演奏した時に、ヴィオラにしか出せない、心に響くような独特の音の力を持っているのではないかなと私は思っています。

カルテットなどでしたら、第二ヴァイオリンと一緒に内声を作ることが多い役割を持つのがヴィオラです。
「内声」っていうのは、「内なる声」と書くように、作曲者の内なる声がすべて凝縮されているように思います。
かつて今井信子先生(※日本を代表するヴィオラ奏者)が、カルテットをワインに例えて、「ラベルが第1ヴァイオリンで、ボトルがチェロで、ワインそのものが内声ね」と仰ったことがあります。
それくらい内声は大事な声部なんです。結局ラベルがよくないと手には取ってもらえないですし、ボトルが脆いと中身が漏れてしまいますが、最後は内声が大事なんですよ、と。

私自身、ヴァイオリンは歌って欲しいし、チェロは綺麗にしっかり心強く支えていてほしいです。でも「最後は内声が大切になってくるんだ」というように、強く意識して弾くようにしています。
今回演奏するフォーレもそうですけど、その曲を実際に演奏してみると「ヴィオラが持っている音色を意識して、とても大事に思って曲を書いてくれたな」と思うことが多いです。
ヴィオラ・ソロももちろん素敵なのですが、室内楽では必要不可欠な存在であるということが、ヴィオラの一番の魅力であると感じています。

――たしかに室内楽を聞いていると、ヴィオラが和声の要になっているなと感じることがたびたびあります。

田原:あまりヴィオラがしゃしゃり出てしまうと、それはそれで中身が溢れかえっちゃうような印象を与えてしまいますので、それには気をつけています。
ヴィオラにはヴァイオリンとチェロを上手くつなげる役割を持ってい
ますし、リハーサルをしていても、ヴィオラの人は「今日このメンバーの調子が悪いな」とか「あ、今日は調子がいいな」など、よく考えていると思います。

――今回のフォーレの楽譜を見ていると、ヴィオラの重要さが際立っていますよね。2番は、ほぼ全ての楽章がヴィオラからスタートしているし、1番はほかの室内楽と比べてちょっとヴィオラの役割が違うのかなと思いました。

田原:2曲共に、とてつもない大曲です。私自身、2番は演奏したことがあるのですが、今回はとてもやりがいのあるプログラムを組んでいただいて「頑張らないといけないね」ってメンバーで話しています。


フォーレ作品の魅力、特にピアノ五重奏曲について


――田原さんがフォーレを演奏している時、どういったところに魅力を感じられますか?

田原:フォーレは室内楽や歌曲をたくさん残していますが、和声の進行や、そこから作り出される響きが、本当に精巧に作られているんです。
ラヴェルやドビュッシーは、「いかにもラヴェル!」「いかにもドビュッシー!」っていう感じがしませんか?
でもフォーレは、最初にパッと聴いても、ラヴェルやドビュッシーほどは分かりやすいものではないと思います。宗教的な色が濃い、と言ったら良いのかな。
でもその分、聴けば聴くほど、フォーレの奥深さや味わいが伝わってくるのではないかなと思っています。
個人的に、フォーレの音楽を聴いていると背筋が自然と伸びるような、そんな印象を持っています。
だから今回のプログラムは本当に大変なんですよね(笑)。

――フォーレのピアノ五重奏曲第二番を演奏されたと仰っていましたが、どのような作品でしたか?

田原:4楽章構成なのですが、なによりも第3楽章がこの世のものとは思えないくらい美しくて、演奏していると心が洗われていくような気持ちになります。
それゆえに難しいんですけどね。
1, 2, 4楽章もそれぞれに素晴らしいのですが、3楽章だけ音楽の次元が少し違うような印象を持ちました。皆さんにもこの3楽章を是非聴いていただきたいです。
ただ、演奏される機会があまりないんですよね。

――そうですよね。なぜでしょうね。

田原:ピアノ五重奏曲と言えば、やはりブラームスだったりドヴォルザーク、シューマンなど、そういった作曲家の作品をイメージされる方が多いですよね。
フォーレは内容からみても演奏技術からみても、難しい曲かもしれません。
フォーレのピアノ五重奏曲は、メンバー5人全員が同じ方向性を持って「こういう音楽をこのような表現で、このような音にしたい」という気持ちを持って演奏しないと、フォーレ作品の深さまで到達することは出来ないだろうと思います。
たくさんの深い内容を持つ作品なので、色々なアイディアがメンバー間で生まれますし、皆でディスカッションして納得して、まとめていくことが大切だと思っています。

――そうなってくると大切なものがリハーサルですね。

田原:そうですね。でもリハーサルをする以前に、どういう風に作りたいか、それぞれのヴィジョンがしっかりしていないといけませんね。もちろん全員で過ごす時間も大事だし、一人で曲と向き合う時間も大事なんじゃないかなと思ったりします。

――以前、北村さんと山根さんにインタビューをした際、北村さんが「リハーサルをしっかり出来ないなら、この曲(フォーレのピアノ五重奏曲)は引き受けられない」というようなことを仰っていたのが印象的でした。

田原:この前少し考えていたのですが、リハーサルってお化粧に例えられるなと思ったんです。お化粧をする時、化粧水で肌を整えたり、下地を塗ったりしますよね。それと一緒で、例えば時間がなくて丁寧なリハーサルが出来なかったら、どれだけ本番で濃い演奏をしたとしても、綺麗には見えないんだなと思いました。
リハーサルとゲネプロと本番って考えた時に、本番に向けて、どれだけ良い肌の状態にもっていけるかみたいな(笑)
ゲネプロっていうのは最後の仕上げ。どこまで見栄えが変わったりするか、そういった場がゲネプロです。本番は、もう出来上がったものを最後にどうなるか、例えば誰かと会っている時に表情が華やかだと一層美しく見えるみたいな、そういうふうに考えていたことがありました。

だからこそ、リハーサルはすごく大事で、やっぱり時間をかけないといけない。ゲネプロ、本番に持って行くまでに出来るだけ良い状態に仕上げていかないといけません。

――お化粧に例えられたのはとても面白いと思いました。まさにそのとおりです。肌を整えないと、どれだけメイクしても厚化粧になったり、逆に肌が汚く見えたりしますからね。
それでは次はいよいよ、エール弦楽四重奏団のメンバーについてお聞きしたいと思います。

後編につづく・・・

(2019年4月アンサンブルホールムラタにて)


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特別インタビュー①「北村朋幹さん×山根一仁さん(前編)」

特別インタビュー②「北村朋幹さん×山根一仁さん(後編)」

 

【京響スーパーコンサート特別連載②】スウェーデン放送合唱団 前音楽監督ダイクストラ氏に聞く

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インタビュー

京都市交響楽団が世界トップクラスの合唱団「スウェーデン放送合唱団」と初共演する、京響スーパーコンサート「スウェーデン放送合唱団×京都市交響楽団」(11/23開催)。

公演の魅力をより知っていただくための連載を本ブログにて行っております。連載の第2回は、8月25日に開催された京都市交響楽団 第637回定期演奏会で指揮を務めた、スウェーデン放送合唱団 前音楽監督のペーター・ダイクストラ氏にお話を伺いました。

スウェーデン放送合唱団と京響の両方を知るダイクストラ氏から、合唱団の魅力と両者が共演する本公演について語っていただきました。


――去る京都市交響楽団の定期演奏会では、素晴らしい演奏会を届けて、くださりありがとうございました。
さて、今年11月23日(土・祝)に京都コンサートホールで、ダイクストラさんが音楽監督を務めていた「スウェーデン放送合唱団」と京響が共演します。両団の共演でどのような化学反応が起こると思われますか?

(C)Astrid Ackermann

京都市交響楽団とスウェーデン放送合唱団との出逢いは、きっとわくわくするものになるでしょう。

スウェーデン放送合唱団のメンバーは優れた歌唱技術を持ち、声のコントロールも極めて優れていますので、多彩な表現が可能です。

この度、私は京都市交響楽団とハイドンの「天地創造」を共演する機会をいただき、皆さんと非常に充実した時間を過ごすことができました。京都市交響楽団は本当に素晴らしいオーケストラです。柔軟性があり、クラシック音楽を演奏することへの情熱を持っています。

京都市交響楽団とスウェーデン放送合唱団、この二つのアンサンブルのコンビネーションは、幸福に満ちたものとなることを確信しています。

ダイクストラ氏とスウェーデン放送合唱団

――両団の共演から生まれる音楽を聴くのがとても楽しみです。ダイクストラさんは、スウェーデン放送合唱団の音楽監督を2007〜2018年の11年間務められたということなのですが、その間に心掛けられたことや大事にされたことは何でしょうか?

スウェーデン放送合唱団の首席指揮者、そして音楽監督を務めることができたことを、心から光栄に思っています。

首席指揮者に就任したのはたしか28歳の時だったと思いますが、そのような若手の指揮者が長い伝統を持つこの合唱団の一員になるということは、本当に名誉あることなのです。私なりにではありましたが、この素晴らしい合唱団の伝統に少しでも貢献できればと、様々な興味深いレパートリーに取り組みました。そして更なる高みを目指し、彼らの持つ壮健な声、そして声の持つ柔軟さに気付いてもらうように努めました。

その道のりはとても充実したもので、彼らと共に音楽を創ることができたことをとても幸せに思います。

スウェーデン放送合唱団とダイクストラ氏(C)Arne Hyckenberg

――現在のスウェーデン放送合唱団が持つ魅力はどういったところにあると思いますか。

スウェーデン放送合唱団の持つ数々の特別な点の中で、私が直に感じたことの一つは、録音を聴いている時にいったい誰が歌っているのかわからないことなのです。この素晴らしい合唱団は鮮明さと同時に、密度の濃いサウンドを創り出しています。舞台には32人のメンバーが見えると思いますが、そのサウンドはたった32人とは思えないほど大きなパワーを持っています。彼らと共に音楽を創り上げていく過程は活き活きとした喜びに満ち溢れています。聴衆の皆さんにも同じように感じて頂けると信じています。

――スウェーデン放送合唱団と京響の共演が今からとても楽しみです!
お忙しい中、インタビューにお答えいただきありがとうございました。

(2019年8月28日事業企画課メール・インタビュー)


★公演情報はこちら

★特別連載①「スウェーデン放送合唱団の魅力~人間の声の可能性は無限大~」

フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー③

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アンサンブルホールムラタ

10月5日開催『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)にご出演される、フォルテピアノ奏者の川口成彦さん。

前々回のインタビュー記事「フォルテピアノ奏者川口成彦特別インタビュー①」では川口さんとクラシック音楽との出会いやオランダでの留学生活について、そして前回の「フォルテピアノ奏者川口成彦特別インタビュー②」ではショパン国際ピリオド楽器コンクールに関するお話をお伺いしました。

インタビューの最終回では、今年の10月5日(土)に京都コンサートホールアンサンブルホールムラタで開催される『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」について語っていただきました。

©TairaTairadate

――『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」のプログラムを考える際、「オール・ショパンで」とオーダーをしました。
まずは、演奏なさる作品を教えていただけますか。

川口成彦さん(以下、敬称略):ショパンは男装の女流作家ジョルジュ・サンド (1804-76)(※フランス出身の作家であり、当時の様々な知識階級の男性たちと関係をもった女性として知られる)と恋愛関係にありましたが、今回のプログラムはそんな2人が共に過ごしたフランスのノアン、そしてスペインのマヨルカ島で書かれた作品をピックアップしています。
《夜想曲第15番 ヘ短調》や《舟歌 嬰ヘ長調》、《バラード第3番 変イ長調》、それに《24の前奏曲》などといったものです。

――使用されるフォルテピアノは、ショパンがまだ生きていた時代に使われていた1843年製のプレイエル(タカギクラヴィア所有)ですね。

川口:そうです。プレイエルのピアノの特徴は何といってもその音色です。
とても素晴らしい音色がするんです。なんと表現したら良いんだろう…。
たとえば、楽器から薫りがする、と言ったような感じかな。
かつて、ショパンはプレイエルについて、このように言ったそうです。
「私は体調が良い時はプレイエルを弾き、悪い時はエラールを弾く」。
つまりプレイエルはコンディションの良い時でないと弾きこなせない楽器だと言うことです。プレイエルのピアノって、タッチによって実に多様な音色が出せるので、音の表情にこだわると非常に神経を使いたくなる楽器です。
指先のデリケートなコントロールが難しいとも言えますが、うまく扱えたなら大変美しい音楽を紡ぐことが出来ます。
きっと、ショパンもプレイエルのそういうところが好きだったのかも。皆さんには、ぜひ生でその特別な音色を聴いていただきたいと思います。

――ところで、演奏会のテーマの一つである「ジョルジュ・サンド」に関するエピソードがあるとか?

川口:そうなんですよ。実は、ショパンとサンドが共に夏を過ごしたフランスのノアンに行ったことがあります。そこにはサンドの家がまだ残っているのですが、一緒に暮らしていたはずのショパンに関する品がほとんど現存しないのです。ショパンとサンドはあんなに愛し合ったはずなのに、別れた後、サンドはショパンの私物をわーっと全て捨ててしまったんですよ。

――まぁ、女性ってそんな生き物ですよね。

(一同笑い)

川口:サンドは実に恋多き女性でしたので、すっかり片付いたショパンの部屋を想像すると、ショパンはたくさん付き合った男のひとりに過ぎなかったのか…とも思いました。

――女性の立場から考えると、サンドはショパンと別れたことがショックで、そういうことをしたのではないでしょうか。女性は過去を引きずりたくないから、その男性を思い出させるような物は全部さっさと捨てちゃって、忘れようと努力するんです。悲しいからそうするんですけどね。

川口:そうかもしれない。
だけど、僕がノアンにあるサンドの家へ行った時に一番衝撃的だったことは、ショパンの物は何も残されていなかったのですが、ショパンがピアノを弾いていた防音室の扉だけは残されていたことです。

――まぁ…。

川口:それを目の当たりにした時、鳥肌が経ちました。防音扉だけがずっと200年前から残っているんです。
ショパンの家具とか楽器が残っているよりも、ボールペンとかノートよりも生々しいと思いませんか。

ショパンの現存する作品の中で「傑作」と呼ばれるものは、ほぼノアンで書かれているのです。
ショパンにとって、ノアンはとても神聖な場所であり、本当に特別な場所だったんだなって、その地に立ってみて心底思いましたし、霊的なものすら感じました。
サンドもそんなショパンの側にいたわけで、ひょっとしたら、数々の傑作が生まれた防音室の扉だけは処分出来なかったんじゃないかな、と思いました。

――そうかもしれないですね。

川口:ノアンでこのような経験をしたということは、その時代に書かれた作品を演奏する上で非常に大きな財産になりました。
この経験以来、ショパンにとって、音楽とは人生の一部だったんだなって強く思います。音楽自体がショパンの人生の一部で、作品の中には彼の人生が詰まっている……そんなことを感じたノアン滞在でした。

――そうですね。それに、結局別れてはしまいましたが、サンドという特別な女性がいたからこそ、ショパンは傑作の数々を書けたのかもしれませんね。

川口:そう思います。もし彼がサンドと出会っていなかったら、もしノアンやマヨルカ島を訪れることがなかったら……ショパンの作品は違うものになっていたかもしれません。
ショパンの人生があったからこそ、あの作品たちが生まれたんだと思います。

――ますます10月5日の演奏会が楽しみになってきました。

川口:今回は、ジョルジュ・サンドとショパンをテーマにしたコンサートなので、素敵な楽器と共に、皆様と2人の足跡を辿ってみたいと思っています。特別な演奏会にしたいです。今からわくわくしています!

――秋の京都に鳴り響く古楽器でのショパン、わたしたちも心から楽しみにしています。貴重なお話をたくさんお聞かせいただきまして、ありがとうございました!

(2018年11月20日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都コンサートホール 大ホールホワイエ)
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フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー②

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

10月5日開催『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)にご出演される、フォルテピアノ奏者の川口成彦さん。
今回の京都公演は、川口さんにとって関西初となるフォルテピアノ・リサイタルとなります。プログラムはもちろんオール・ショパンで、使用楽器は1843年製のプレイエルです。
前回のインタビュー記事「フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー①」では、クラシック音楽との出会いやオランダでの生活についてお話いただきました。
今回は、いよいよ川口さんが第2位を受賞された「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」のお話を伺いたいと思います。

©TairaTairadate

――それでは、川口さんが第2位を受賞なさった「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」(2018年)について、お話をお聞かせくださいますか。

川口成彦さん(以降、敬称略):主催者は、あの有名な「ショパン国際ピアノコンクール」と同じ、ワルシャワのポーランド国立ショパン研究所です。
2018年はポーランド独立100周年という記念の年だったのですが、2010年のショパン生誕200年の頃から「ショパンが当時使っていた楽器を使ってコンクールをしよう」と計画されていたようです。
主催者としては、これまでの「ショパン国際ピアノコンクール」とは別に、もっとオーセンティックなものを追求していくために「古楽器を使用する」というアイディアを持っていたと思うんです。
国立ショパン研究所は「NIFC(Narodwy Instytut Fryderyka Chopina)」という自主レーベルを持っていて、このレーベルでは当時の楽器でショパンを録音するというプロジェクトを以前からやっていました。
なので、この自主レーベルで繰り広げられていたことが、コンクールとして実現した…と言っても良いと思います。

――コンクールではどのような楽器が使用されたのですか?

川口:コンクールでは、ショパンが生きていた時代の楽器が5台用意されました。プレイエル (1842)、エラール (1837)、ブロードウツド (1843)、ブッフホルツ (ca. 1825, 2017年修復)、グラーフ (ca. 1819, 2007年修復)です。
そのうち1~2次予選では、5台のフォルテピアノの中から1ステージにつき3台まで使用して良いという決まりでした。奏者が自由に決めて良かったのです。
僕は曲によって音色を変えたかったので、3台を弾き分けました。
2次予選でも3台使いました。本選では、5台のピアノに加えて、もう1台エラールが追加されました。

予選ピアノ選定(写真提供:川口成彦氏)

――1次予選と2次予選で演奏した曲を教えてください。

川口:1次はカロル・クルピンスキ(1785-1857) という、シューベルト (1797-1828) と同世代に活躍したポーランドの作曲家がいるのですが、彼のポロネーズを1曲弾きました。
そのあと、ショパンが若かりし頃に書いた《ポロネーズ》作品71-2を演奏し、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》から第2巻の第24番、そしてショパンの《12のエチュード》から作品25-10を演奏しました。これはオクターブのエチュードです。
あとは、ショパンの《バラード第2番》も演奏しました。

2次予選のプログラムはオール・ショパンでした。《2つのポロネーズ》作品26、《4つのマズルカ》作品24、そして《ソナタ第2番》作品35を演奏しました。

本選では、ショパンの《ピアノ協奏曲第2番》を選びました。

――あれ?ノクターンがありませんね?

川口:そう、課題になかったんです!それが意外でしたね。
ショパンを課題にするのであれば、ノクターンは入れるべきだと思います。
国立ショパン研究所は、もうすでに第2回の開催にむけて動き出しているそうで、5年後の開催(2023年)になります。
おそらく、第2回の課題には、第1回のコンクール課題にはなかったノクターンやスケルツォが入ってくるでしょう。

――何でもそうですが、初回は「試行錯誤」の部分が大きいですよね。
ところで、たくさんの課題曲をこなされたわけですけど、いつ頃から準備なさっていたのですか?

川口:コンクールの要項が発表されたのが2017年でした。それを見て、すぐに受けようと決心しました。
それからは、予備予選であるDVD審査のためにかなり頑張りました。

――川口さんは、古楽界では最高峰とも言われる「ブルージュ国際古楽コンクール」(2016年)のフォルテピアノ部門で最高位を受賞されていますよね。
個人的には、ブルージュで受賞なさったのだからもう十分じゃないかと思ってしまうのですが、なぜ再度コンクールにチャレンジしようと思われたのですか?

川口:いや、僕自身もブルージュで受賞した時に「コンクールはもう終わりにしよう」と思っていたのです。
僕にとって「コンクール」とは、教育システムの一環でしかないと思っています。若者がコンクールを通して学んだものを、次にどう活かせるか…といったことが「コンクール」だと思っているので。
ブルージュで受賞した後「今後どうしようか」と色々考えていたのですが、そういった時に「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」の存在を知り、「ロマン派時代の新たな作品を学ぶことが出来る大きなチャンスだ」と思って、コンクールに挑戦することを決めました。
もう一つ、大きな決め手だったのが、本選で憧れの18世紀オーケストラと共演出来る、といった点でした。それは僕にとって大きな夢の一つだったので、もしファイナルにいけたら「夢が1つ叶うな」と思いました。
その可能性が少しでもあるのなら、チャレンジしなければ勿体ないですから。

本選演奏後、使用したプレイエルを修復したエドウィン・ベウンク氏と18世紀オーケストラのティンパニ奏者マールテン・ファン・デア・ファルク氏と(写真提供:川口成彦氏)

――その夢が本当に叶ったわけですが、本選では《ピアノ協奏曲第2番》を選曲されましたね。過去の(ショパン国際ピアノコンクール)ファイナルを見ていると、圧倒的に第1番を選ぶ奏者が多いと思うのですが、なぜ第2番を選択されたのですか。

川口:2番の方が好きなんですよ。1番もとても美しい作品だと思いますが、2番の第2楽章の美しさにはかなわないです…。ただ、将来的に1番も演奏してみたいです!

――そういえば、NHKのBS1スペシャル「ショパン・時の旅人たち 第一回国際ピリオド楽器コンクール」では、この本選の模様も取り上げられていましたけど、楽器選びで苦労されていましたね。

川口:そうなんです。僕、あの時はとにかく緊張していました。
本当は本選で「ブッフフォルツ」(※ポーランドの楽器製作者フレデリク・ブッフホルツ (1792-1837) によるフォルテピアノのレプリカ。ブッフホルツは、ワルシャワ時代のショパンが愛した楽器といわれている)という楽器を使いたかったんです。なぜかというと、ショパンの《ピアノ協奏曲第2番》の初演が行われたもブッフホルツで、その初演をワルシャワで“再現”したかった…。
それだけで夢のような話だと思って、《ピアノ協奏曲第2番》とブッフホルツという組み合わせを選んだのです。

本選まで進めると分かった時、ブッフホルツを使うと最後まで思っていました。
だけど、結論から言うとブッフホルツで弾くという選択は最後の最後で捨てました。僕は、ブッフホルツが持つ、19世紀前半までにみられたウィーン式特有のデリケー トなタッチというものには慣れているつもりでした。
でも「慣れている」という自信をなくしてしまうくらいの緊張感が、あの時にはあったんです。
僕は結局、最後にプレイエル(※フランスのピアノ・メーカー。創業者はイグナーツ・プレイエルとカミーユ・プレイエルで、1807年に設立。ショパンが愛した楽器メーカーとして知られている)を選んだのですが、ブッフホルツとプレイエルの決定的な違いは「鍵盤の浅さ」です。
プレイエルの方が鍵盤が深くて、ブッフホルツの方が浅いのです。つまり、ブッフホルツの方が、浅い鍵盤の深さの中で様々なコントロールをしなくてはいけない。
極限状態の緊張感を抱いている時、ブッフホルツに対してちゃんとタッチのコントロールが出来るかどうか、とても不安になりました。

――本番というのは、本当に何が起こるか分からないですからね。

川口:東京での学生生活を終えて間もない頃、生まれて初めてオール・モーツァルト・プログラムでリサイタルをやったことがありました。その時、緊張しすぎてしまったの か、変奏曲を演奏した時に指先のコントロールが効かなくなったのです。
その時はアントン・ワルター (1752-1826) によるフォルテピアノの復元楽器を使いましたが、過去に経験がない ほどに緊張してしまい、デリケートな鍵盤に弾き飛ばされるような感覚を覚え、難しいパッセージで指が暴れ出したことがありました。

――ああ…。それはトラウマになってしまいますね。

川口:ええ、そのときの失敗が忘れられなくて。だからショパン国際ピリオド楽器コンクールのファイナル前日に『もしかすると明日のファイナルで、お客様がたくさん聞いてくださっている中で、そして予選で落ちてしまったコンテスタントもいる中で、僕はちゃんと演奏しないといけないという責任がある。こんな重要な舞台で、自分は本当に明日、ブッフホルツを演奏出来るのだろうか?』と何度も自問自答しました。
そして結局、前日になってプレイエルに替えたのです。

リハーサルは2回あるのですが、最初のリハーサルではブッフホルツを弾きました。その時の演奏を聴いて、18世紀オーケストラの団員さんたちも「明日楽しみだね」って声をかけてくれていたんですけど、その後にどんどん恐怖心が増していきました。
そして、国立ショパン研究所に電話をして正直に「僕、ブッフホルツを演奏するという自信がなくなってしまいました。今の僕には、ブッフホルツで華麗にコンチェルトを演奏する力があるとは思えないので、プレイエルで自由に演奏させてください」と打ち明けました。

本選の舞台(写真提供:川口成彦氏)

――賢明な選択だったと思いますよ。

川口:僕は心残りはないです。自分の人生にとって、重要な舞台だったから。
翌日、18世紀オーケストラの団員さんからも「君は賢かった」と言ってもらえました。
もちろん、ブッフホルツでも良かったのかもしれません。でも「今やることではないな」と思いました。
あと、本番の舞台となったホール(国立フィルハーモニーホール)って大きいんですよ。だから、オーケストラの団員さんたちは「ピアノよりも大きい音量にならないように」と非常に神経を使って演奏していました。
ブッフホルツって、ピアノの音量が非常に小さいのです。でも、演奏するときって「楽器のコントロール」に気を使いすぎると音楽でなくなると思うんです。
頭の中が「楽器をいかにコントロールするか」っていうことでいっぱいいっぱいになったら、音楽を殺しちゃう。

――ギリギリのところで判断されたんですね。

川口:そうです。本当に、本選の前日まで『ここまでせっかくたどり着いたのだから、初演を再現したい』って思っていたのですが、もし僕があの時ブッフホルツでファイナルに挑んでいたら入賞出来なかったと思いますね。

本選出場が決まった際、国立ショパン研究所が撮影した川口さんのポートレート(写真提供:川口成彦氏)

――コンクールならではの、緊張感溢れるエピソードですね。

川口:あの前日の恐怖心と言ったら…表現出来ないくらいです。僕、前日の夜までブッフホルツを想定して、ウィーン式アクションでコンチェルトを練習していたんですから。それで『明日はこれで演奏するんだ!』『よし!弾ける!!』と気持ちを強く持つようにしていましたけど、夜になってベッドに入った時『あぁ、明日か…』と思い出したら眠れなくなって。
『これは多分…ブッフホルツを弾いちゃいけないんだな…』と思って、急いでプレイエルに替えました。

――当日のリハーサルだけプレイエルを触って、ファイナルに挑まれたということですよね。

川口:はい、そうです。

――いやぁすごいなぁ…。わたしだったら怖くて怖気づいてしまうと思います。色々な困難の中、第2位ご受賞本当におめでとうございます。

それではいよいよ、川口さんが今秋ご出演くださる、京都コンサートホール主催のコンサート『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(10/5) のお話に移りたいと思います。

▶フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー③へ続く…

(2018年11月20日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都コンサートホール 大ホールホワイエ)

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フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー①

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

10月5日開催『3つの時代を巡る楽器物語』第1章「ショパンとプレイエル」(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ)にご出演される、フォルテピアノ奏者の川口成彦さん。
川口さんといえば、昨年末にNHKで「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」の模様が放映され、大きな話題となりました。

今回の京都公演は、川口さんにとって関西初となるフォルテピアノ・リサイタルとなります!プログラムはもちろんオール・ショパンです。
メイン曲として、後世の作曲家たちに多大な影響を与えた《24の前奏曲》作品28を据えたほか、男装の女流作家ジョルジュ・サンドと過ごしたマヨルカ島及びノアンでショパンが作曲した傑作の数々をプログラミングしています。
使用楽器は1843年製のプレイエルです。

この記念すべき京都公演に向けて、川口成彦さんに特別インタビューを敢行しました。第2位を受賞された「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」のお話はもちろん、オランダでの生活やフォルテピアノなどに関する興味深い話をたくさん聞かせてくださいました。全3回にわたってお送りします!

 


――川口さんこんにちは。今日はお忙しい中、ありがとうございます。
川口さんには色々なことをお尋ねしてみたいのですが、まずは音楽を始められたきっかけについて教えてくださますか。

川口成彦さん(以下敬称略):もともとピアノは大好きで、小さい頃から弾いていたんです。でも、古楽器(フォルテピアノ)に触れたのは、東京芸術大学の楽理科に在学していた時です。
その時に、フォルテピアノ、つまり昔のピアノがあって学べるというのを知って、古楽器を始めることになりました。

なぜ、こんなにのめり込んだのかというと、それまでは「ハイドン」とか「モーツァルト」が書いた音楽に対して、距離を感じていたんです。
嫌いではないけど、好きではなかった、という感じかな。学部生だった頃は、ラフマニノフやスクリャービンとか、そういった作曲家が好きでたくさん弾いてたんですけど、モーツァルトやハイドンはどういうわけか、しっくりこなかったのです。

ところが、フォルテピアノで初めてハイドンのソナタを弾いたとき、目から鱗でした。今まで自分がハイドンの作品に対して疑問に感じていたことが、フォルテピアノという楽器を通してみると解決したのです。
その時に「あ、古典時代の作品を好きになるチャンスだ!」と思ったのがきっかけで、それからはフォルテピアノにどんどんのめりこんでいきました。

同じ大学の古楽科修士課程に進学したあとは、アムステルダム音楽院修士課程で2年間フォルテピアノを学んで、2017年に修了しました。
フォルテピアノを学び始めたきっかけは古典派の音楽でしたけど、そのあとシューベルトに広がっていき、今ではショパンとか、ブラームス、シューマンもフォルテピアノで演奏しています。
20世紀のドビュッシーなども、当時の楽器で演奏するようになりました。
いまは自分の興味ややりたいことが膨らんでいる時期だなと感じます。

――なるほど。当時の楽器に触れると、作曲家が本当に言いたかったことにまで触れられる…という感じでしょうか。
ところで、学部生の頃の専攻は「楽理科」だと仰っていましたね。何か音楽で追求したいことがあって、楽理科を選択されたのでしょうか?

川口:明確な研究テーマがあって楽理科に進学したかったわけではなく、僕はやっぱり演奏がしたかったんだなぁと思います。
ただ、僕の通っていた中学・高校は進学校で、たくさん勉強をしなければいけなかったので、ピアノを練習する時間がなかなか取れなかったんです。
でもどうしてもピアノを弾きたくて「どうしよう」と迷っていたときに、音楽を学問として深める「楽理科」という存在を知りました。
調べてみると、楽理科の卒業生には小林道夫先生(※チェンバロ、ピアノ、室内楽、指揮など活動が多方面にわたる第一人者)や武久源造先生(※鍵盤楽器奏者。特にバロック時代を得意とする)、それにジャズ・ピアニストになられた方もいらっしゃいました。
そういった大先輩の存在が、楽理科への進学を勇気付けてくれました。楽理科に入ってもピアノができる――だから、研究のためというよりも、ピアノ演奏を深めるために東京藝術大学の楽理科に進学したと言えますね。

――「演奏すること」と「研究すること」って通じていますよね。特に、古楽器奏者は半分研究者のようなところがあると思います。

川口:そうですね。やはり古楽器で演奏する理由のひとつに、「オーセンティックなものを追求する」ということがあると思います。
「当時、どう演奏されていたのか」ということを追求するうえで、アカデミックなものが必要になってくるんですよね。
だから、研究者になりたいというよりも、演奏を追求しているうちに、自然と研究している、というのが正直なところかもしれません。
とは言っても、こういった考えは古楽器奏者だけではなく、モダンの楽器を演奏する方々も持っていると思います。

――ちょっと話を戻しましょう。川口さんは東京藝大の修士課程を修められたあと、オランダに渡られていますね。なぜオランダを選ばれたのですか?

川口:それは、オランダと古楽の結びつきが深かったからです。
例えば、古楽オーケストラとして歴史を誇る18世紀オーケストラ(※オランダ出身のリコーダー奏者フランス・ブリュッヘンが創立。世界中から一流の古楽奏者が集まり、主に17~18世紀のレパートリーを得意とする)があったり、著名な鍵盤楽器奏者だったグスタフ・レオンハルト (1928-2012) もオランダ出身でした。また、チェロ奏者のアンナー・ビルスマさん(※オランダのチェロ奏者。バロック・チェロの名手として知られている)もオランダに住んでいらっしゃいます。
このような、古楽の歴史溢れる国だったので、最初からオランダで古楽を学ぶということはなんとなく希望として持っていたんです。

でも、だからといって「よし、留学しよう!」とすぐには思えなかった。
なぜなら、日本で師事した小倉貴久子先生(※日本を代表するフォルテピアノ奏者。1995年ブルージュ国際古楽コンクール フォルテピアノ部門の覇者)との関係がとても素晴らしいものだったからです。たぶん、小倉先生に師事しなければ、ここまで古楽にのめりこまなかったかもしれない。
だからこそ留学するなら、それ以上のものを――という想いがあったのです。

2015年にオランダで開催されたサマーセミナーに参加した時、当時アムステルダム音楽院の教授をされていたリチャード・エガー先生(※イギリス出身の鍵盤楽器奏者・指揮者。グスタフ・レオンハルトの弟子)に師事する機会を得たのですが、彼のレッスンはとても楽しいものでした。
何が楽しかったかというと、フォルテピアノのテクニックというよりも、彼自身が指揮者なので音楽を広く捉えることが出来た点でした。
自分が日本で学んだことをベースに、もっともっと自分が広く開けていけるようなイメージを持てたんです。

そう決めてオランダにやってきたのですが、実際、オランダで得ることが出来たものはたくさんあります。
まず第一に、一流の奏者に囲まれて、素晴らしい演奏家が身近にいてくれたこと。
彼らと一緒に演奏し、そこから学ぶことは多々ありました。レッスンでは得られない、貴重な体験です。
それから、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の団員さんとたくさん知り合えたことは自分にとって最も大きな出来事でした。

そのきっかけを作ってくれたのがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でティンパニを担当している日本人奏者でした。彼はアムステルダム出会った、大切な親友です。

そして彼とは絶対に一生忘れない思い出が出来ました。それはバルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》を一緒に録音してLPを製作したことです。
まだ彼が学生だった頃に「バルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》いつかやろうよ!」って冗談で言ってたんですけど、なんと本当にやることになったんです。
しかも話も夢も膨らんで「録音しよう!」、「CDではなくてLP作っちゃおう!」と大きく展開していきました。そんな中、彼がコンセルトヘボウの首席ティンパニの席を射止めてしまうという素晴らしい出来事もありました。

――えっ?すごいですね。バルトーク!

川口:そうなんです。最初は冗談だったんですけど、どんどん真剣になっていって。
でも結果的に、この経験が僕の音楽人生を大きく変えることになりました。

――なぜ?

川口:僕、それまでいわゆる「古楽」のアカデミックな部分にこだわりすぎていたんですよね。「音楽」をやりたい中、「古楽」というものに出会ってから学んだことばかりに気を取られていました。
何でもそうかもしれませんが、専門的になりすぎると頭の思考が柔軟でなくなり、重要なことを見落としやすくなります。 でもそういった狭い視野が、モダン楽器で活躍されている方やモダンオーケストラの団員との出会いに恵まれ、どんどん広くなっていったのです。
そし て、違う目線から自分の音楽を再び捉えることになりました。それが、自分にとって本当に大きな出来事だったのです。

結局、1年かけてバルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》を演奏したのですが、この作品に挑戦するためにこれまでの人生で一番労力を使いました。
この作品ではフォルテピアノではなくモダンピアノを演奏しているのですが、逆にこの作品を演奏したおかげで、古楽器奏者として足りないものが全部浮き彫りになりました。
アンサンブル能力も欠けていましたし、自分のリズム感覚も浮き彫りになっていきました。

――バルトークだから、余計にはっきりと見えたのでしょうね。

川口:そうなんです。あの作品は、当時の僕にとって非常に大切なものが凝縮されていました。

――実現してよかったですね。

川口:そう、僕はオランダでの人との出会いに恵まれたのです。
アムステルダムに飛び込んでいった先にいた人々は、非常に意識の高い人々でした。自分が到底追いつけない次元の人たちです。そういった人たちを見て、自分もそうなりたい…、そう思って必死で頑張ったのが良かったと思います。

――演奏家としての幅も広がったし、一人の人間としての視野も広がったっていうことですね。
このように、視野がどんどん広がっていった矢先に受けられたのが「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」でしたね。このコンクールでは第2位を受賞されて、日本のみならず世界中で話題となりました。
それでは次に、このコンクールのお話を伺ってみたいと思います。

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(2018年11月20日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@京都コンサートホール 大ホールホワイエ)

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オムロン パイプオルガン コンサートシリーズ Vol.63 “アレシュ・バールタ” 特別インタビュー

投稿日:
インタビュー

2月23日(土)14時開催「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.63  世界のオルガニスト 」の奏者として登場するアレシュ・バールタは、チェコを代表する世界的オルガニストのひとり。
1984年プラハの春国際音楽コンクールオルガン部門をはじめ、数々のコンクールで優勝を果たしました。
圧倒的技巧を誇るバールタですが、その中でも特にバッハ演奏は格別です。
今回の京都公演では「バッハへのオマージュ」と題して、バッハ自身の作品や彼から影響を受けた作曲家による作品を披露します。

コンサートを一ヶ月後に控えたいま、「オルガン奏者アレシュ・バールタ」についてもっと知るために特別メールインタビューを実施しました。
公演チラシだけでは分からない、バールタの魅力が透けて見えてくるような内容となっています。

アレシュ・バールタ ©Hikaru☆

――バールタさん、こんにちは。このたびはバールタさんのオルガン演奏をたっぷりお聴き出来るので、とても嬉しいです。
それではまずはじめに、バールタさんとパイプオルガンとの出会いを教えていただけませんでしょうか。

アレシュ・バールタさん(以下、敬称略):私がオルガンに出会ったのは、12歳の時です。その時、通っていた音楽学校に電動式オルガンが設置されました。それをきっかけに、オルガンを学ぶようになりました。
その後、14歳の時にオロモウツ(チェコの都市。モラヴィア地方の中心に位置する)で開催された国際オルガン・フェスティバルを訪れました。そしてそのときに、ドイツのオルガニスト ヨハネス=エアンスト・ケーラー氏が演奏するバッハの《フーガの技法》を聴きました。本当に衝撃的な演奏でした。

――バールタさんをそこまで惹きつけるパイプオルガンの魅力って、どのようなところにあるのでしょうか。

バールタ:オルガンに関する文献って広範囲にわたってたくさんあります。パイプオルガンも、みんな同じ楽器に見えるかもしれませんが、それぞれに建築様式があって、それぞれにキャラクターがあるのです。そういったところに大変魅了されます。

――京都コンサートホールのパイプオルガンも個性的な楽器です。フランス様式とドイツ様式を融合したような楽器で、どちらの良い面も持っている楽器です。
ところで、バールタさんは普段、どのような活動をなさっているのでしょうか。

バールタ:いろいろな活動をしています。
オーケストラと一緒にオルガン協奏曲を演奏することもありますし、オルガン・リサイタルを開催することもあります。
オーケストラの中で演奏することもありますし、室内楽、管楽器奏者や歌手達との演奏活動も行っています。
日本でも人気のホルン奏者ラデク・バボラーク氏とも度々共演しています。

アレシュ・バールタ

――多彩な活動をなさっているのですね。そういえばバールタさんは、2016年4月に京都市交響楽団と共に京都コンサートホールでR. シュトラウスの《ツァラトゥストラはかく語りき》を、そして翌日の大阪特別公演ではサン=サーンスの《交響曲第3番「オルガン付き」》を演奏なさっていましたね。
ところで、少し楽器の話に戻したいと思います。さきほど「パイプオルガンには様々な建築様式がある」とおっしゃっていましたよね。わたしたちは、ドイツやフランスのオルガンには比較的馴染みがあるのですが、バールタさんの故郷であるチェコのパイプオルガンについてはほとんど知識がありません。
どのような楽器なのでしょうか?

バールタ:チェコにはバロック・オルガンやロマンティック・オルガン、そしてシンフォニック・オルガンがあります。なかでも、バロック・オルガンは、限られた範囲で演奏技術を駆使するという面で、私にとっては大変興味深いパイプオルガンです。

――さきほども話題に出ましたが、バールタさんは2016年すでに京都コンサートホールのパイプオルガンを演奏なさっていますよね。つまり、京都コンサートホールのパイプオルガンを知っていらっしゃいます。
その時、楽器としてどのような印象を持たれましたか?

バールタ:京都コンサートホールのパイプオルガンを演奏した時「美しい」と思い、あの楽器が好きになりました。
マエストロ広上淳一との演奏は、いまでも素晴らしい思い出です。

――良い印象を持ってくださっていて嬉しいです、ありがとうございます。
さて、今回の京都公演でもバッハを演奏してくださいますが、バールタさんはバッハ演奏をお得意とされていますよね。
バッハの作品を多く録音され、よく演奏されています。
バールタさんが、バッハ作品を演奏するときに心がけていらっしゃることがありましたらぜひ教えてください。

バールタ:私は特別なことはしていません。
私はすべてのバッハ作品を演奏しましたが、彼の音楽が備える「奥深さ」にずっと魅了されてきました。
もちろん彼の作品を演奏する時は、オルガンのストップ(音栓)や音、曲の形式など、それら全てを常に考慮しながら弾いています。
しかし、バッハ作品の不思議なところは、そういうものから自然とイメージが湧き上がってくる点です。だから、私は様々なことに考慮はしていますが、特別なことは何もしていません。

アレシュ・バールタ

――それでは次に、今回の京都公演に関する質問をさせてください。
このプログラミングはどのような意図でされたのでしょうか?

バールタ:オルガンについてあまり知らない方や、これまで聴いたことがないという方にもオルガンの素晴らしさをアピールできるようなプログラムを用意しました。
コンサートの第一部では、有名なバッハの《トッカータとフーガ ニ短調》を、そして第二部では、ロマン派を代表する作曲家フランツ・リストによる「B-A-C-H(ドイツ音名。シ♭-ラ-ド-シのこと)」の主題を扱った《バッハの名による前奏曲とフーガ》を演奏します。
どちらも技巧的で聴き応えのある作品ですが、前者はバロック時代の様式美が垣間見えます。後者は「ヴィルトゥオーソ」と呼ばれたリストの片鱗をうかがわせるような作品に仕上げられています。

――バッハ以降の作曲家は皆、彼から影響を受けてオルガン作品を作曲したと言っても過言ではないほど、バッハの影響力ってすごいですよね。
それでは最後に、演奏会を楽しみにしている皆さまへ、メッセージをお願いいたします。

バールタ:日本の聴衆の皆さんは、とても親切ですし、感受性豊かで私は大好きです。
京都コンサートホールの美しいオルガンの音色を是非楽しんで頂きたいと思います。

――バールタさん、お忙しいところご協力いただきまして、誠にありがとうございました!演奏会当日、バールタさんのオルガン演奏が聴けるのを今から楽しみに待っています!

(2019年1月10日 京都コンサートホール事業企画課メールインタビュー)

★公演情報はこちら→「オムロン パイプオルガン コンサートシリーズVol.63

【光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー特別連載③】進々堂 続木社長インタビュー(後編)

投稿日:
インタビュー

スペシャル・シリーズ《色彩と光の作曲家 クロード・ドビュッシー》をより知っていただく特別連載。第3回は、京都コンサートホールと一緒にコラボレーション商品を考えてくださった株式会社進々堂の続木創社長へのインタビューの後編をお届けします。パン作りと音楽の共通点など興味深いお話が満載です。

* * *

★続木社長について★

――(前編では、続木社長の好きなクラシック音楽やドビュッシーについてお伺いしました)
続木社長は昔、弦楽四重奏をされていたということですが、音楽や楽器との出会いなどを教えていただけますでしょうか。

続木社長:両親ともに音楽が好きだったので、4歳の時からピアノを、7歳のときからヴァイオリンを習いはじめました。でも本当に音楽に興味を持ったのは中学2年のときだったかもしれません。僕は中学から東京の自由学園というキリスト教系の学校に行ったのですが、ヴァイオリンは卒業(?)したつもりで、寮にヴァイオリンは持って行かなかったんです。ところが自由学園で音楽の授業として毎年クリスマスに演奏していたヘンデルのメサイヤに接して、何て美しい音楽なんだって衝撃を受けて、オーケストラに入れてもらってメサイヤのヴァイオリンパートを演奏するようになったんです。そのうちに段々ヴァイオリンにのめり込んで、一番最初にヴァイオリンの手ほどきを受けた香西理子先生にお願いして、自由学園の大学2年のとき江藤俊哉先生をご紹介いただいて弟子入りしたんです。

――江藤俊哉先生と言えば戦後の日本を代表するヴァイオリンの大家ですね。

続木社長:大学では経済を勉強したのですが、ヴァイオリンが面白くてたまらなくなって、他のことしてる時間がもったいなく思いはじめ、後先考えずに自由学園の大学を中退しました。で、アパートを借りて毎日7〜8時間ヴァイオリンの練習をするような生活しながら、当時江藤先生が教えられていた桐朋学園大学のディプロマコースに2回挑戦したのですが、残念ながら2回とも落ちてしまいました。

実はそのころ、私の兄が父に「自分は進々堂は絶対に継がない」と宣言したんです。私は男ばかり4人兄弟の次男で、長兄が進々堂を継ぐので自分はヴァイオリニストになろうと思っていたのですが、今度は父が私にパン屋をやってくれないかと声をかけてきたんですよね。私は子供の頃から、お父さんがあんなに一生懸命やってる進々堂なんだから兄弟の誰かが継ぐべきで、兄がしないなら自分がやってもいいかなと思いながら育ってきましたので、「僕がするけど、その前にアメリカに留学して経営学を勉強したい」と父にお願いしました。そしてミシガン州立大学の経営学部ホテル・レストラン経営学科に行かせてもらいました。そこで運命の出会いがあったんです。

「Michigan State University」の画像検索結果
ミシガン州立大学(Michigan State University official Home Pageより)

ヴァイオリニストになる夢は捨てたけど、やっぱり趣味では弾きたくて、アメリカに楽器を持って行っていました。ある日、学生寮の音楽室で練習してたら同じ寮に住んでた音楽学部の生徒が僕の練習をこっそり録音して「うちの寮にこんなやつがいる」と音楽学部の学部長にテープを聞かせたんです。そしたらある日その学部長から呼ばれて何か弾いてみろと。で、バッハの無伴奏パルティータの1番を弾いたら「なぜ経営学なんて勉強してるのか。うちの音楽学部にはおまえのようなバッハに対するリスペクトを持っている学生はいない。奨学金を出すから音楽学部に来い」と言われたのです。もちろん、父との約束があるので転部はできないとお断りしました。そしたら、音楽学部の大学院生がカルテット(弦楽四重奏)を組むのに、第2ヴァイオリンが見つからないのでおまえがやれと言われて、カルテットの第2ヴァイオリン奏者を引き受けることになったのです。これにはとても喜びました。当時ミシガン州立大学の音楽学部には、ジュリアード・カルテットが年に6週間教えに来ていて、私の入った学生カルテットはそのレッスンを受けられたんです。

大学院生のカルテットのメンバーと、ロバート・マン先生(後列中央)を囲んで

――すごい巡り合わせですね!

続木社長:彼らのレッスンであらためて音楽に開眼してしまいました。江藤先生のレッスンではどちらかというと技術的なことを中心に教えていただいていましたが、カルテットのレッスンでは音楽の作り方・楽譜の解釈が全てだったのです。とても新鮮でした。音楽ってこうやって作るんだ!って。当時のジュリアード・カルテットのメンバーは、第1ヴァイオリンがロバート・マンで第2ヴァイオリンがアール・カーリス、ヴィオラがサミュエル・ローズ、チェロがジョエル・クロスニックでした。4人それぞれ世界一流の演奏家からレッスンを英語で受けて、英語で理解してというのは本当に楽しい体験でした。

――あの「ジュリアード・カルテット」からレッスンを受けられたのですね!

続木社長:1年目は大学院生のカルテットの第2ヴァイオリンだったのですが、3人の大学院生が卒業していなくなると、学部長から新しいカルテットを作るように言われました。私の好きなようにメンバーを選んでいいということで、ヴィオラとチェロはすぐに音楽学部の3年生で決まりましたが、ヴァイオリンはなかなか良い人が見つからなかったんです。

当時ピアノ科の看板教授にクライバーン・コンクール優勝者のピアニスト、ラルフ・ヴォタペック先生がいて、その娘さんのキャサリンがヴァイオリニストでした。当時まだ高校生でしたがとても弾ける子だったんです。そこで彼女を第2ヴァイオリンに指名していいかと学部長にきいたら何とOKだって言うんです。驚きました。OKを出す学部長も学部長だけど、ヴァイオリン科の学生や教授からクレームが出ないって、アメリカ流実力主義というか、アメリカ人の考え方ってすごいなと思いました。

――日本の大学では考えられないですね!

続木社長:そうでしょう?つまり2年間、ミシガン州立大学音楽学部を代表する学生カルテットは、第1ヴァイオリンが経営学部生(私)で、第2ヴァイオリンが高校生という異色のメンバーで、ジュリアード・カルテットのレッスンを受けながらながら、学内コンサートはじめ様々な演奏活動をしました。中でも一番思い出深いのは、年に一度、全米の音楽大学から学生カルテットがミシガン州立大学に集まって開催される「ジュリアード・カルテット・フェスティバル」に出させていただいたことかな。

そういうわけで、ミシガン州立大学では経営学も結構真面目に勉強してちゃんと卒業しましたが、音楽の面でも大変豊かな経験が出来ました。今でも付き合いが続いているのは、経営学部の友人よりもどちらかというと、音楽で結びついた友人が多いですね。当時高校生だったキャサリン・ヴォタペックとも親交が続いています。彼女はその後ジュリアード音楽院に進み、卒業後オハイオ州立大学で教鞭を取る傍らチェスター・カルテットのメンバーとして活躍し、今はミシガン大学の教授を務めています。

 

★パン作りと音楽の共通点について★

――そんなに貴重で濃厚な経験をされてしまうと、音楽の道から離れたくなくなりますね。

続木社長:そうなのですが、逆にアメリカでの音楽経験の中で自分はやっぱりプロの音楽家は無理だということがよくわかったし、やはりアメリカ留学の目的は進々堂を継ぐために経営学を勉強することだと思い続けていたので、父との約束通りミシガン州立大学卒業後すぐに進々堂に入社しました。

――音楽とパン作りに共通するものはありますか。

続木社長:共通点どころか、音楽作りとパン作りはとても似てるんですよ。パンも音楽も初めにイメージありきだと思うんです。

音楽の場合も、作曲家へのリスペクトや様式への理解をちゃんと持ちながら「こういう風に表現したい」というイメージというか熱意を持って演奏しないと、どんなにテクニックがすばらしくてもつまらない演奏になってしまいますよね。

パンの世界も同じです。生地の配合や工程は決まっていますが、その通り作ったとしても必ずしもおいしく焼き上がるとは限りません。素材や製法をしっかり知った人が「こういう食感、こういう味にしたい」というイメージをしっかり持って、そこに向かって微調整を重ねることでおいしく焼きあがるのです。でもこれは結構難しいことで、作り手が同じでも、昨日と同じパンはなかなかできません。音楽も同じですよね、昨日と同じ演奏をしなさいと言われてできる演奏家は絶対にいないでしょう。

「パン」は生き物です。パン生地は発酵するので生き物であるとわかりやすいですが、実は小麦粉も日々違うんですよ。少し専門的な話になりますが、小麦粉はほとんどがでんぷん質、あとはたんぱく質と水分ですが、その中に酵素というものが生きてるんです。アミラーゼやプロテアーゼという名前は聞いたことがあると思いますが、そういうたくさんの酵素がパン生地のなかで様々な働きをしてパンをおいしくしてくれるんです。日々それぞれの酵素の活性度合いが違うので、同じ配合・同じ温度で生地をこね上げても毎日必ず違う生地になります。ですから、品質を一定に保つには、その日その日の生地状態を見極めながら、生地の扱いを調整する必要があります。複数のスタッフが関わる場合には「こういうパンが焼きたい」という共通のイメージが職場に浸透していないと、品質がぶれてしまうんです。

――開発者だけじゃなくて様々な製作ラインの方の気持ちが一致する必要があるということですか?

続木社長:はい、その通りです。うちは、仕込みは仕込みで整形は整形、焼きは焼きとわかれているので、それぞれの部門に携わるスタッフがパンの最終的なイメージをちゃんと持って瞬時に判断できないと、同じパンを作りあげることはできません。個人店さんと企業パン屋ではそこの難しさが違います。個人店では親方が出て行って全部指示できますけども、我々は分担していますから、焼き上がりの同じイメージを皆が持って、そこに向かって仕事してくれることがとても大切なんですよ。

――私たち素人がショーケースを見ていると、毎日同じパンが並んでいるように見えます。

続木社長:プロの目で見ますと毎日必ず微妙にぶれているのがわかります。それを一般の消費者の方が見て食べてわからないブレ幅にしないと、皆さんの期待を裏切ることになってしまいます。

今回のパティスリーも、開発段階では同じ担当者が一から自分で作ったので、そんなにぶれていないですけども、これを通常の製造ラインに乗せて、毎日同じ状態に仕上げるとなるとそこでまた一苦労があるんですよ(笑)。

その中でやはり一番大事なことは、「こんな風に焼き上げたい」というイメージを皆に共有して持ってもらうことなんです。

――まるで続木社長はオーケストラの指揮者みたいですね。

続木社長:まさにその通り!実際、指揮者の仕事と同じだと思います。ものづくりって全てそうだと思いますよ。

 

★続木社長のもう一つの顔「教会オルガニスト」★

――私どもが毎月発行している「コンサートガイド」で、1年間(2016年6月号から2017年5月号まで)「パン屋社長の音楽コラム~思い出の名演奏~」というコラムを書いていらっしゃいました。そこに教会のオルガニストと書かれていましたが、ヴァイオリンをされていた続木社長がなぜオルガンをされているのですか?

続木社長:いま行っている京都聖マリア教会にはプロのオルガニストがいなくて、数人で役割分担して、だいたい月1回オルガンを弾いているんです。僕はもともとピアノをやっていたので、自由学園時代に通っていた教会でも時々オルガンの当番にあたって弾いていました。でも、きちんと足鍵盤までつけて弾こうと思ったのは社会人になってからです。

オルガンをやろうと思った理由は、仕事が忙しくなって練習時間がとれなくなって段々ヴァイオリンが弾けなくなってきたのですが、やっぱり音楽する手段がほしかったんです。オルガンはヴァイオリンと違って一人で音楽が完結するのですごく楽しいんです。しかも、演奏と呼べるかどうか別にしても、月に1回ですが当番の日には人前で演奏する機会もありますし。年に1,2曲ずつですが(礼拝の前後に弾く)奏楽曲のレパートリーを増やしていくのも楽しいです。

――讃美歌だけでなく、奏楽も弾かれるのですか?

続木社長:はい、奏楽も弾いています。新しい曲にチャレンジするときは同志社女子大学講師のオルガニスト中山幾美子さんに時々レッスンを受けています。

――そうなんですね!素晴らしいです。続木社長はパンにしても音楽にしても「表現者」でいらっしゃるのですね。
お忙しい中ありがとうございました!

(2018年7月4日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@進々堂 本社)

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【特別連載①】ドビュッシーとパン(牧神)はこちら
【特別連載②】進々堂 続木社長インタビュー(前編)はこちら
【特別連載④】ピアニスト 永野英樹に迫る
スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》の特設ぺージはこちら。

【光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー特別連載②】進々堂 続木社長インタビュー(前編)

投稿日:
アンサンブルホールムラタ

2018年に没後100年を迎えるドビュッシーに焦点をあてたスペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家クロード・ドビュッシー》では、京都の老舗ベーカリーの進々堂様と特別コラボレーションをし、ご来場のお客様に記念パティスリーをプレゼントします。

シリーズをより知っていただく特別連載の第2回として、京都コンサートホールと一緒にコラボレーション内容を考えてくださった株式会社進々堂の続木創社長に、パティスリーの魅力をはじめ、パン作りや音楽についてお話を伺いました。非常に濃密な内容となりましたので、前編・後編と2回に分けてお送りします。

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★コラボレーションについて★

――改めまして、この度は京都コンサートホールとのコラボレーションをお引き受けいただき、ありがとうございます。これまで、今回のように異ジャンルとのコラボレーションをされたことはございますでしょうか?

続木社長:はい、一番面白かったのは、京都市美術館がバルテュス展(2014)を開催した時のコラボレーション。美術館のみではなく、京都市内のいろんなところにバルテュスに関連したものが存在するような環境を作りたい、ということでバルテュスに因んだメニューを進々堂のレストランとカフェで出して欲しいというご依頼でした。
バルテュス未亡人が日本人の素敵な女性という幸運もあり、バルテュスが生前好物にしていた食事につき奥様にいろんなお話を聞くことができました。ところがこれが結構ハードルが高くて、「パン・ド・カンパーニュにハムを挟んだシンプルなサンドイッチ」とか、「スパゲッティも塩とバジルだけのシンプルなもの」とか。実はそういうのが一番難しいんですよね。あとは「チョコレートムースが好きだった」というお話もあったので、四苦八苦しながらも何とかメニューとしての体裁を整え、奥様に試作品を食べていただきOKが出たときにはみんなで大喜びしました。それまで知らなかったバルテュスという画家を身近に感じるようになって、とても楽しい仕事になりました。

 

――とても面白い試みですね!コラボレーションをするには時間もエネルギーもかかるかと思いますが、どういったところにコラボの価値を見出されますか?

続木社長:このようなコラボレーションをすると、僕にとっても社員にとってもとても良い刺激になります。やっぱりパンはヨーロッパの文化の中で育まれたものなので、「芸術家がどのようにパンを楽しんでいたか」を再現してみると、社員たちにとってもイマジネーションをふくらませる良い助けになります。そして、自分たちの仕事のルーツみたいなところを再確認することにもなります。普段なかなかここまで手間暇かけて商品開発は出来ないんですが、実際にコラボレーションに取り組ませることで、これだけ広がりがあって楽しいことができるということが社員たちの気持ちの中に芽生えます。今回のコラボレーションを担当した社員たちも、「仕事が全部こんなんだったら楽しいのにな」と言いながらやっていますよ。なおかつお客様にも進々堂の「食文化に対する姿勢」みたいなものが伝われば良いな、と社長としてはそういう打算(?)をたくさん持ってやっています(笑)。

★今回のコラボレーションと特別パティスリーについて★

――コラボレーションはパン作りの原点を見直す大切な機会なのですね。社員のことを大切に、そして真剣に考えていらっしゃる続木社長の想いがとても伝わってきました。
ところで私どもの企画である、京都・パリ友情盟約締結60周年・日仏友好160周年・ドビュッシー没後100年 スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》とのコラボレーションについてもお話を聞かせていただけますでしょうか。

続木社長:京都市・パリ市の60周年という記念すべき年に、進々堂がこのような形で関われるというのはとても光栄だと思っています。しかもドビュッシーの没後100年という時に、ドビュッシーにちなんだものを作れるというのはとても楽しいです。

 

――そう言っていただけて嬉しいです!今回のコラボレーションでは、とても素敵なパティスリーを作っていただきましたが、完成までにはどのような経緯があったのでしょうか?

続木社長:もともとは、ドビュッシーの生家があるサン=ジェルマン・アン・レー(SaintGermain-en-Laye) にある「メゾン・グランダン(Pâtisserie Grandin)」という老舗洋菓子屋さんの「ル・ドビュッシー(Le Debussy)」というチョコレート菓子を作ろうと真剣に考えました。ところが取り寄せて試食してみたら、味そのものがイマイチしっくりこなかったんですよね。その他にも色々難しい条件もあったので結局「ル・ドビュッシー」を作るのは諦めて、高野さん(京都コンサートホール 事業企画課)と相談しながらどんなことができるか考え、生まれたのがこの3つのパティスリーです。

――この3つのパティスリーはどうのように開発なさったのでしょうか?

続木社長:奇をてらうのではなく、もともとフランスの食文化の中にあるものを応用しながら、何か新しいものを作りたいと思いました。結局、第1回ではアーモンドクリームを包みこんだブリオッシュ、第2回では様々な形のフィナンシェ、そして第3回では南西フランス・ボルドー地方の伝統菓子カヌレにオレンジ・リキュールをきかせたものになりました。フランスの伝統的な「美味しさ」をうまく組み合わせて、今回のイベントにふさわしい味を作り出そうという試みだったんです。

例えば、第1回のブリオッシュ生地にアーモンドクリームを包んだヴェノワズリー(注:卵や牛乳、砂糖などを用いたリッチなパンの総称)なんてあって不思議じゃないのに、なぜか今まで無かった。第3回のカヌレも、カヌレに「グラン・マルニエ」のオレンジ・リキュールを加えるなんて今まで誰もやってないと思うんですけれど、やってみたらすごく美味しかったんです。「こんなに美味しいのになんで今までなかったのかな」というものを目指したので、皆さんがどのように召し上がってくださるかとても楽しみです(※詳しくは、当ブログ「進々堂様ご提供の特別パティスリー、詳細決定!」をご覧ください)。

★ドビュッシーについて★

――さて、続木社長はクラシック音楽がお好きだと聞きましたが、ドビュッシーはお好きですか?

続木社長:ドビュッシーはとても好きな作曲家です。僕自身はどちらかというと、バッハ、モーツァルトからベートーヴェン、ブラームスという流れのドイツ・クラシックが好きなんですけど、フランス音楽の中でも印象派のラヴェルやドビュッシーは好きです。実は僕は子供の頃からヴァイオリンを習っていて、学生時代に弦楽四重奏もやったのですが、ラヴェルの弦楽四重奏曲は弾いたことがあります。ドビュッシーも演奏したかったんですが、実はドビュッシーの方がずっと技術的に難しくて諦めました。でも、ロマン派以降の弦楽四重奏曲で一番好きな曲はと訊かれたら、多分ドビュッシーと答えます。特に子守唄のような第3楽章が好きですね。

それから今回のコラボレーションがはじまってもっとドビュッシーについて知りたいと思い、ドビュッシーの伝記、島松和正著 『ドビュッシー: 香りたつ音楽』(講談社エディトリアル刊)を読みました。お医者さんが書かれたすごく素敵な本で、ああいうディレッタンティズム(注:芸術や学問を趣味や道楽として愛好すること)ってすごいと思いました。読んでいて本当に楽しかったです。
今はユーチューブで世の中の曲ほぼ全てが聴けますよね。その伝記を読みながら、曲名をユーチューブに入力するとほとんど全部聞けてしまってびっくりしました。そして知ったのですが、ドビュッシーって若い頃に素敵な歌曲を本当にたくさん書いているんですね。後年に書かれた管弦楽曲とかは結構聞いていたんですけど、今回この企画に関わったおかげで若かりし日にドビュッシーが書いた歌曲たちという新しい世界を知ることができました。こういう出会いって本当に嬉しいものですね。

* * 後編につづく * *

(2018年7月4日京都コンサートホール事業企画課インタビュー@進々堂 本社)

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インタビュー後編はこちら。
スペシャル・シリーズ《光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー》の特設ぺージはこちら。
特別連載①「ドビュッシーとパン(牧神)」はこちら。